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(どうしよう――あれがないと)

 

 ニコラの心臓がバクバクと音を立てている。

 

(あれがないと、薬が作れない。カンタンなものなら作れるけど、ややこしい調合になると、自信がないよ)

 

 作業机の上で、ニコラはふたつの握り拳をぎゅっと握った。そこにイヤな汗が滲んでいく。

 

 患者さんがいっぱいいるのに。竜族にも、人間の村にも。三日間熱の下がらない竜もいるし、子育てで忙しくてフラフラになってる母竜に栄養ドリンクを作る約束もしている。フレッドの薬はどうする? 村にいる、寝たきりのおじいさんへのお薬は?

 

「……ニコラちゃん……お客さん、来た……」

 

「あっ、うん、ごめん」

 

 ニコラは我に返り、店に出た。

 

(作り置きの薬はまだある。でも、調整の必要な薬は、新しく作れない)

 

 どうしよう、どうしよう――。

 

「ニコラちゃん、うちの子が急な発熱で……! 効くお薬、作ってくれないかしら?!」

 

 近所に住む若い竜が慌てた様子で駆け込んできた。ぐったりした幼体の竜を抱いている。

 

 ニコラはぎくりとした。
 熱冷ましは、微妙な調整が必要だ。そして薬は、少しでも量を間違えると毒にもなる。

 

「あ、う、うん……。あの、でも」

 

「ニコラちゃんの薬はいつもよく効くから助かるわ。今回もお願いね。うちの子、とっても苦しそうなの」

 

「わ、分かった」

 

 ニコラは子どもの様子を見て、それから調合室に入った。しかし、どの成分をどれくらいの配分で作ればいいのか分からない。

 

(冷静になれば、きっと思い出せるはず)

 

 でも、あやふやな記憶で薬を作って、もしそれが害になったら?
 薬は計量が一番大事だ。これを間違えれば、最悪患者の命を奪う事態になりかねない。

 

 できないと、ひとこと、伝えるのだ。
 それが、薬師としての責任だ。
 二コラは唇を噛みしめる。

 

 もう一度、店先に出た。母竜に深く頭を下げる。

 

「ごめん、なさい……。薬は、作れないの」

 

「えっ、どうして?」

 

 母親は目を見開いた。その隣で、鈴懸も首をかしげる。
 二コラは袍の布地をぎゅっと握った。

 

「調合レシピを、なくしちゃって……。だから今は、作れないんです」

 

「なくした? それがないと、作れないの?」

 

「……はい」

 

「どうして? 薬師なのに、作れないってどういうことなの?」

 

「ごめんなさい……」

 

 母親の腕の中で、子どもが苦しげに浅い息を繰りかえしている。
 二コラの胸が引き絞られた。

 

「本当に、ごめんなさい」

 

 しばらくの沈黙のあと、母親のため息が聞こえてきた。

 

「――もういいわ。気にしないで二コラちゃん。別のところに行くから」

 

 その言葉が、一番きいた。
 いっそ、大声で怒ってくれた方が、気が楽だった。

 

「……二コラちゃん、大丈夫……?」

 

 頭を下げたままの二コラの背中を、鈴懸が撫でてくれる。
 二コラは奥歯を噛みしめて、涙をこらえた。

 

(あたしが悪いんだから、泣くな)

 

 大事なレシピ帳をなくしてしまった、自分の責任だ。
 だから、今からすることは、ただひとつ。

 

 二コラはぎゅっと両目をつむってから、勢いよく顔を上げた。
 握りこぶしを作って、涙を振り切るように宣言する。

 

「よーし、レシピ帳探すぞー!」

 

「……手伝う……」

 

 鈴懸が、ぱちぱちと拍手しながらそう言った。

 

 

 

 

 ニコラは調合室を全部ひっくり返す勢いで探しまくった。
 鈴懸も、のんびりマイペースながら一緒に探してくれた。
 その間にも、客はやってくる。

 

「ごめんなさい、その薬は今用意できなくて」

 

 手持ちの薬でまかなえない場合は、ニコラは深々と頭を下げて謝罪した。

 

「早くレシピ帳見つかるといいね」

 

 と言ってくれる客もいれば、

 

