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「ごめんねニコラちゃん。これから薬は薬研(やっけん)で買うことにしたから、今回の注文で最後にするわ」

 

「あ、うん……そうなんだ……」

 

 また客がひとり、離れていった。
 これで今月に入って5人目だ。

 

 今日まで常連客だったおばさんに薬袋を渡しながら、二コラは内心ものすごく落ちこんだ。
 先祖代々続いた薬師(くすし)の仕事も、もしかしたら二コラの代で終わってしまうかもしれない。

 

 帝立薬学研究所(ていりつやくがくけんきゅうじょ)、通称薬研(やっけん)が薬の大量生産を始めてからというもの、二コラのような個人経営の薬師は、廃業の危機に立たされていた。

 

(このお店を守ってねって、パパとママにも言われてたのにな)

 

 3年前、馬車の事故で両親を失って以来、二コラはたった一人で村はずれにあるレンガ造りの店舗兼自宅で暮らしている。

 

 毎日常連客が訪れることで日々の食い扶持を稼ぎ、また彼らと会話をすることでひとり暮らしの寂しさを癒していたのだが、最近は客足がめっきり遠のいていた。

 

(これも時代の流れなのかなぁ……)

 

 そう自分自身を慰めながら、二コラは薬の調合部屋へ入っていった。数少ない定期購入者の薬を作るためだ。

 

 薬作りで一番大切なのは、量ることである。
 ニコラが毎日使っているのは、フレーベル家に代々伝わる天秤だ。平均的な16歳よりも小柄な二コラが扱うには少し大きいが、それこそ赤ん坊のころから触れている道具だから、自分の体の一部のように使いこなせる。

 

 天秤台から小槌を取りだして、棹の真ん中から突き出た部分を軽く叩く。そうして両皿の高さを均したところで、片側に必要な重さ分の分銅を、もう片方に生薬(しょうやく)を乗せていった。

 

「よーし、上出来上出来」

 

 客一人一人の症状に合わせた配分で丸薬を作っていく。蜂蜜などで作った粘り気の強い液体を、粉と練り合わせて固めていくのだ。

 

 夢中で作っているうちに腹時計が鳴る。お昼ごはんの時間だ。

 

「さーて、ごはんごはん」

 

 三度のメシが何よりも好きな二コラは、落ちこんでいたこともすっかり忘れて、ウキウキしながら庭に出た。

 

 ショートカットの栗色の髪と、明るい水色の瞳。よく動き、よく笑う。顔立ちは目がぱっちりして可愛らしいが、少年のようにスラリと伸びた手足と凹凸の少ない体つきをしているため、後ろ姿だけを見ると男の子のようだった。

 

 二コラは村から少し離れた森の近く、レンガ組みの家に住んでいる。村へは一本道を10分ほどの距離で、彼女のお客さんはすべてこの村の住民だった。

 

 二コラの庭には薬草園が広がり、様々な色合いの葉や花びらが輝いている。青空の下、初春の空気を体いっぱいに吸いこんで、二コラはスキップしながら鶏小屋に入った。
 鶏が産んでくれる卵を有り難く頂戴して、二コラは貴重なタンパク源を手に入れている。

 

「さあ鶏さん、今朝もおいしい卵を産んでくれてるかな?」

 

 そういえば、朝はうるさいくらい鳴いている鶏たちが、今朝はやけに静かだった。中を覗き込んでみて、そこで二コラは我が目を疑った。

 

 鶏小屋の、そう大きくもないスペースに、ドでかい卵がででんと鎮座(ちんざ)している。どれだけデカいかというと、高さが二コラの胸のあたりに届くほどだ。
 健康的に黒光りする卵は、どう見ても鶏のそれとは違っていた。

 

 視線を移せば、4羽の鶏たちは羽を震わせながら隅の方で固まっている。生活スペースに現れた謎の巨大卵に、彼らは怯えまくっているようだ。

 

「……。おいでー鶏さんたちー」

 

 二コラはあえて黒い卵を見ないようにして、鶏たちを手招きした。鶏たちは救いの神と言わんばかりに駆けてきて、毎朝恒例のお庭散策へ我先にと飛び出していく。

 

 彼らの寝場所にころんと転がる2コの卵を取って、二コラは速やかに鶏小屋の扉を閉めた。

 

(今のはきっと夢だ。見なかったことにしよう)

 

 二コラは表情に出ないほど大混乱した末、現実逃避を決め込むことにした。

 

 

 

 

 目玉焼きを加えた昼食をテーブルに運び、ひと口食べる。それから二コラは少しずつ冷静になっていった。

 

 ……アレは一体、何だったんだろう。

 

 フォークをくわえつつしばらく考えた。が、考えることが苦手な二コラは、すぐに放棄した。
 案じるより産むが易しだ。ここはもう一度、鶏小屋を見に行ってみよう。もしかしたら夢でも見たのかもしれないし。

 

 鶏は三歩歩けばすぐに忘れる。巨大卵のことをスッカリ忘れた彼らが散策に興じる庭を横切って、小屋の扉をいちにのさんで一気に開いた。
 するとやはりそこには、さっきと少しも変わらない様子で黒い巨大卵がででんと居座っていたのである。

