前へ 表紙 次へ

 

 ――どうしよう。

 

 二コラはがらんとした牢屋のスミで両膝を抱えていた。
 石床から冷気がひたひたと押し寄せて、全身に鳥肌が立つ。

 

(竜神祭が終わるまでここにいろって……、あと半月も?)

 

 そんなことになったら、せっかく客足が戻り始めた店が、また立ち行かなくなってしまう。薬が足りなくなって、困る客も出るだろう。
 頭痛がした。体が重苦しい。横になりたがったが、石の床はあまりにも固く冷たい。

 

「あたしって、ほんとダメだなぁ」

 

 せっかくマナが立て直してくれた店なのに。
 二コラは両膝を引き寄せて、顔をうずめる。声を押し殺しながら、泣いた。他に誰もいない留置所に、二コラのしゃくりあげる声だけが響く。

 

「おい、あんた」

 

 ふいに声が掛けられて、二コラはびっくりして顔を上げた。鉄格子の向こうに例の金髪がいる。走ってきたのか、息が上がっていた。

 

「大丈夫か? すぐにカギ壊しててやるからな。ったく、こういう時に守衛が全員見回りに出てるんだから」

 

 金髪の青年は、ひどく美しい容姿にも関わらず、荒業を実行した。力任せに錠前を叩き壊して、牢をこじ開けたのだ。

 

「さあ来いよ。なんだおまえ、泣いてたのか?」

 

 二コラの涙に、青年は少し怯んだようだった。牢屋から出られた二コラは、ひとまず彼に頭を下げる。

 

「出してくれてありがとう。それと、マナを見る機会を作ってくれてありがとう」

 

「あ、ああ……。けど、おまえ、あんまり嬉しそうじゃねえな」

 

 二コラは力なく首を振った。

 

「そんなことない。嬉しかったよ。感謝してる。手間かけさせてごめんなさい。もう宿に戻るね」

 

「んな棒読みで礼言われても……。マナのやつもずっと元気ないし」

 

 青年は困ったように頭を掻いてから、ふいに二コラの腕をつかまえた。

 

「よし、わかった。なら今からマナに会わせてやるよ!」

 

 想定外の申し出に、二コラは絶句した。

 

「あんたが牢屋にぶち込まれたのも、もとはと言えば誘ったオレの責任だ。そのお詫びに、マナに会わせてやるよ」

 

「いい!」

 

 二コラはとっさに断った。青年は目を丸くする。

 

「なんでだよ、会っていけよ。オレ竜族なんだ。オレと一緒なら王宮にも入れるからさ」

 

「いいの、もうマナには会わなくてもいい。宿に帰るから、手を離して」

 

「だから、王宮に滞在させてやるって言ってんだよ。とにかく来いよ、おまえ顔色悪いぞ。暖炉のある部屋に連れてってやるから」

 

「いいって言ってるでしょ、もう離して!」

 

 無理やり連れていこうとする青年に、二コラは泣きながら抵抗した。

 

(マナには会えない。――会いたくない)

 

 自分が意地を張っているのは分かっている。
 でも、どうにもならないのだ。マナは別の世界の人になってしまった。きっともう、マナの視界に二コラは映らない。
 だから一人きりで泣きたかった。
 泣き疲れて眠りについて、そして村に帰っていつもどおりの日常に戻りたかった。
 そうして、マナのことをあきらめたかった。

 

「離し、て……」

 

 頭痛がする。眩暈がして、立っていられなくなる。そのままずるりと崩れそうになる二コラを、青年が抱きとめた。とたんに、彼の顔色が変わる。

 

「おまえ、すごい熱じゃねえか……!」

 

 

 

 

 マナはバルコニーへ続く窓を閉めた。室内でひとり、首をかしげる。

 

(桂花のやつ、明らかにおかしかったな)

 

 今さっきの話ではない。桂花は今日畑から戻ったあとからおかしかった。何かを隠しているように、始終ソワソワしている。もともと桂花は、嘘をつけない素直なタチなのだ。

 

(そういうところは、ニコラに似てるな)

 

 マナは苦笑しつつ、胸が切なくなる。
 畑のことを思い出す。街の一角にぽつんと忘れ去られた畑を見つけて、それが薬草園だったという話を聞いて、いてもたってもいられなくなった。
 土いじりは苦手だけど、気づいたら無心で薬草園を整えていた。
 二コラと庭の薬草園を手入れをした、あの時のことを思い出しながら。

 

 別れ際の、二コラの泣き顔を思い出す。
 そして、青空のように明るい笑顔を。

 

