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 翌朝――。
 朝日の満ちる室内で、ニコラはパッチリと目が覚めた。
 隣ではマナが静かに寝息をたてている。

 

「イケメンは、寝顔もイケメン……」

 

 ニコラはしばらくマナを眺めたのち、ベッドから飛び降りた。それから全力ダッシュで洗面所へと駆けていく。
 途中で女官とぶつかりそうになった。「奥方様!」と注意の声が飛ぶ。

 

(あたし、決めた)

 

 水瓶から掬った綺麗な水で、顔を洗う。
 冷たさにシャキッとした頭で、ニコラは鏡の中の自分を見た。
 マナの隣に並ぶにしては、特別キレイでもない。けれど嫌いでもない、自分の姿。

 

「あたし、鈴懸ちゃんにひとことも言い返せなかった」

 

 マナをとる、と目の前であれほどハッキリと言われたのに。

 

(マナはあたしのだからダメって、言い返せなかった)

 

「マナがオトナになったんだから、あたしばっかり情けないままじゃダメだよ」

 

 ニコラはそのまま踵を返し、猛ダッシュで屋敷を出た。屋敷内をぼーっとウロついていた桔梗(ききょう)の首根っこをつかんで。

 

 

 

 

 ニコラは鈴懸の屋敷の前に降りた。
 翼を生やした桔梗に、鈴懸の屋敷まで運んでもらったのだ。

 

「……マナに断りもなく……ニコラをこんなところまで連れてきちゃって……僕、絶対に怒られる……」

 

 桔梗は暗い顔でブツブツと言っている。

 

「これから女の戦いが臨むんだから、文句ばっかり言わないの!」

 

 大きな門――マナの屋敷のよりは小さいが――の前にいる門番に、鈴懸への取次ぎを頼んだ。ニコラはマナの愛妻として有名人なので、すぐに屋敷内へ案内された。

 

「……ようこそ……ニコラ様……」

 

 応接間に通されてしばらく待っていると、鈴懸がやってきた。相変わらずの美少女っぷりだ。薄い青色の長衣に、黄金の刺繍がなされた桃色の帯を締めている。
 桔梗は部屋のスミにぼーっと佇んでいた。

 

 応接間には青と金の壮麗な幕が掛かっており、長椅子の綿入れ部分には青龍の刺繍がなされている。
 絢爛豪華な室内は、しかしマナの屋敷で見慣れている。ニコラは気圧されず、鈴懸を正面から見据えた。

 

「まどろっこしいことはニガテだから、直球で言うね。あたし、マナが大好きだから、鈴懸ちゃんには渡さない」

 

「……」

 

 鈴懸はたっぷり10秒待ってから、首をかしげた。

 

「……ニコラ様は……マナ様が、好き……」

 

「そう! 大好きなの! だから鈴懸ちゃんが愛人になるとか、絶対にダメ」

 

「……大好きだから……愛人は、ダメ……」

 

 繰りかえして、鈴懸はそのままぼーっとしているようだ。桔梗も特にコメントせず、ぼーっとつったっている。
 じりじり待っていたら、やっと鈴懸が動いた。ゆっくりと首を回して、桔梗を振りかえる。

 

「……桔梗……お茶はまだかしら……」

 

「……僕に言われても……分からないよ鈴懸……」

 

「……そういえば……そうね……」

 

(……お茶なんか……どうでもいいんだけど……)

 

 鈴懸はニコラに目線を戻してきた。

 

「……ごめんなさい……。なんの話だったかしら……」

 

「……だから……マナの愛人は認めないっていう話……」

 

 そこでニコラはハッと我に返った。

 

(くっ、青竜のペースに巻き込まれるな、あたし)

 

 ニコラは膝の上で両手を握りしめる。

 

「鈴懸ちゃんは、マナに迫っちゃダメって話! マナの奥さんはあたしなんだから、鈴懸ちゃんはマナから手を引いてほしいの」

 

「……鈴懸、ちゃん……?」

 

 なぜか鈴懸は、自分の名前を口にした。それからたっぷり5秒後に、白い頬をさくらんぼみたいにポッと上気させた。

 

「……嬉しい……」

 

「へっ?」

 

「……ちゃんづけで呼ばれて……嬉しい……」

 

 ニコラは全身「?」マークである。
 はにかむような表情をして――鈴懸が感情を外に出すのは、これが初めてだ――、鈴懸はニコラを見た。

 

「……ニコラちゃんって……呼んでも、いい……?」

 

「全然いいけど。ねえ、あたしの話、聞いてた?」

 

「……お友達……」

 

 鈴懸は優雅な所作ですすっとニコラの横に腰を下ろした。白くてほっそりした手を差し出してきたから、思わずニコラはそれに応えて握手をした。

 

(わっ、マシュマロみたいな肌)

 

 ふわふわでしっとりして、美少女は肌触りもいいのだ。

 

「……ニコラちゃん……」

 

「な、なに、鈴懸ちゃん」

 

 鈴懸が長い睫毛で瞬きをする。そのさまはあまりにも愛らしい。

 

(か、可愛っ……! あたしが男だったら、いっきに沼に落ちてるよ……!)