 

(うわぁ、夢じゃなかった)

 

 なすすべもなく突っ立っていると、庭先から二コラを呼ぶ声が聞こえてきた。今日薬を渡す予定の幼馴染フレッド=コリンズである。彼は昔からぜんそくを患っているため、二コラの母の代からずっとここの薬に世話になっていた。

 

 そうだ、フレッドに相談しよう。ひとつ年上でしっかり者の彼なら、きっとこの卵が何なのか知っているに違いない。
 慌ててフレッドのところへ行こうとして踵(きびす)を返した、その時である。
 ぱきん、と乾いた音が耳を打った。

 

「……え?」

 

 嫌な予感がして、ゆっくりと振りかえる。
 黒光りした表面に、さらに黒い色をしたひび割れが入った。最初は少しずつ、それから先は一気に、パキパキパキとタテにひび割れていって、そしてついに、ぱかんと割れた。
 一体どんなバケモノが現れるかと二コラはびびりまくったが、しかし。

 

 現れたのは、ひとりの赤ん坊だった。

 

「あうー」

 

 赤ん坊は座っていた。眠そうに、ぷくぷくした手で目をこすっている。
 生まれたてというよりは、1歳前後くらいに見えた。

 

(というか――、え?)

 

 卵から、人間?
 そんなバカな。

 

 常識を超えた事態に放心していると、赤ん坊はふいに二コラの存在に気づいたようだった。そのままじっと、見つめられる。

 

 マシュマロみたいに真っ白な体は当然全裸である。少しクセのあるやわらかそうな黒い髪をしていた。
 黒目がちの大きな目は長い睫毛にふちどられ、天使のように愛らしい。赤ん坊は往々にして愛らしいものだが、ここまで完璧に可愛らしさを体現した赤ん坊を、二コラは今まで見たことがなかった。

 

「うー。あー」

 

 赤ん坊は卵のカラにつかまりながら、ふくふくしたあんよでよろけつつ立ち上がった。立ち姿を確認した二コラは、こんなに可愛いのに男の子だなんて!! と、絶望とともに歓喜するという不可思議な感覚を味わった。

 

「あー」

 

 赤ん坊は一生懸命な様子で、もみじのような手を二コラに伸ばしてくる。あまりの愛らしさに、二コラが駆け寄りつつその手を取ると、赤ん坊はふにゃりと身を委ねてきた。

 

 見た目もマシュマロだが、肌触りもふにふにで気持ちいい。抱き上げると持ち重みがした。赤ん坊は二コラの綿のワンピースに顔をこすりつけるようにして、すんすんと匂いをかぐ。
 それから二コラを目を合わせて、黒目がちの瞳をとろけさせるように、ふにゃりと笑った。

 

「かっ――」

 

 カワイイ!!

 

 二コラは鼻血とヨダレを同時にコンニチハさせそうになり、かろうじてこらえた。

 

 ちょっと待て。待て待て。こんな可愛い生き物がこの世にいていいのか。
 二コラが赤ん坊の笑顔アンドすりすり攻撃に晒されて息も絶え絶えになっているところへ、フレッドがやってきた。

 

「おいどうしたんだよ二コラ。こんなところで何やってるんだ?」

 

「ふ、フレッド、助けて」

 

 瀕死の状態で振りかえると、フレッドは赤ん坊を見てぎょっとした顔になった。

 

「お、おまえいつの間に産んだんだ?! ちくしょう、父親は誰だ!」

 

「ちっ、違うよ。違う違う!」

 

 フレッドは若草色の爽やかな瞳に、困惑を混じらせる。

 

「じゃあ、誰かから預かったのか? ん、なんだあの黒いカケラみたいなやつ」

 

「あれ卵のカラだよ。あの卵からこの子が出てきたの」

 

「出てきたって……人間が卵から孵るはずないだろ。鳥類や爬虫類じゃあるまいし」

 

 フレッドは困り果てたように頭をかきつつ、赤ん坊を覗きこんだ。

 

 フレッド=コリンズは17歳の少年である。田舎の村人にも関わらず目鼻立ちが品よく整い、加えて表情のそこかしこに人の良さが滲み出ている。ゆえに同性からは慕われ、異性からは好意を寄せられるような少年だった。

 

「ん? でもこの赤ん坊、ものすごく可愛いな。可愛い……ものすっごく、可愛いな」

 

 眉を寄せつつじーっと赤ん坊を覗き込むフレッドに、赤ん坊はまたしてもとろけるようなマシュマロ笑顔で攻撃した。
 一撃で心臓を撃ち抜かれたかのごとく、フレッドは突然いきりたち、

 

「よし、オレが育てよう!」

 

 とのたまった。

 

「待って、正気に戻って!」

 

「心配するな二コラ、この子はオレが必ず幸せにするから!」

 

 二コラの手から赤ん坊を抱き上げて、フレッドはめろめろの表情で赤ん坊をぎゅっと抱きしめる。
 しかしその時、赤ん坊が火のついたように泣きはじめた。

 

