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 真っ黒い卵から出てきたのだ。マナが普通ではないことくらい、二コラが一番よく知っている。
 でも卵から孵ったということは、マナには伏せていた。あまりに人間離れしすぎていて、説明しづらかったのだ。だから『ある朝、鶏小屋に置かれていた』とマナには説明している。

 

 マナは、天使のように愛らしい赤ん坊から、絵本から抜け出た王子様のような美少年に変貌した。

 

 離乳食ではなく大人と同じものを食べることができるし、当然のことながら泣いたりぐずったりもしない。
 それどころか家事や仕事の手伝いを率先してやってくれた。

 

 マナはとても要領がよく賢かったから、イチ教えただけで十のことを吸収し、手際よくやってのけた。

 

 最初は違和感があった。
 今までおむつ替えから食事まで、マナの世話をすべてやっていたのだ。いきなりデキる美少年になってしまって、二コラの方が戸惑ってしまう。

 

 午前中の仕事を終えて、向かい合って昼食を食べていると、ふいにマナと目が合う。
 するとマナはとろけるように微笑みかけてくるのだ。こういうところは赤ちゃんの頃と変わらず、破壊力抜群である。二コラは毎回瀕死の重傷を負いつつも、可愛いマナをぎゅうぎゅう抱きしめてしまうのだった。

 

 マナとの生活は、二コラにとって幸せそのものだった。
 だから研究所の人間たちが、まるで実験動物のようにマナを扱い、そして強制的に連れ去ろうとしたことが今でも許せないでいる。

 

 もう二度と、研究所の人間たちと関わりたくない。二コラは強くそう思っていた。
 だから、フレッドが「マナは手に負えないから、民間の幻獣保護団体に連絡したほうがいい」という意見を受け入れられなかった。

 

 いくら民間の保護団体とはいえ、実質はきっと研究所と変わらないだろう。王室の目が届かない分、もっとひどい可能性もある。

 

 しかも、数日前の深夜にまた、研究所の人間と思われる男たちがマナに接触してきたようだった。少なくとも二コラはそう考えていた。
 前回マナに相当こらしめられたようだったから、あれ以来姿を現さなかったのに。

 

 だからマナにはこれ以上関わらないように釘を刺しておいたが、マナは相当気になっているようだ。どうやら甘い言葉を囁かれたらしい。

 

 可哀想だけど、マナのために彼らと関わらない方がいいに決まっている。
 二コラは心を鬼にして、再び彼らのことを相談しに来たマナに、「関わるな」と忠告した。

 

 そんな日の午後である。
 注文を受けていたお客さんが、結局来なかった。
 そういえば飛び込みのお客さんも、もう10日ほど来ていない。

 

(最近売り上げが落ちまくってるなぁ)

 

 二コラは肩を落とす。
 帝立薬学研究所の薬はそんなに良いのだろうか。
 成分を研究してみようと思い、以前注文をかけたのだが、何だかんだと理由をつけられて配達を断られてしまった。
 もしかしたら競合からの注文だとバレたのかもしれない。

 

 店先で待っていても売り上げは上がらないだろう。それならば、村へ行って営業をかける方が現実的だ。
 受け身でお客さんを待っていても、らちが明かない。

 

(営業かぁ。苦手だなぁ……)

 

 一度村でやってみたことがある。けれど、イヤな思い出にしかならなかった。さらに薬は売れなかった。

 

 村を避けて隣町まで出向くとしても、寄りあい馬車を使わなくてはならない。今の二コラにとって、交通費は痛い出費だ。

 

「どうしたの母さん。浮かない顔だけど」

 

「最近お客さんが減っちゃったなぁって」

 

「ああ、実入りが少なくなると困るね」

 

 マナはついこの前まで赤ん坊だったのに、姿かたちと同様、知識も年相応まで成長しているようだ。あのぷにぷにしていたマナから「実入り」なんていう単語が出てくると、二コラの方が戸惑ってしまう。

 

