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 それから数日経ち、村へ薬を配りに行く日になった。
 ニコラはマナに抱き上げられながら、一週間ぶりに村へ降りた。

 

 ぜんそくの薬をフレッドに渡しに行くと、フレッドは意外そうな顔をして、ニコラとマナを見比べた。

 

「この前あった時よりも落ち着いたな。ちゃんと夫婦に見える」

 

「なーにそれ、今までなんだと思ってたの。あっわかった、きょうだいとか親子とかに見えてたんでしょ」

 

 フレッドは呆れたように、しかしどこか寂しそうに笑う。

 

「はは、さすがに親子はないけどさ。まあいい傾向なんじゃないか? なにかきっかけでもあった?」

 

「マナの愛人とバトルした」

 

「愛人?!」

 

 フレッドは目を剥(む)いた。
 マナがニコラの肩にポンと手を置く。

 

「ニコラ。ややこしい誤解を生むから、その単語を使うのを控えてもらってもいいかな」

 

「その単語って愛人のこと? それともバトル?」

 

「だからね、ニコラ」

 

「おいマナ。おまえ、浮遊大陸でいったいなにをしでかしてるんだ?」

 

 うなるようにフレッドが言った。普段から温厚な彼のはずなのに、今はマナをにらみつけている。
 ニコラは、

 

(親友のあたしが愛人問題に傷ついたと思ってくれてるんだ)

 

 と、フレッドの友情に感動した。

 

「ありがとうフレッド! フレッドは最高の友達だよ!」

 

 ニコラは目をキラキラさせて、大好きな幼なじみに抱きついた。

 

「えっ、ニ、ニコラ、」

 

「あたしは大丈夫! 愛人の鈴ちゃんとは友達になったし、鈴ちゃんはマナの寝所に突撃しないって約束してくれてたし」

 

「し、寝所? 突撃?!」

 

 フレッドはなぜか、とても衝撃を受けたような顔をしている。

 

「おいマナ。オレはおまえを信じてたのに、実はそういうヤツだったのか」

 

「誤解だよフレッド」

 

「ニコラがウソをついてるっていうのか?」

 

 マナは肩をすくめて、ニコラを見た。

 

「ほらニコラ、こういう事態になるから言葉選びには気をつけないと」

 

「うーん、考えながら話すってムズかしいよ」

 

「誤解? 誤解なんだなニコラ。マナにもてあそばれたりしてないんだな?」

 

「どっちかっていうと、愛人の方にもてあそばれてる。すっごい可愛い上目遣いで『……ニコラちゃん……好き……』って言われるから」

 

「っな、まさか、ユ……?!」

 

「だからニコラ、言葉選び」

 

 

 

 

 

 残りの薬を配り終わって、村外れの家に戻って来たら、もう夕方だった。
 室内のランプに明かりを灯す。

 

「いつも遅い時間になっちゃうね。あたし、お客さんとつい話し込んじゃうからなぁ」

 

「ポンポン話題が変わるからすごいよね。あれを女子トークっていうの?」

 

「中身がないようであるんだよ。喋ってるだけで楽しいってのもあるけど」

 

 他愛ない会話を交わしながら、一週間ぶりの室内を掃除する。ニコラは窓を拭き、マナは床を雑巾で磨いていた。どちらも、浮遊大陸でやろうものなら女官たちに卒倒される作業だ。

 

「よーしピカピカ!」

 

「気持ちいいね」

 

 ふたりで室内を眺める。浮遊大陸の大きくてきれいな屋敷があっても、やっぱりこの家は特別なのだ。

 

(ここでマナとふたりで暮らしてたんだもん)

 

 ここには胸が切なくなるほど大切な思い出が、たくさん詰まっている。

 

「ニコラ、今夜は晴れるみたいだね」

 

 マナが窓から空を見上げて言った。

 

「嵐の季節も、もうすぐ終わる」

 

「あたし結局、雷克服できなかったなぁ」

 

「いいよ、ニコラは。そのままで」

 

 マナの優しい言葉に、ニコラの胸が甘く締めつけられた。
 しかし、次に続いた言葉が不穏だった。

 

「僕が植え付けたトラウマだと思うと」

 

 紺碧の空に欠けた月がかかり、金や銀の星が散りばめられている。
 その星の中に、マナの瞳と似た色をニコラは見つけた。

 

「見て、マナ。あの星、すごく綺麗な金色。マナの目みたーー」

 

 ニコラの声は、そこで途切れた。
 マナの唇がニコラのそれを塞いだからだ。
 熱を帯びたやわらかさ。

 

「マ、ナ……?」

 

「やっぱりイヤだな」

 

 ゆるく微笑んで、マナはニコラを抱き寄せる。

 

「フレッドが、ニコラのことについてあれこれ詮索してくるのもイヤだし、この前みたいに桔梗がきみを抱き上げて飛ぶのも気に入らない。鈴懸の熱っぽい視線は論外だよ」

 

「マナ、またやきもちやいてるの?」

 

 けれど、今のマナは可愛いという表現が似合わない。
 白くて綺麗な、大きな手が、ニコラの片頬を包む。
 ニコラの胸が、痛いくらい高鳴った。

 

 星細工(ほしざいく)を溶かしたような、マナの瞳。

 

「や……やきもちなんて、やかなくていいよ。あたしはマナが一番好きなんだから」

 

 しどろもどろにニコラが言うと、マナがふと口もとをゆるめた。

 

「どうかな」

 

「ほんとだよ! あたしは昔からマナがものすごーく大好きだもん」

 

「そう、昔から?」

 

「うん! あっ、じゃあ今夜は昔みたいにここのベッドで一緒に寝る? あたしはマナが可愛くて大好きだったから、一晩中マナを抱きしめて眠ってーー」

 

 その瞬間、とん、と胸のあたりを優しく突かれた。だからニコラは、すぐ後ろにあったベッドにぽすんと収まってしまう。

 

 突然回転した視界に、ニコラはまばたきした。

 

「ニコラが言ったんだよ」

 

 自身の袍の胸元に手を掛けながら、マナが笑った。

 

「一晩中、抱いてくれるんだよね」

 

「へっ? あっ、でもあの、ちょっとなんか、雰囲気がおかしいような気が」

 

 マナがベッドに乗り上げたから、古びたベッドが軋んだ。
 ニコラに覆いかぶさるようにして、マナの秀麗な面に笑みが浮かぶ。ニコラは思わずそれに惹き込まれて、そしてハッと我に返った。

 

(は、ハメられた気がする……!)

 

「僕は以前ちゃんと言ったよ。注意して、って」

 

 注意一秒ケガ一生とはこのことだ。
 ゆっくりと優しいキスを受けながら、ニコラはたくましい両腕に抱きしめられる。

 

 

 

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