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 翌日、少しだけ事態が好転した。
 フレッドの妹エルゼが、女友達を数人連れて薬を買いに来たのだ。

 

「あれからみんなと話し合ったんだけど、やっぱりあの薬研やっけんの人、乱暴だと思うんだよね。二コラちゃんのこと突き飛ばしてたんだって? しかもあれからずっとここの悪口言い触らしてるし、聞いててすっごいイライラしてくるの」

 

 エルゼは、二コラが今までいかに親切にしてくれたかを語り、そして家族ぐるみで付き合いのある大切な友達だと言った。

 

「マナ君のことは正直ちょっと怖いけど、でもいつもこっちの症状を真剣に聞いてくれて、ぴったりの薬を出してくれるし、優しいし可愛いしカッコイイし可愛いし ……」

 

 エルザの友達も大きくうなずいている。
 その中のひとりが口を開いた。

 

「それに薬研の人みんな男でしょ? ニキビに効く薬とか、乾燥肌にいいローションとか、そういうの全然分かってくれないんだよね」

 

「そうそう。アノ日用の痛み止め、頼みにくいしね。その点二コラちゃんはこっちの気持ち分かってくれるから」

 

 そこへエルナおばさんも現れた。

 

「やっぱあんたんとこの薬じゃないと、うちのじいさん良くならないわー!」

 

 それから申し訳なさそうな顔になって、

 

「あの時庇ってやれなくてごめんね。おばさんもさすがにびっくりしちゃって。ああいうの、50年生きてきて初めてみたからさ。それにねえ、マナ」

 

 おばさんはマナに向き直り、小声でささやいた。

 

「あんた、本当はあの時の赤ん坊なんだろう? 髪の色が同じだし、なにしろべっぴんさんだし」

 

 マナは答えにきゅうした。するとエルナおばさんは豪快に笑って、

 

「答えなくてもいいさ。でもあたしんとこはここの薬にずっとお世話になってるんだ。これからもよろしく頼むよ!」

 

「うん、そうそう! うちのお兄ちゃんも、ここじゃないとダメだーって言ってるしね。残念ながら失恋確定で、この前ちょびっと泣いてたけど、でも薬はここしか考えられないって言ってるよ」

 

 二コラはぽろぽろと涙を零しながら「ありがとうみんな」としゃくりあげていた。マナは二コラの背中を撫でながら感動していた。

 

 お客さんがこうして戻ってきたのは、すべて二コラの人徳だ。これが二コラの歩いて来た道なのだ。

 

 そのあと数人の客さんが激励に来てくれて、なんとか食べていけそうな目星がついた。
 しかし、薬研の連中はそんなささやかな売り上げも許せなかったらしい。

 

 翌朝起きて庭に出て、マナは我が目を疑った。
 レンガ造りの壁一面に、「出て行け」「バケモノ」「毒薬」などの貼り紙がなされ、庭一面に真っ黒のペンキがぶちまけられていたのだ。
 ペンキは薬草園にもかかっていて、すべて使い物にならなくなってしまっていた。

 

「こんなこと、ひどすぎる」

 

 二コラは必死に涙をこらえながら、唇を噛んで震えていた。マナはあまりの衝撃に、苦しんでいる二コラを、支えることすらできなかった。

 

 薬研の連中を何とかしなければならない。
 けれど今いる販売員たちを追い出したところで、新たな人材が派遣されてくるだけだろう。

 

 根本である薬学研究所そのものを叩かなくてはどうにもならない。
 だが、マナにはその方法が全く分からなかった。

 

 

 

 

 約束の夜、マナは椿のもとに行った。
 前回と同じように、見えない膜をくぐりぬけて青い空間へ入っていく。
 泉のほとりは、青白い光がキラキラと舞い降りていた。

 

「よく来た、マナ」

 

 椿がうなずいて、桔梗の方に目をやった。桔梗はすでに、少年の姿ではなかった。

 

 1メートルほど浮き、胡座している状態は同じだが、姿かたちは20歳前後の青年に変化している。
 肩のあたりで切り揃えられた美しい髪がふわりと浮いて、彼は目を開いた。マナや椿と同じ、金色に輝く目だ。

 

 桔梗はつま先を地面につけて、降り立った。スラリとした長身に、白皙の美貌を備えた青年は、まるで造り物のようだ。

 

