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 結論から言うと、村の自宅にもレシピ帳は見当たらなかった。
 鬼の形相で家探しをするニコラを、マナは不審げに見つめていた。

 

「ねえニコラ。大丈夫?」

 

「へーき、へーき……だいじょーぶ……」

 

「青い顔でハァハァしながら言われてもなぁ」

 

 ばっさーとふとんをひっぺがして探し回るが、やはり見つからない。

 

(そうだよね、こんなところにあるはずないよね。だって浮遊大陸の調合室の引き出しに、確かにしまったんだから)

 

 そう、ニコラは確かに、そこにしまったのだ。
 その場面は鈴懸も目撃している。間違いない。

 

(それでも、なくなったってことは、つまり)

 

 一番考えたくなかったことが、思い浮かぶ。
 確かにしまったのに、なくなったということは、つまり。

 

「……盗まれたってこと……?」

 

「なにを?」

 

 至近距離で聞かれて、ニコラは飛び上がった。

 

「えっ、えっ、なにって、なにがなにを?!」

 

「ニコラ、ちょっと落ちつこうか」

 

 マナは困ったように笑う。

 

「最初から話して。どうして必死に家中をひっくり返してるの? なにか大事なものをなくしたの?」

 

「……そんな、ことないよ。あたしはちゃんと」

 

「うん。ニコラがちゃんと一生懸命やってるってことは、僕がちゃんと知ってるから」

 

 マナがニコラを覗き込むようにして言う。ニコラは涙ぐみそうになってしまった。

 

「……あたし、とんでもないことしちゃって」

 

「うん」

 

「レシピ帳、なくしちゃって」

 

「ああ、いつも参考にしてたノートだね」

 

「あれがないと、薬が作れない。お客さんたちを治せない。みんなに申し訳ないよ、マナ。フレッドだって、ぜんそく大変なのに」

 

 我慢していたのに、涙があふれてしまった。マナにそっと抱き寄せられて、マナの匂いで胸がいっぱいになったから、余計に泣けてしまう。

 

「ニコラがフレッドとこそこそ話してたのは、そのことか」

 

 ため息交じりにマナが言った。ちょっとだけ不満げな響きがあるように聞こえた。
 それからマナは、ニコラの短い髪を優しく撫でる。

 

「大丈夫だよニコラ。僕も一緒に探すから」

 

「でも、心あたりはぜんぶ探したんだ。きちんと引き出しにしまったのも記憶にあるし、だからもうあとはどうしていいか分かんない」

 

「状況だけ考えると、鈴懸が盗ったって考えるのが一番自然だけど」

 

「ええ?!」

 

 ニコラはがばっと顔を上げた。

 

「ないない! それはない! 鈴ちゃんは絶対無実だよ!」

 

「そう? ニコラが言うならそうなのかな。あと、怪しいといったら……」

 

「盗まれたとは限らないし! もっといろんなところ探してみるよ」

 

 ニコラとしては、なるべく誰かを疑いたくないのだ。
 マナは苦笑した。

 

「わかった、じゃあそうしようか。でも見つからなかったらどうする?」

 

「……そしたら……各地にいる薬師仲間のところへ行って、レシピを分けてもらう」

 

「でもそれだと、時間がかかりすぎない? 薬師ごとに秘伝のレシピがあって、それは門外不出なんだよね。それなら肝心なところのレシピは教えてもらえないかもしれないよ」

 

「そうだよね……。うーん、どうしよう……」

 

 ニコラが頭を抱えてうんうん唸っていると、マナがいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 

「ひとつ、いい方法があるよ。時間を掛けずにたくさんのレシピを集める方法」

 

「なになに?」

 

 ニコラはマナの袍(ほう)に飛びついた。

 

「各地の薬師のレシピを、金と権力にモノを言わせて集めてた機関があるじゃない。あそこを訪ねて、レシピを見せてもらおうよ」

 

「その機関って、もしかして」

 

 ニコラは青ざめた。
 マナはこともなげに言う。

 

「帝立薬学研究所(ていりつやくがくけんきゅうじょ)。皇帝のお膝元のあそこなら、僕も多少、顔が利く。今から行こうか、ニコラ。僕の翼なら、どんなに遠い場所にもすぐに着く」

 

 

 

 

 マナは、繊細な容貌に反して大胆だ。

 

「この姿で行くよりも、竜になったほうが話が早く済むかな」

 

 と言って、家の中庭で黒竜に変化した。

 

 艶やかな漆黒の鱗が、青い空をくっきりと切り取る。
 強く、美しく、気高い生き物。
 マナはめったに竜の姿にならないから、ニコラはぽーっと口を開けて見惚れてしまった。

 

 マナは尻尾で器用にニコラをくるみ、背に乗せた。

 

「しっかりつかまって」

 

 声帯がどのようになっているのかニコラには見当もつかないが、竜体のマナはいつもどおりの声が出せる。

 

 ニコラが首の辺りの固い鱗につかまると、マナは巨大な翼をはためかせて飛翔した。そのまま都の方向へ、いっきに空を駆けていく。

 

 ここまで高速で飛べば、背に乗るニコラに相当の風圧がかかるはずだ。けれど不思議なもので、ニコラはただ椅子に腰かけているだけのような感覚で、空の行程を楽しむことができた。

 

「ねえマナ、なんで竜の姿の方が話が早く済むの?」

 

「威嚇になるじゃないか」

 

「威嚇……?!」

 

 成体になってからのマナは、なにかと物騒だ。もともとこういう気性だったのか、成長したせいでこうなったのか、ニコラには判断がつかない。

 

 あっというまに都近くの研究都市に着いた。薬学だけでなく、化学や幻獣についての研究棟なども多く建てられている。

 

 薬学研究棟の庭に、マナは大きな翼をはためかせながら着地した。
 白衣の研究者たちが慌てて棟から転がり出てくる。ニコラは生きた心地がしなかった。

 

「ね、ねえマナ。目立ってる。あたしたち、ものすごく目立ってるよ」

 

「なにを今さら。ニコラは浮遊大陸でさんざん目立ってるじゃないか」

 

「あたしが? なんで?! あ、人間だからか」

 

「ちがうよ。黒竜を育てて、その奥さんになった人間の女の子なんて、前代未聞だからだよ」

 

 マナは笑った。
 ニコラが絶句していると、研究棟からとっても偉そうな見た目の老人が出てきた。
 きっとこの人が責任者だろう。

 

 マナは金色の目を眇めて、彼を見下ろした。
 そして、ニコラがきいたことのないような声音で口を開いた。

 

 それは、命じる者の声だった。
 聞く者の魂を震わせるような、深い声だった。

 

 

 

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