「営業しなきゃいけないのは分かってるんだけど、村のほぼ全員と顔見知りで、お互いの事情も知ってるから、やりにくいんだよね。……ってマナに話すことじゃないね。ごめん、気にしなくていいよ」

 

「うん。夜ごはんつくる?」

 

「そうしよっか。なにがいい?」

 

 母さんの作ったのならなんでも、と微笑みつつ、ふとマナは表情を消して呟いた。

 

「お客さん、か」

 

 

 

 

 翌朝はフレッドが薬を取りに来る日だったが、妹のエルゼが代わりにやってきた。

 

「お兄ちゃん、久々に発作が出てゼーゼーしてるから、家から出られないんだ」

 

 兄に似て品よく整った顔立ちの美少女である。目が少し釣りぎみで、気が強そうな印象を与える。

 

「それじゃあ強めの薬作って、お昼くらいに渡しに行くよ」

 

「ありがとう。でもいいの? お昼からお客さん来ない」

 

「うん、今日は注文なかったし、飛び込みのお客さんも最近はぜんぜんいないんだ」

 

「そっかぁ。みんな薬研やっけんで買うようになっちゃったもんね。大量生産するから値段が安いらしいよ。でもあたし、あの営業の人キライ。二コラちゃんの方が断然スキ。……ん?」

 

 その時居間からマナが顔を出した。

 

「母さ……じゃなくて、二コラ。この葉磨り潰したけど、何グラムずつに分けておけばいいの?」

 

「ななななななにこのイケメン!!」

 

 エルゼは仰天して、二コラのえりをがくがく揺さぶった。

 

「ニコラちゃんのカレシ?! 年下のカレシ?! 色気ゼロの二コラちゃんがこんな上玉を? ああああお兄ちゃん完敗! 勝てるとこナシ! 10年来の片思い報われず! 可哀想すぎて涙出る!」

 

「ち、ちがうよエルゼちゃん! この子は知り合いの子で、預かってるだけ」

 

「そんなヨタ話、誰が信じるっていうの?」

 

 エルゼの目は据わっている。
 そこへマナが、エルゼの顔をじっとのぞき込んだ。

 

「目と鼻の先が赤いね。肌も荒れぎみだし、もしかして花粉症?」

 

「えっ? あ、う、うん……っ」

 

 イケメンからのドアップに、エルゼは動揺しきりである。

 

「二コラ、アレルギーを抑える薬あったよね。あれ、どこにあったっけ?」

 

「ええと、一番右の棚の、12番の箱の中だけど」

 

 マナはそれを取ってきて、三回分の分量を渡した。極上の微笑みで、エルゼを見つめる。

 

「これ、お試し分。もし効き目があったら、次から買ってくれると嬉しいな」

 

「う、う、う、うんっ。た、た、試してみるねッ」

 

 エルゼは腰砕けになりつつ村へ帰っていった。恐るべしイケメンパワーである。

 

「お昼から村に行くんだよね。僕もついて行っていいかな」

 

 本当は、研究所対策として、マナを人前に出すことは避けたい。コソコソ行っても絶対に目立つ。ただ立っているだけで目立つ。

 

 しかし、二コラはマナに負い目があった。
 マナはもっと外に出たいだろうし、色んな人と関わりたいに違いない。だからついオーケーしてしまう。

 

「うーん、じゃあ一緒に行こうか」

 

「じゃあ、花粉症の薬や滋養強壮のドリンクをいくつか持っていこうか。うまくすれば村の人たちにいくつか渡せるかもしれないよ」

 

 

 

 

 それはつまり、村で営業をする、ということだろうか。
 マナと並んで坂道をくだりながら、二コラは気が重くなっていった。

 

 マナは大きなバスケットをさげていて、その中に抗アレルギーの薬や疲労に効く滋養強壮剤、そして不眠に効く軽い睡眠薬などを入れていた。

 

 正直、気が乗らない。以前営業した時の苦い記憶が甦ってくるからだ。

 