「変身できるか、桔梗」

 

 椿の問いに、桔梗は無言でうなずいた。次の瞬間、彼の周囲に光りが集まり、輪郭が曖昧になる。ゆっくりと光が延びて、家一軒分よりも大きくなった。やがてそれはある生き物の形を取る。

 

 全身を覆う、なめらかな青のうろこ。
 トカゲのような細身の体に、長い尾。コウモリのような翼に、鳥類のような鉤づめのある手足。鋭い牙がのぞく大きな口に、爬虫類のような鋭い黄金の双眸。

 

 それは天空の支配者、竜の姿そのものだった。

 

「あまり驚かないんだな」

 

 椿の問いに、マナは我に返った。

 

「いや、驚いてるよ。驚きすぎて、声も出ないくらいなんだ」

 

「にしては冷静だ。本能の部分で予感をしていたんだろうな。――もういい桔梗。もとに戻れ」

 

 桔梗は長い尾を一度振った後、再び光に包まれた。青年の姿に戻っていく。
 マナは首を横に振った。

 

「僕が竜だなんて、信じられないよ」

 

「成体になれば竜に変身できるようになる。君もそうだ。亜成体の時期でも、体にうろこが出るだろう? 夜目が効くし、気配にも敏感だ。人間の能力など、比べ物にならない。心あたりがあると思うが」

 

「……。僕が竜だったとして、それで何が変わる? 僕は今までと同じように、ここにいられるの?」

 

「君は比較的自由な身だ。竜族は誰も、君を縛ることができない。
 だが人間は違う。彼らは我々を神格化し、従属を装っているが、それは恐怖心の裏返しだ。
 恐怖は人間の心を歪ませる。身に覚えはないか? 恐怖にかられた人間に、攻撃されそうになったことは?」

 

 マナは悲壮な思いで押し黙った。

 

「君はずっと何かを憂えているな。自分が竜だと確信できたら、いつでもオレたちを呼べ。君が成体になれば、生き物はすべからく、君にひれ伏すだろう。結果、君の憂いは一掃される」

 

「でも、僕が竜だなんて。僕は捨て子だったのに」

 

「では今一度、君の親代わりに聞いてみるといい。君は何から産まれたのかと。
 人間は母親の胎内から産み落とされる。けれど竜は、卵から孵る。
 恐らく君は黒い卵から孵ったのだろう。もし親代わりがそれを認めたなら、君は間違いなく竜だ」

 

 

 

 

 茫然としつつ、マナは夜の森を引きかえして家に戻った。
 しかし扉を開けて、マナは絶句する。
 家の中が酷く荒らされていたからだ。

 

 椅子が倒され、タンスはぶちまけられ、カーテンは破られていた。薬剤が床に撒かれ、刺激臭が部屋に満ちている。
 そして部屋の隅に、二コラがうずくまって震えていたのだ。

 

「二コラ!」

 

 マナは顔色を変えて、二コラを抱き起こした。二コラは恐怖に震える手で、マナの服をつかんだ。

 

「知らない男の人がたくさん来て、ここから出て行けって言われたの。毒薬をこれ以上作るなって」

 

「まさか、薬研の人間が?」

 

「分からない。でも、抵抗したら殴られて『これ以上痛い目に遭いたくなければ薬のレシピを書いてよこせ』って言われて、三日後にまた来るから、それまでに用意しておけって……その時は家にひとりでいろって」

 

「クソ、あいつら……!」

 

 マナはとっさに男らを追おうとしたが、二コラが震えながら「行かないで」と言ったので、ここに留まった。怯える二コラを抱きしめる。
 二コラは殴られそうになった時、とっさに腕で顔を庇ったようで、腕に打ち身を追っていた。赤くなった箇所を見て、マナは奥歯を噛みしめる。

 

 怒りで頭がどうにかなりそうだった。ざわりと肌がわざめいて、腕が黒いうろこに侵食されていく。

 

(もし、僕が竜であれば――)

 

 竜の力があれば、二コラを守れるのだろうか。
 けれど、竜だと分かってしまえば、マナは二コラのそばにいられないだろう。
 マナは二コラの肩に顔をうずめるようにして、きつく抱きしめた。

 

