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「ママのこと、何も覚えていないのか? 声はどうだ? よく歌っていただろう」

 

「……うん。それは覚えてる。子守唄でしょ」

 

 リリーの声は、自然と小さくなる。
 綺麗なメロディを、心地いい母親の声が紡ぐ。リリーはあたたかい胸に抱かれている。それを思い出すといつも、胸の奥がツンとして、言葉が出づらくなるのだ。

 

「よし、もう決めたからな。3人とも7時までにオレの家に集合だ。というわけだから司祭殿、今夜ちょっと聖術師サンを借りるぜ」

 

「ハイ、いいですよ。ルビー、たまには羽をのばしてきなさい」

 

「お言葉に甘えさせていただきます」

 

 ルビーは一礼した。
 アンナル司祭はうなずき、うしろを振りかえる。

 

「ユルヤナ、今の話を聞いていたかね」

 

 リリーは今まで気づかなかったが、壁際にそっと、ユルヤナが佇んでいた。彼は歩み出て、白磁のような面(おもて)を光にさらした。

 

「はい。ルビー様のお食事は作らぬようにと、下男に伝えておきます」

 

 透きとおる声が、赤い唇からすべりでた。
 いつものことながら、一瞬で目を奪われるほど美しい。中世的な容姿で、少女と見紛(みまご)うくらいだ。リッドやルビーが町の女の子たちに噂されているのは知っているが、ユルヤナは別格だと思う。

 

「どうしたらユルヤナのような綺麗な男の子が生まれるのかしら」

 

「あいつは昔からあんな感じだな。親の出来がいいんじゃねェか? まあユルヤナも孤児院育ちだから真実は闇の中だけど」

 

 ユルヤナも13歳で卒院したあと教会に入り、2年間下男をこなしたあと、去年アンナル司祭の付き人に抜擢された。見た目だけでなく中身も優秀なのだろう。

 

 いずれにしろ、このラヴィス孤児院出身の男たちはおしなべて優秀で、評判がいい。
 これもアンナル司祭の教育が行き届いているおかげだろうと、リリーは思う。

 

 ――それはさておき、夕食だ。
 みんなで食事をするなんて、何年振りだろう。リリーはゆるむ頬をおさえられなかった。

 

 

 

 

 夜、7時である。
 いや、正確には20分ほどすぎている。
 うらめしげに、リリーは柱時計を見た。

 

「遅いわね……」

 

 つぶやきが、がらんどうの食堂に落ちる。
 リッドが言った。

 

「二人とも忙しいから、多少の遅刻はしかたないさ。気になるなら様子を見に行ってやるよ」

 

「いいの。2人はお仕事なんだもの。せかしたら悪いわ」

 

 沈黙が落ちる。
 メイドのエルミ・サラマが2人のティーカップに温かい紅茶をそそいだ。

 

「悪いな、エルミ。同じ使用人なのに」

 

「今度ルビー様とデートを取りつけてくれたら許してあげるわ」

 

「あいつ聖職者だから女とつきあえないけどいいのか?」

 

「イケメンと歩けるってだけで価値があるのよ」

 

「そいつはすげェ」

 

「ふふ。エルミって面白い」

 

 どんよりした空気が和んだ。

 

「私は肉食系女子ですけど、お嬢様は逆に、肉食系男子に気をつけてくださいね。特に一番近くにいるこの男!」

 

「オレかよ」

 

「護衛が実は猛獣だったんじゃどうしようもないですよ。まだリッドが朝起こしに行ってるんですよね。お嬢様も来年16になられるんだから、いいかげん考えないといけませんよ。明日から私が起こしに行きましょうか。うん、それがいいですよ」

 

「そうかしら」

 

「オレの意見も聞いてくれるか、エルミ」

 

「却下よ」

 

 エルミはバッサリ切り捨てる。
 リリーは考えこんだ。

 

「そうね、わたしももうこどもじゃないものね。いつまでも異性を部屋に入れていたんじゃダメよね。でも――」

 

 言葉をきり、隣のリッドを見る。
 リッドの起こし方は使用人ぽくない。いつもリリーをからかって遊んでいる。そのたびにリリーは翻弄されるのだ。
 でも朝一番に聞く声、見る顔がリッドということに、リリーは安心感を覚えている。
 ふっと、リッドの表情がやわらいで、リリーの髪をなでた。

 

 

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