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 夕刻の中庭である。
 竜の翼を背から広げて、マナはニコラに手を差し出した。マナは細身に見えるのに、ニコラを抱き寄せる腕は固くて逞しい。それを意識するだけで、ニコラの頬が熱を盛ってしまう。

 

(ヤだな、こんなの。ヘンに意識して、恥ずかしいよ)

 

 相手はマナなのに。

 

 美しい夕焼けの空に、漆黒の翼が空気を孕みながら羽ばたく。
 マナの肩ごしに見るその光景は、どこか背徳的だ。

 

「どうしたの、翼をじっと見て」

 

「な、なんでもない。翼を出すたびに服が破れるから、もったいないなって思って」

 

「ああ、これね。僕もまだ慣れない」

 

 マナは苦笑する。

 

 上質な絹の袍は、マナが空を飛ぶたびに、背中部分が破れてダメになる。しかし、マナの衣裳部屋にはいつもたくさんの服が置かれているから、なくなることはないのだ。

 

「ほら、着いたよ」

 

 マナはニコラたちが以前住んでいた家の庭に、音もなく降りた。
 薬草園はすでになく、ニワトリ小屋は静まりかえっている。浮遊大陸に移る前に、フレッドに引き取ってもらったのだ。

 

「じゃああたし、着替えてくるね」

 

 薄い絹で作られた長衣は、村では目立ちすぎるのだ。ニコラは長い袖をひらめかせながら、家に入る。

 

 

 

 

「一晩泊まりたい? 全然いいよ」

 

 玄関口で、フレッドはあっさりとオーケーしてくれた。

 

「ありがと、フレッド! 持つべきものは幼なじみだよ」

 

「昔はよく泊まりに来てたもんな」

 

「あたし夜ごはんまだなんだけど、おばさん多めに作ってくれてないかなぁ? あっそうだ、ごはん作り手伝うよ!」

 

「あー、それなんだけど、今夜母さんたち帰らないんだ。ちょうど今朝から隣町に遊びに行ってて、戻るのは明日の昼の予定。オレはぜんそくがちょっと出てたから、今回は留守番にしてたんだけど」

 

「ふーん、そうなんだ。じゃあフレッド休んでなよ。あたし家事やったげる」

 

「ありがと、助かる――」

 

「誰もいないの?」

 

 ふいにマナが声を割りこませた。心なしか、目が据わっているように見える。

 

「この家に、今夜はフレッドしかいないの?」

 

「あ、ああ、まあ、そうだな」

 

 フレッドは気まずそうに目を泳がせている。マナは金色の両目を眇めた。

 

「ふうん」

 

「そんな目で見るな、オレはやましいことなんかこれっぽっちも考えてない」

 

「僕はなにも言ってないけど」

 

「ひと晩一緒に過ごすくらいいいじゃないか、こっちは10年来の幼なじみから1週間に1度会うだけの常連客に格下げになりつつあるんだぞ。その代わり手は出さない、絶対だ」

 

「だから僕はなにも言ってないよ、フレッド」

 

 ふたりのやりとりを聞いているだけだったニコラは、ふと、あることに思い至った。つい頬がにやにやとゆるんでしまう。

 

「今朝からマナの機嫌が悪くてどうしたのかなって思ってたら。もしかして、やきもちやいてるの?」

 

 するとマナは呆れたような表情になる。

 

「ここで妬かない男なんて、存在するの?」

 

「あはは、そういうやきもちやきなとこ、赤ちゃんの頃と変わってないなぁ。あたし以外の人が抱っこすると、やだーって泣いたんだよ。可愛かったー。もちろんマナは今でも可愛いけど……」

 

「はいはい、分かったよ」

 

 マナはあきらめたような笑いを零した。ニコラはほっとする。

 

(ほら、マナは小さいころと変わってないよ。可愛いマナのまんま。大丈夫、大丈夫)

 

「じゃあ明日の朝に迎えに来るから」

 

「うん。また明日ね!」

 

「また明日」

 

 マナはニコラの短い髪を撫でて、ひたいにキスを落とした。それから翼をはためかせて、空へ帰っていった。

 

 

 

 

 

 ダイニングテーブルで夕食をとりながら、ニコラは上機嫌で言う。

 

「マナっていつまでも子供っぽいよね。やきもちやいちゃって、かーわいい」

 

 フレッドはパンをちぎりながら苦笑する。

 

「ニコラはもう少し、今のマナをちゃんと見た方がいいと思うよ」

 

「なんで? ちゃんと見てるよ」

 

「オレにはマナが、怖いくらい美形で、落ちついきのある男にしか見えないよ。子どもっぽくて可愛いだなんて、間とても言えない」

 

「そうかもしれない、けど。でも」

 

「でも?」

 

「そういうマナは、ちょっと怖いよ。可愛いマナの方がいい」

 

 フレッドは困ったように肩をすくめた。

 