「……ああ、だめだな」

 

 マナは目を伏せた。
 二コラと別れてからふた月以上経つのに、まだ振りきれていない自分がいる。

 

 このままでは眠れそうにないから、マナはそのあたりを散歩することにした。
 先ほどの騒ぎが気になっていたのでそこを通ってみると、二人の守衛が詰所の前で困り果てている様子である。

 

「おい、おまえ行ってこいよ」

 

「やだよ、モメてる竜族を止めに行くなんてそんな恐ろしいこと」

 

 マナは首をかしげつつ、会話に割って入る。

 

「僕らがどうかした?」

 

「こっ、これは黒竜様……!」

 

 守衛たちは飛び上がってから平伏した。人間たちが竜族を神格化しているという話は知っていたが、こういう待遇にマナは戸惑ってしまう。村で受けたバケモノ扱いを思い出し、本音ではそう思っているのではないかと勘ぐってしまうのだ。

 

「ええと……なにか困ったことがあるなら、力になるけど」

 

「いいえ、滅相もございません!」

 

「黒竜様のお力に頼るなど畏れ多い!」

 

「おおげさだなぁ。……あれ?」

 

 ふいに、詰所の中から匂いが運ばれてきた。この匂いは桂花だ。そして、もうひとつ、嗅いだことのある匂いが鼻先をかすめた。

 

(この、匂いは)

 

 答えに辿りついた時、マナは考えるよりも先に、守衛たちを押しのけて詰所へ駆け込んでいた。

 

「えっ、ちょっとあの、黒竜様?!」

 

 慌てふためく守衛をよそに、マナは匂いを辿って地下へ駆け降りる。そこは留置所になっていて、牢屋が三つほど並んでいた。
 一番手前の牢屋の前で、桂花と、そして二コラがもみあっているのを見て、マナは愕然とする。
 桂花がなぜか二コラを引っ張り上げていて、そして二コラは泣いていたのだ。

 

 

 

 

 すごい熱?

 

 金髪青年に指摘されて、初めて気が付いた。
 そういえば夕方くらいからずっと頭痛がしたし、体がだるかった。
 精神的なモノだとばかり思っていたけれど、 風邪を引いていたらしい。

 

「とにかくあったかい部屋に――そういやおまえ薬師なんだよな。薬持ってないのかよ」

 

「宿に、あるから……だから、もう戻らせて」

 

「オレが取ってきてやるからとにかくおまえは王宮のベッドで休んでろ。ほら行くぞ。歩けないならおぶってやるから」

 

「やだってば、離してよ……!」

 

 力なく身をよじった時、別の声が割りこんだ。

 

「やめろ桂花!」

 

 同時に桂花が吹っ飛んだ。
 びっくりして固まる二コラを、優しい腕が掬い上げる。

 

「大丈夫、二コラ?!」

 

 せっぱつまった表情の、とんでもなく綺麗な顔がすぐ目の前にあった。
 二コラは熱で朦朧とする頭で、ぼんやりと考える。

 

(あたし、ついにマナの幻を見るようになっちゃったのかなー……)

 

 これはもう立派なストーカーだ。
 モヤのかかった視界の中の、幻のマナに、二コラは手を伸ばす。

 

「マナ」

 

「ごめん二コラ、桂花のやつ乱暴者で。あいつ、君に何をした?」

 

「マナ、大好き」

 

 伸ばした腕をマナの首に回したら、マナは驚いたように目を見開いた。

 

「好きだよ、マナ。大好き。ずっと会いたかったよ。もう離れたくないよ」

 

「二コラ……」

 

 二コラの意識は遠のいていき、やがてマナの腕の中で気を失った。

 

 

 

 

 それから二コラは、まだ夢の続きを見ていた。
 暖かい部屋の中で、誰かに横抱きにされている。口の中に、小さな何かを押しこまれた。ふいに広がる苦みに眉をしかめる。
 薬?

 

 それから唇にやわらかいものが触れて、口の中に冷たい水が流しこまれた。びっくりして身じろぎすると、優しく喉をさすられた。それで安心して、二コラは水とともに薬を飲み込んだ。

 

 やがて体が軽くなっていき、さらなる睡魔に襲われる。
 夢すら飲み込む深い眠りの一歩手前で、二コラの耳に囁きが落ちた。

 

「おやすみ、二コラ。僕も君が大好きだよ」

 

 

前へ 表紙 次へ

 

 このページにしおりを挟む
 トップページへ戻る