 マナだったら、女の人には薬を売ることができるかもしれない。でもイケメンパワーで薬を売ったら、男の人に睨まれてしまう。
 自分の奥さんや恋人がウキウキしながらイケメンから薬を買っていたら、旦那さんたちは面白くないだろう。そうしたら結局は男の人に反対されて、薬は売れなくなる可能性が高い。

 

 マナはそのあたりのことを、分かっているのだろうか。一体どうするつもりなんだろう。

 

 今までどおり、望んでくれるお客さんに売っていって、静かに暮らしていくことはできないのだろうか。

 

(ド貧乏になってボロを着なきゃいけなくなるのがオチかな)

 

 マナまでそんな人生に巻き込みたくはないものだ。

 

 村に入ると、覚悟していたがやはりマナは目立ちまくった。
 驚異のイケメンオーラで、村の婦女子たちを次々になぎ倒していく。

 

 二コラは慄きながら、なるべく目立たないように体を小さくして、マナの斜め後ろを歩いた。持っていたハンカチをほっかむりにしてコソコソし、「なによあの隣にいる女は!」という嫉妬の集中砲火から身を隠す。

 

 そうしてやっと、フレッドの家に辿りついた。

 

 

 

 

 ベッドに横たわるフレッドは、呼吸音がゼーゼーとして苦しそうだった。すぐに薬を飲ませ、しばらく経つとその音が少しずつおさまってくる。

 

 フレッドは上体を起こして、疲れた笑みを見せた。

 

「ありがとう、二コラ。強めの薬を切らしてたことに今朝気づいたんだよ。助かった」

 

「予備の分も持ってきたから、薬箱に入れておくね」

 

「悪いな。やっぱり二コラの薬が一番効くよ」

 

「でも最近お客さんがめっきり減っちゃってさぁ」

 

 二コラはついつい愚痴ってしまう。

 

「ああ、薬学研究所か。あそこはあんまりいい噂を聞かないよ。薬師のいる村や町を狙って営業をかけて、薬師の顧客を半分奪うんだ。そうすると、薬師は生活が成り立たなくなる。
 その時高額をぶら下げて、研究所の連中が調合レシピを買い取りに行くらしい」

 

「レシピはどこもだいたい口伝だと思うけど。症状によって、文章にするのが難しい微妙なさじ加減があるからね」

 

「その辺にこだわると大量生産ができないから、一般的なレシピでいいから書いてくれって言ってくるらしいよ」

 

「何それひどい」

 

 調合レシピは秘伝だ。薬師のネットワークである程度共有されているが、それでもどの薬師も、「我が家の特別」というレシピを持っているものである。
 それさえ差し出さなければならないほど、生活を追い込まれるなんて、相当だろう。

 

「二コラのところは大丈夫か?」

 

「減ってはいるけど、フレッドみたいに昔からのお客さんがいるから、何とか」

 

 明日は我が身と思いつつ、つい強がりを言ってしまう。しかしフレッドには強がりを見透かされてしまったようだ。

 

「村の人に直接薬を売りに行ったらどうだ? 全員顔見知りだから気まずいかもしれないけど」

 

「うん、せっぱつまってきたらやってみるよ」

 

「ああそうだ。そこの棚の中にオレの小さくなった服を置いておいたから持っていけよ。お古で悪いけど、マナにちょうどいいはずだ」

 

「ありがと、助かる! あっでもこのズボン、マナには足の長さが足りないなぁー」

 

「このやろう」

 

 マナは静かに二人の会話を聞いていた。

 

 

 

 

 しかし、薬学研究所のうわさを聞くにつけ、ここは営業に本腰を入れなければならないかもしれない。

 

(がんばってみるかなぁ。マナのためにも、お金は必要だしね)

 

 このキラキラしい少年に、つぎはぎだらけのボロなんて着せられない。
 よし頑張るぞ、と決意を新たにしてフレッドの家を出た時、目の前には信じられない光景が広がっていた。

 

 

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