 二コラはマナの腕の中で、泣き疲れて眠ってしまった。
 窓を開けて空気を入れ替え、ベッドの上に移動して、抱いたまま二コラに毛布を掛ける。
 マナはそのまま眠れない夜を過ごした。やがて白んでいく空の向こうを見つめていた。

 

 

 

 

 鶏が騒ぎ始めたころ、二コラは目を覚ました。ずっと起きていたマナに、笑顔を見せる。

 

「昨日は取り乱しちゃってごめんね。もうこうなったら、レシピを思いっきり高く売りつけてやるよ。あたしは転んでもタダじゃ起きないんだから。だからマナは心配しなくていいよ」

 

 その笑顔が痛々しかった。マナは二コラのケガの手当てをした。

 

 少数の客に薬を売り、一日が過ぎていく。
 レシピを奪う算段がついたからか、嫌がらせはなりを潜めていた。
 そして、レシピを渡す日の夕刻に、マナは二コラにわがままを言った。

 

「森の中に素敵な場所を見つけたんだ。二コラに一緒に来てほしいな」

 

「うーん、でも今日は夜にレシピを渡さなくちゃいけないから」

 

「夜までには帰るよ。まだ夕焼けの時間帯だから、いいでしょ?」

 

 渋る二コラは、しかし珍しいマナのわがままを聞き入れてくれた。
 夕日に赤く染まる森の中を、マナは二コラの手を引いて進んでいく。薬を作る二コラの手は、マナのそれより少しだけ大きい。

 

「いつもの森に見えるけど、素敵な場所ってどこ?」

 

 マナは泉を囲む見えない膜をかき分ける。二コラと手を繋いでいたから、彼女も一緒に中へ入ることができた。
 その場所に、椿や桔梗の姿はなかった。けれど空からキラキラと、黄色い光が舞い降りていた。

 

 これは桂花の光だと、本能的に悟る。
 桂花もまた、桔梗と同じように移行が完了し、成体になったのだろう。

 

「うわあ、綺麗な光。蛍かなぁ」

 

「うん、綺麗だね」

 

 二コラの髪に、キラキラした光が舞い降りる。それを手で払いながら、マナは三体の竜が近くにいることを肌で感じ取っていた。

 

「母さん――二コラ。ひとつだけ教えて。僕は黒い卵から産まれたの?」

 

 二コラは数秒黙った後、逡巡しながらも頷いた。
 真実が確定した瞬間だった。
 マナが、自分は竜であると疑いなく自覚した瞬間、体内に力が奔流するのを感じた。

 

 体を折り、呻き声を上げる。二コラが慌ててマナに腕を伸ばしてきた瞬間、巨大な三体の竜が空から舞い降りた。

 

 驚愕する二コラの顔の前に、マナはてのひらをかざす。すると、二コラは糸が切れたように気を失った。崩れ落ちる体を受けとめる。

 

「僕はこれより、成体となる」

 

 本能がすべてを、マナに教えた。
 あか、青、黄。三体の竜は恭しくこうべを垂れる。

 

紅竜こうりゅう・椿。黄竜おうりゅう・桂花。おまえたちは僕の護り人を務めろ」

 

「任されたぜ!」

 

「強大な力を持つ貴方の移行期は、ものの数分で終わりましょう」

 

 竜の声帯は、言葉を難なく操った。

 

「そして青竜・桔梗ききょう。近くの村のフレッドという少年をここへ連れてきてくれ」

 

 

 

 

 その夜――。

 

 帝立研究都市の一角、薬学研究等にて、三体の竜を引き連れた、一際巨大な竜が姿を現した。
 漆黒に艶めくうろこが、美しく曲線を描く胴体を覆う。その堂々たる姿は、まぎれもなく黒竜。龍王の血脈に連なる竜の姿だった。

 

 三体の竜は、村に派遣されていたはずの販売員たちを研究棟の庭に放り出した。騒ぎを聞きつけて集まってきた研究員たちを、鋭い鉤づめと口から吐き出す炎で威嚇する。
 研究員らは震えあがった。

 

 黒竜が、地を揺るがす大音声で告げる。

 

「我らはすべてを見ている。天道に背くかの如く卑劣なさまをこの目に見せるな。二度同じことをした時、この地は焦土と化すだろう」

 

 身に覚えのある薬学研究員たちは、偉大なる黒竜にひれ伏し、二度としないことを誓った。

 

 

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