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 あとにも先にも、リリーが市民の前で踊ったのはあれが最後だった。
 もう一度踊ってほしいという市民の声は根強い。ギリスが釈放されたあともそれは続いた。うわさを聞いたギリスが頼んでも、リリーは踊らなかった。

 

「だってルツィエさんの踊りに比べたら、恥ずかしいくらいできてないんだもの」

 

 そう言うときのリリーはいつもすがすがしい。
 会わなかった2週間で、彼女はすこしだけ変わった気がする。
 核はそのままに、ひとつ上にシフトしたようだ。

 

「リッドの魔術、久しぶりに見たわ」

 

 リッドは渋面をつくる。

 

「思い出させんな。イライラしてくる」

 

「……でもあのあとリッド、わたしにたくさんキスしたわ」

 

「当たり前だろ」

 

 リリーの頬がほのかに赤く染まった。

 

「リッドは、そういう気持ちじゃないと思ってたのに」

 

「そう思ってたのは君だけだと思うよ、リリー」

 

 面白がるように、ルビーが言う。
 変わったといえば、リリーの社交ダンスの稽古である。今まで週に1回だったのを、5回に増やした。さらに中級クラスから上級クラスに変更を申し出た。

 

「将来はダンス講師になりたいの」

 

 上級クラスに移って3か月、すでにリリーよりもうまい生徒はいないという。

 

「由緒正しいダンスも綺麗で大好きよ。でももう少し創作をくわえて、歌も織りまぜて踊るような舞台を、たくさんの人と作りたいの。わたしは裏方に回って、縁の下の力持ちを目指すのよ」

 

「オペラのダンスつきみたいな感じか?」

 

「そうね。でももっと、平民も気軽に見に来れるような感じのにしたい」

 

 リリーは前を見つめている。
 ついこの間まで、広い屋敷の中で、空ばかり見ていた娘が、外へ出て、前を見る。
 その姿も悪くない。
 少なくとも、今すぐその小さな唇にキスをしたいと思うくらいには。

 

 

fin.

 

 

 

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