「どっちが可愛い子どもなんだかな」

 

 

 

 

 その夜、ニコラはフレッドのベッドで、フレッドは床にふとんを敷いて、夜遅くまでいろんな話をした。
 お互いの近況や、親しい人たちの話などの、他愛ないやりとりだ。ニコラは幼なじみとの会話に、大いに癒された。

 

 そして、そろそろ目が開かなくなるくらい眠くなってきたころ合いに、それは来た。
 嵐である。

 

「ひゃあっ」

 

 空を裂かんばかりの雷鳴と、窓を叩く激しい雨。毛布の中に縮こまったニコラを、フレッドは心配そうにのぞき込んだ。

 

「ほんとにダメになったんだな。マナが仮死状態になったときのことが原因だろ?」

 

「うん。あの時、ほんっとーに怖かったもん」

 

 ニコラは鼻をすすりながらうなずいた。

 

「フレッドも知ってるでしょ。マナが冷たくなって、ぐったりして……。あんなのもうニ度とやだ」

 

「ニ度とないよ。安心しろよ」

 

「うん……ひゃっ」

 

「大丈夫か? 手でも繋ぐか?」

 

「……。いい」

 

 ニコラはもぞもぞと芋虫のようになりながら、体を起こした。

 

「こんなんじゃあたし、情けないよ。ちゃんと克服する」

 

「無理すんなよ」

 

「うん」

 

「けど、マナのことがきっかけでそこまで雷を怖がるようになるなんて、よっぽどマナのことが好きなんだな」

 

 フレッドが優しい表情でそう言った。ニコラは毛布に顔をうずめるようにして、うなずく。

 

「わたし、マナのこと大好きだよ」

 

 それから、耳まで真っ赤になって、告げた。

 

「たぶん、は……初恋、だと思う」

 

 フレッドは微笑んだ。

 

「あいつに、その言葉を今の表情ごと聞かせてやりたいよ」

 

 

 

 

「あら、可愛い王子様。あちらでお話しない? もちろんニ人きりで」

 

 宮中の、晩餐会だ。
 妖艶な美女が、マナの首筋を細い指先で撫でつつ誘惑する。マナは金色の瞳で、彼女を一瞥した。

 

 ユニコーン族の男は、乙女と見れば全力で落としにかかる変態だが、女もなかなかの肉食系だ。

 

 マナは、色香の漂う唇に笑みを纏わせて、短く告げた。

 

「いえ」

 

 美女はその微笑に見惚れた様子を見せながらも、なんとなくマナの近くに居づらくなったのか、一礼して立ち去っていった。

 

 マナは、金糸の刺繍が施された美しい長衣をひるがえして、中庭に面した回廊へ出た。

 

 秋の風が、マナの白い頬を撫でる。マナは疲労の滲む息をついた。

 

(ニコラに会いたいな)

 

 晩餐会など、面倒だ。けれど、いくら妾の子とはいえ、黒竜王の長子であることに変わりないマナは、こうした行事に参加しなければならない。

 

 王子としての地位を固めておくこと。それが、ニコラを守ることにも繋がるからだ。

 

「おつかれさん、マナ」

 

 桂花が背後から声を掛けてきた。彼は酒の入ったグラスをマナに手渡す。

 

「ユニコーンのご婦人は情熱的だなぁ。でもオレは襲われるより襲う方がスキ」

 

「そう」

 

「ご機嫌斜めだな、王子殿下?」

 

 桂花が、整った面に人の悪い笑みを見せる。

 

「欲求不満なら誰かひとりくらいつまみ食いしちゃえば? ニコラには黙っといてやるからさ」

 

「僕はニコラがいい」

 

「重症重症。で、黒竜と人間のハーフはいつ見られんの?」

 

「……」

 

「なんだよその沈黙。もしかして、もうデキちゃってるとか!」

 

 そこでマナは、桂花をからかうように笑った。

 

「まだ唇にキスさえしてないのに?」

 

「はあ?!」

 

「ああ、でも一度はしたかな。竜神祭の時に」

 

「あれはもう何か月の前のことじゃねーか」

 

 桂花はため息をついた。

 

「ニコラは恋人同士がどういうものか知らないだけなんじゃね? あいつ元気だけはありあまってるけど色気ゼロだし。せっかく一緒に住んでんだから、もうこの際さっさと押し倒しちまえよ」

 

「怖がらせたくない。可哀想だろ」

 

「うわあ……」

 

 言い切るマナに、桂花はドン引きしたようだった。

 

「おまえほんとについてんの?」

 

「桂花も僕なんかに構ってないで、さっさと相手を見つけなよ」

 

「オレはもっと遊びたい。つーか、そういうことならオレが一肌脱いでやるよ。ニコラに恋人の何たるかを教えてやる」

 

 マナは嫌な顔をした。

 

「やめろ、悪い予感しかしない」

 

 

 

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