「ふぎゃああ、うぎゃああ」

 

「わっ、なんだどうした」

 

 慌てるフレッドの腕の中で、赤ん坊はふくふくした手を必死に伸ばして、二コラに助けを求めているようだった。
 二コラはまたしても心臓を撃ち抜かれる。

 

「か……可愛い! あたしじゃないとダメなの? なんなの? 結婚する?!」

 

 二コラは赤ん坊を幼馴染の手から奪い返す。そこで我に返ったフレッドが、二コラを落ち着かせた。

 

「待て、冷静に考えるんだ。黒い卵から孵る人間など、聞いたことがない。もしかしたら人間じゃなくて、幻獣のたぐいかもしれないぞ。いったん帝立の幻獣研究所に連絡して指示を仰いだ方がいいかもしれない」

 

 二コラもそこで、我に返る。
 そうだ、どんなに可愛くても、正体がよく分からない生き物を育てることなど不可能だ。しがみついてくる赤ん坊を抱きとめつつ二コラはひとまず家の中に戻って、フレッドと相談することにした。

 

 

 

 

 二コラが住むこの世界は、地上と空、二つの区域に分かれている。

 

 地上のほとんどを支配するのは人間だ。強大な王国がひとつあり、これが大陸の頂点にある。その他にいくつかの部族が存在するが、王国の認可のもとで、自分たちの暮らしを守っている状態だ。

 

 地上であっても人間が住めないような場所には、エルフやドワーフ、幻獣などが住んでいる。日の光が届かない峡谷(きょうこく)や、深い霧に包まれた森、万年雪に埋もれる高山地帯がそれに当たる。
 彼らは人間には使えない不思議な力を持っているが、互いに不干渉を貫いているため、それぞれの姿すら滅多に見ることがなかった。

 

 一方空には、幻獣やエルフよりも遠い存在である種族が住んでいる。
 空には巨大な大陸が浮遊しており、そこを住みかとして、大空を自由に飛び回る竜族が住んでいるのだ。

 

 彼らの存在は神格化されており、畏怖の対象となっている。幻獣やエルフには運が良ければ出会うこともあるが、竜には滅多に会えないどころか一生を会わないまま終わるケースの方が圧倒的に多い。空を見上げると、時折大空を舞う竜の影が映るくらいだ。

 

 ダイニングテーブルを挟んで座り、フレッドは難しい顔で腕組みをした。

 

「見た目の可愛さはエルフのものだけど、エルフはだいたい金髪碧眼だし、日の光から生まれるからなぁ。ドワーフみたいにがっしりしてないし、ゴブリンとは似ても似つかない。幻獣が人間に化けたっていう可能性が一番高いかな。確かユニコーンは人間に変化することができるっていう伝承があったよな」

 

 しかし生まれたときからこの姿だったのだ。化けた、というのは考えにくい。
 二コラは気持ちよさそうに抱っこされている赤ん坊を見下ろした。裸でいさせられないため、持っている中で一番手触りの良いタオルでくるんでいる。

 

「もしかして、竜族だったりしない?」

 

「それこそ鶏小屋に卵を放っておくことはしないと思うよ。竜族の子どもはめったに生まれないらしいんだ。もっと大切に守ってるよ。山や森に住むはぐれ竜の伝承もあるけど、100年に1度あるかないかっていうレベルで、眉唾ものだ」

 

「そーなんだ。さすがフレッド、物知りだね」

 

 拍手して褒めると、フレッドは耳をちょっとだけ赤くした。

 

「――と、とにかく、もしこの子が竜族だとしたら、髪や目の色からして黒竜だよ。黒竜は竜帝の血族だから、この子はとんでもない大物ってことになる。もしオレたちのところに黒竜がいることが竜族にバレたら、あっという間に口から噴き出る炎で焼き殺されてしまうよ」

 

 二コラの顔が青くなった。

 

「もし黒竜だったらどうしよう」

 

「それは極端な例で、実際はありえないよ。でも希少生物かもしれないから、さっき言ったとおり研究機関に連絡して、引き取りに来てもらった方がいいと思うよ」

 

 ということは、帝立研究都市の幻獣研究所に相談することになる。あそこには薬学研究所があり、そこのせいで二コラが廃業の危機にあっている。だから超個人的な理由で印象は良くない。が、背に腹は代えられなかった。

 

「でも研究所宛ての手紙って、どう書けばいいの?」

 

「オレが代筆してあげるよ。近いうちに郵便屋に渡しておくから」

 

「ありがと。じゃあ返事が来るまで、あたしがこの子の面倒をみるね」

 

 二コラは赤ん坊をあやしながらそう言った。

 

「大丈夫か? 返事が来るまで一週間以上はかかるぞ。育児経験のある村のおばさん連中に任せた方がいいような気がするんだけど」

 

「だーいじょうぶ! だってこんなに可愛いんだもん。すっごく大人しいし」

 

 赤ん坊に頬ずりしながら、二コラは気楽に言った。
 しかし二コラはこの時、赤ん坊の本当の恐ろしさをまだ知らなかったのである。

 

 

 

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