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 夜。
 雷が窓硝子を、木枠ごと揺らして轟いた。

 

「ひゃああっ」

 

 耳を塞いで縮こまるニコラを、マナが壊れものを扱うように、両腕の中に抱き込む。

 

「大丈夫だよ、ニコラ」

 

 綺麗な金色の瞳に優しさを溶かして、マナはニコラの頬に口付けた。
 それだけでニコラは、体の強張りが少しずつほどけていくのを感じる。

 

「僕はここにいるから」

 

 ニコラは、震える息を吐き出しながら、マナの着ている黒い袍(ほう)をつかんだ。

 

 あの時――マナが赤ちゃんから少年期に移行したとき、マナは仮死状態になった。
 激しい雷鳴が轟き、空は恐ろしい様相を呈していた。

 

 ふくふくして、可愛らしい赤ちゃんだったマナが、瞳を閉ざした。間を置かず、どんどん冷たくなっていく。それが、マナを抱いたニコラの両腕を通して、伝わってくる。

 

 その時の恐怖を、雷はまざまざと思い出させるのだ。

 

 ニコラは鼻をすすりながら、涙の溜まった瞳でマナを見上げた。

 

「マナ、こんな夜遅くにあたしの部屋に来てもらっちゃってごめんね」

 

「気にしないで」

 

 マナは微笑む。
 艶のある黒髪は肩の下あたりまで伸び、右端でひとつにくくられていた。その髪が、さらりと袍のシルク地を滑る。

 

「僕はいつだって、ニコラといたいよ」

 

 そう言ってマナは、ニコラの唇に自身のそれを近づけた。しかし触れる直前で、ニコラがびくんと肩を強張らせたからか、彼の唇は頬にそっと押し当てられる。

 

 夜中(よるじゅう)、嵐はやまないだろう。
 ニコラはマナの腕の中で安心感を覚え、そのうち眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 浮遊大陸に引っ越してからも、ニコラの生活は基本的に変わらない。
 薬を作る。お店に出て、客の竜たちに売る。週に一度、人間の定期客に配るため村に降りる。
 これらの繰り返しである。

 

 変わったことと言えば、家がとてつもなく広い邸宅に変わったことと、お手伝いさんがたくさんいることだ。
 黒竜王の長子であるマナは、つねに何匹もの竜から傅(かしづ)かれる存在である。
 だから、その奥方であるニコラも、同じように敬われた。

 

 最初は貴人になったかのような扱いに慣れなかったが、春から夏を越して、秋になった今ではすっかり馴染んだ。もともとニコラは頭で考えずにすぐ動くタイプだし、前向きな思考回路をしているので、その場に溶けこむのが早いのだ。

 

「嵐の翌朝は、いっつもいい天気だなぁ」

 

 朱塗りの柱が立ち並ぶ回廊から、中庭へ出る。中庭には池があり、蓮の花が優雅に浮かんでいた。

 

 両手を高く上げて伸びをすると、薄手の長衣(ちょうい)が爽やかな風にそよぐ。栗色のショートカットの髪が、サラリと後ろへ流れた。

 

 ニコラは朝の空気を、胸いっぱいに吸い込む。

 

「よーし、今日も一日がんばるぞ!」

 

 

 

 

 ニコラの薬は、竜にも効く。
 だからニコラは毎日調合室にこもって、せっせと薬を作っている。

 

「えーと、今日は竜の邸(やしき)を五軒回るんだったかな」

 

「っすニコラ。今日も朝から精が出るなぁ。遊びたくなんないの?」

 

「桂花(ケイカ)、おはよ。ちゃんと遊んでるから大丈夫」

 

 眩いばかりの金髪を、無造作に短く切った青年がやってきた。彼は黄竜(おうりゅう)の長の息子だ。

 

 彼は竜族らしく繊細な美貌を備えた青年である。けれど底抜けに明るい性格をしているため、笑顔は真夏の太陽みたいにおおざっぱだ。

 

「昨夜、平気だったか? 雷すごかったろ。この季節は嵐がいっぱい来るから大変だよなー」

 

「すっごい怖かった。早く嵐の季節終わらないかな」

 

 生薬を擦り潰しながら、ニコラはため息をつく。桂花は気の毒そうな表情になって、

 

「浮遊大陸(ココ)は雲が近いから、雷鳴と稲光が地上よりすっげーもんなぁ」

 

「そう、そうなんだよ! 嵐の時期だけ村に帰ってもいいんだけどさー……」

 

 そこで桂花がニヤリと笑った。

 

「いいんだけど? 大好きな黒竜殿下と離れたくないって?」

 

「ちっ、違うよ、そんなんじゃなくって、ココにも定期のお客さんいるから、あんまり長く空けられないってこと」

 

 ニコラは耳を赤くして反論した。そんな彼女の顔を、桂花はからかうように覗き込む。

 

「ニコラ、わっかりやすい」

 

「うるさいな、あっちいけ」

 

「昨夜もいっぱい可愛がってもらった?」

 

「なにいってんの、意味分かんない。はーなーれーろー」

 

 ニコラがグイグイと桂花を押していると、もう一人、別の人物が顔を出した。マナだ。

 

「ニコラ、今夜のことだけど、宮中で宴があって僕は留守にするから――――、あ"?」

 

 秀麗な黒竜王子とは思えないほど、不穏な響きの語尾だった。
 マナは桂花の後ろえりを乱暴につかんで、ニコラから引き剥がす。

 

「ここで何してるの、桂花」

 

「ってて。ちょっとニコラと話してただけじゃん」

 

「ふうん」

 

 ぽいっと桂花を背後に放って、マナはニコラをふり返った。端正な面差しに、甘い笑顔が浮かぶ。

 

「大丈夫、ニコラ?」

 