 

 ニコラが酸欠状態になっていると、鈴懸は、ニコラを自分の恋人であるかのような見事な上目遣いで唇を開いた。

 

「……鈴ちゃんって……呼んで……」

 

「……うん……喜んで……」

 

 黒竜王子の正妻であるニコラが、天然素材の美少女に落ちた瞬間である。

 

 

 

 

「開門を」

 

 静かな、しかし圧倒的な冷気を帯びた命令が、庭園に響く。
 凛とした美貌を誇る黒竜の第一王子が、青竜の住まう屋敷の門前に降り立ったのだ。

 

「こ、これは王子殿下……!」

 

「本日はどういった御用向きで――」

 

 平伏する門番らに舌を打ち、マナは背から翼を広げた。はばたく時の風圧で、門番たちが後ずさる。門を飛び越えてから翼を畳み、マナは、屋敷から慌てて出てきた家令にニコラの居場所を聞いた。

 

 その場所、応接間でくり広げられていた会話である。

 

「……そう……ニコラちゃんは、好き嫌いがないのね……」

 

「……うん……なんでも食べる……。鈴ちゃんは……?」

 

「……わたしは……すあまが苦手……」

 

「……す、すあま……。すあまか……」

 

 応接間の扉を開いたとたんに、そんな会話が耳に入ってきて、マナは面食らってしまった。ふたりはマナの存在に気づかずに、独特の間合いで会話を続けている。

 

 朝起きてニコラがいなくて、女官に聞いたら桔梗と一緒に鈴懸の屋敷に行ったというものだから、心配して駆けつけたらこれである。

 

 どうしたものかと思っていると、部屋のスミにいた桔梗がマナに気づいたようだった。

 

「……あ……マナ……」

 

「……マナ様……?」

 

 ニコラと鈴懸もやっとマナの存在に気づいたようだ。

 

 鈴懸は表情に出ないのでなにを考えているのかよく分からないが、ニコラは分かりやすい。びっくりしたように目を丸くしている。

 

「あれっ、なんでマナがここにいるの?」

 

 なんでじゃないよ、と内心ためいきをつきつつ、とりあえずニコラには微笑みを返しておく。返しておくというか、ニコラを見ると自然と頬がゆるんでしまうから、これはもはやマナにとって条件反射である。

 

「ニコラこそ、どうして鈴懸の家にいるの? だいたい想像はつくけど」

 

「愛人問題を解決するために乗り込んだの。こういうのは早めにズバッと終わらせなくちゃ!」

 

 マナは苦笑した。
 まったく、ニコラはたくましい。

 

 マナはニコラの手を取り、長椅子から立ち上がらせた。

 

「ニコラのそういうところ、可愛いよ」

 

「へっ?!」

 

「見たところ解決したようだから、家に帰ろうか」

 

「解決……したのかな」

 

 ニコラは自信のなさそうに鈴懸を振り返った。鈴懸は、頬を赤らめてニコラをひたむきに見つめている。

 

「……ニコラちゃん……また……遊びに来てね……。今度は……お菓子作って待ってるから……」

 

「う、うん。ありがと」

 

 マナが桔梗に目を移すと、桔梗はマナに近づいて耳打ちした。

 

「……鈴懸は……元気な女の子が好きなんだ……」

 

 マナはなんとなく複雑な気分になった。

 

 

*

 

 

「青竜って変わってるねー。全面対決するつもりだったのに、逆に仲良くなっちゃった」

 

 屋敷で夕餉を食べながら、ニコラは言う。マナはくすくす笑った。

 

「ニコラに言われたら鈴懸たちも困ると思うよ」

 

「む。それどういう意味?」

 

 マナはグラスのお酒を口に含んだ。冷えたアルコールが舌に心地いい。

 

「僕はそんなニコラが心配だけど、そういうところが可愛いからどうにもならないな」

 

「マナ、酔ってるでしょ。もうお酒呑んじゃだめ」

 

 ニコラは耳を少しだけ赤らめながら、正面から手を伸ばしてマナのグラスを取り上げた。
 グラスの水滴が、マナの細い指先を伝っている。それが妙に視界に絡みついて、マナはそっと目をそらした。

 

 

 

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