「調合ができないなら、薬屋の看板下ろしちまえ!」

 

 と激怒する客もいた。そのたびに、二コラは何度も頭を下げて謝った。

 

 そして、夜。そう広くない調合室を探し尽くしたが、結局レシピ帳は見つからなかった。
 作業台につっぷして、二コラはぐったりした。

 

「なんで見つからないんだろ……。この部屋からは出してないはずなのに」

 

「……二コラちゃん、そんなに必死になる必要、ない……。だって二コラちゃんは、マナ様のお嫁さんだもの……」

 

 マナは浮遊大陸の王子だ。
 だから、その奥方である二コラは、毎日遊んでいても贅沢な暮らしができる。わざわざ薬屋を営む必要など、ないのである。

 

「そうじゃないんだ。あたしはただの人間で、綺麗でもなくて、力もなくて……でも、薬でみんなの役に立てるなら、それだけで嬉しかったんだ」

 

 マナと一緒にいたいから、浮遊大陸に来た。
 けれど実際に暮らすからには、誰かの役に立ちたかった。

 

 ただマナに大切にされて、宮の奥で優雅に暮らすのではない。
 いろんな人とふれあって、笑顔を交わし合う。そういう暮らしが、生きているということだと、二コラは信じている。

 

「……二コラちゃん……素敵……」

 

 鈴懸は両手を組みあわせて感動しているようである。

 

「……マナ様に渡すのは、やっぱりイヤだなぁ……」

 

「そう、マナ! 鈴ちゃん、マナにはこのこと、絶対に言わないで!」

 

 鈴懸は両目をキラキラさせてうなずいた。

 

「……うん。ふたりだけの、秘密ね……」

 

「たぶんすぐマナの耳に入るとは思うけど、できるだけ、心配かけたくないんだ」

 

 マナは、気まぐれな父王に振り回されて、毎日王宮へ出かけたり、幻獣の住みかで行われるパーティーに参加されたりして、忙しそうなのだ。

 

「こうなったら、調合室だけじゃなく、お店の中やあたしの部屋の中も、徹底的に探してやるぞ」

 

 

 

 

 しかし、徹夜で心あたりの場所を探しても、レシピ帳は見つからなかった。
 マナは、二コラの様子を見て心配になったのか、朝ごはんの時に、

 

「二コラ、目が赤いよ? 仕事忙しいなら、僕も手伝うよ」

 

「いい! マナは気にしないで。鈴ちゃんもいてくれるし!」

 

 マナの心配を押しのけるように、二コラは拒絶した。
 しかしレシピ帳がなければ、結局なにもできないのだ。作り置きの薬も日ごとに減っていく。急患に対応できなければ、客も減っていく。

 

 そうこうしているうちに、五日が過ぎた。
 お客さんは、いつもの三分の一以下に減っていた。

 

「どーしよー……」

 

 二コラはぐったりと、作業台につっぷした。

 

「心あたりはぜんぶ探したのに、ない……。もうなにをどうしていいのやら」

 

「……二コラちゃん……そろそろマナ様が迎えにいらっしゃる時間……。人間の村にお薬を届けないと……」

 

「し、しまったぁあ!」

 

 ニコラは頭を抱えた。
 村人に渡す薬は、在庫がある。けれどフレッドのぜんそくの薬は微妙な調合が必要になってくるので、レシピ帳がないと作れない。

 

「困った……困ったよう……フレッドが、フレッドが」

 

 絶望の状況に、部屋のスミでブツブツ呟き始めたニコラである。その様子を、鈴懸がぽーっと見ていた。

 

「ど、どうしたの二コラ。大丈夫?」

 

 マナがやってきて、びっくりしたように声を掛けてきた。
 二コラはどんよりした目で彼を振りかえる。

 

「大丈夫……なんでもないから……」

 

「とてもそんなふうには見えないけど」

 

「村に降りる時間だったよね……今から準備するから……」

 

 二コラはよろよろと、カバンに常備薬を詰め始めた。

 

(フレッドには事情を話して、とりあえず今ある薬でしのいでもらおう)

 

 念のため、村の自宅も徹底的に探して――それでもなかったら、別の方法を考えるしかない。

 

 

 

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