「う、うん」

 

 ニコラはあいまいにうなずきながら、ちらっとマナの手の甲を見た。白くて綺麗なそれに、竜の鱗(うろこ)は出ていない。
 ニコラはほっと胸を撫で下ろした。

 

(マナが本気で怒ると、ウロコが出ちゃうもんなぁ)

 

 ここは竜の王国だから、鱗を出しても問題はない。しかし、使用人らが可哀想なくらい怯えるから、できればマナには平静でいてほしいのだ。

 

(マナはいい子で、優しくって、可愛くて。赤ちゃんの頃からずっと、天使みたいだった)

 

 マナとふたりで過ごせる時間は宝物だ。一度離れた期間があるからこそ、余計にそう感じる。

 

「それでね、ニコラ。今夜のことなんだけど」

 

 マナが話をつづけた。

 

「宴好きの父上が、今度はユニコーンの王族を招いて夜通し呑み騒ぐらしいんだ。僕にも呼び出しが掛かったから、仕方ないけど行ってくるよ」

 

「ユニコーン?! あたしも行きたい!」

 

 ニコラは目を輝かせた。ユニコーンは地上にある霧の森の奥深くに棲む幻獣だ。もちろんニコラは、人生でただの一度も見たことがない。

 

 しかしマナは困ったように笑って、

 

「ごめん、連れていけない。明日の朝早くに帰るから、待っていて」

 

「また留守番かぁ」

 

 ニコラはしゅんと落ちこんだ。

 

 マナの父、黒竜王はハデ好きの酒好で、同種異種入り混ぜて、頻繁に宴を催す。
 マナは王の長子だから、そのたびに王宮へ呼ばれるのだ。

 

 しかしマナは、そこにニコラを決して同伴させなかった。ニコラは不満タラタラである。

 

(あたし、マナの奥さんなのに)

 

 竜族の常識では、同棲イコール結婚、ということらしい。だからニコラは今、マナの妻ということになっている。

 

「奥さんは、行事に同伴するのが普通だよね 」

 

「ニコラはそんなに、ユニコーン族に会いたいの?」

 

 マナは形のいい眉を寄せた。切なくなるような声で言う。

 

「僕だけじゃ、物足りない?」

 

「え……?!」

 

 ニコラはびっくりして、目を丸くした。心臓がドキドキする。

 

「そ、そんなこと、ないよ。でも、たまにはそういう賑やかなところに行ってみたいなぁって思っただけで」

 

 しかしマナの表情は晴れない。ニコラはどうしていいのか分からなくなった。

 

「ええと……それに、マナだけで物足りないなんて、そんなこと思ってなくて」

 

「うん、分かった。もういいよ」

 

 マナはふと、金色の瞳をゆるめた。

 

「ニコラの希望を叶えてあげられなくて、ごめん」

 

 そう言って、マナはニコラの短い髪を梳く。その指がニコラの耳に偶然触れてしまったから、ニコラはかぁっと頬を赤くした。
 マナは優しいまなざしで、ニコラを見下ろし続けている。

 

(なんだかマナ、最近おかしいよ)

 

 これじゃあ可愛い男の子というより、男の人みたいだ。

 

(見た目は立派な男の人なんだけど……)

 

 スラリとした長身、つややかな黒髪。色香を纏う、なめらかな金色の瞳。
 昔みたいに、いつまでも見つめていたくなるような可愛さはもうない。

 

 今は、じっと見ていると胸がドキドキして、自分の顔が赤くなってしまうのが分かる。
 だからニコラは、つい目をそらしてしまうのだ。

 

「僕は今夜帰れないんだけど、どうやら今夜も嵐が来そうなんだ」

 

「えっ、そうなの?」

 

 ニコラはにわかに不安になった。嵐の夜は、いつもマナがそばにいてくれるから、安心して眠れるのだ。
 マナは申し訳なさそうな表情になる。

 

「侍女に言って、ニコラの部屋で一緒に寝させようか。楽師を呼ぶのはどう?」

 

「あ、そこまでしてくれなくて大丈夫だよ。なんとかなるなる。気にしないで」

 

 ニコラはカラ元気で笑った。
 小さい子どもじゃないのだから、雷が怖くて寝られませんだなんて言っていられない。

 

「今夜だけ村に降りればいいんじゃね?」

 

 突然、桂花が割り込んできた。そういえばいたんだっけ、とニコラは思った。

 

「村にはニコラの幼なじみはいるんだろ? えーと、なんつったっけ。フリック? フレッド? そいつの家に泊めてもらえばいーじゃん。幼なじみなんだから、付き合いの浅い侍女より安心感あるだろ」

 

「そっか、そうだよね。薬を渡す頃合いだから、ちょうどいいかも」

 

 ニコラは桂花の提案に乗った。
 一方マナは渋い顔つきになっている。イケメンだからそういう表情をしても絵になりすぎて困る。

 

「どうしてフレッドの家に? ニコラの家はここなんだから、ここにいればいいじゃないか」

 

 ニコラは目を丸くする。
 桂花がニヤニヤ笑いながら、マナの肩に腕を回した。

 

「どうしたんだよマナ。もしかして、黒竜王子ともあろうお方が、下界の人間に可愛い奥方を取られるんじゃないかって、やきもち――」

 

「桂花、重い」

 

 マナは鬱陶しげに桂花をおしのける。
 それから、ため息をつきつつニコラに向き直った。

 

「変なこと言ってごめん。ニコラの好きなようにしていいよ。今夜留守にするのは僕の都合なんだし」

 

 ニコラは首をかしげつつ、答えた。

 

「じゃあフレッドの家に行くよ。久々にフレッドとゆっくり話せるなぁ」

 

「分かった。送る」

 

 マナは微笑んだ。

 

 

 

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