ネット小説 【ハピネス】 (3)

【2】 ネット小説【ハピネス】 【4】

 

 その後、奈美子が病室へ入り、この場を預かることになった。俊一は、渋るあやめを連れて帰宅した。
 というのも、あやめの顔色が悪すぎるからだ。母親が倒れ、救急車を呼び、病室で付き添い、疲れ切ったのだろう。

 

「ソファに座ってろ。今、お茶いれるから」
「うん……」

 

 声に張りがない。俊一は戸棚を開けて、あやめの好きなチョコレートを探した。あやめはよく遊びに来るので、奈美子がストックしているのだ。

 

「今朝、朝ごはん食べてないだろ? お昼、何が食べたい? なんでも作ってやるよ」

 

 紅茶とチョコレートを置いて、俊一はあやめを見る。料理なら得意だ。あやめよりずっとうまい自信がある。

 

「あんまり、食べたくない……」
「あやめはただでさえ細っこいんだから、たくさん食べないと。白だしのうどん、好きだったろ? 作ってやるよ。あやめの好きなわかめもたくさん入れるからさ」
「痩せてるかもしれないけど、あたし、胸はDカップある」
「そうそうDカップもある……、って、なんの話だよ!」

 

 俊一が赤面して突っ込むと、あやめがクスクス笑った。

 

「ありがと、俊ちゃん。食べるよ」
「ああ、そうしてくれ。ったく」
「チョコレート、おいしい」
「ん? うん、母さんが箱買いしてるんだよ。あやめが好きだからさ」
「うれしい」

 

 にこにこしながら、あやめがチョコを一粒食べる。顔色はともかく、笑ってくれたことに安心した。

 

「そうだあやめ。この前おまえが貸して欲しいって言ってたDVD、持ってくるよ。一緒に見よう。海賊のやつ」
「うん」
「今日泊まってくだろ? ゆっくりしていけよな」
「……うん」

 

 あやめは微笑んだ。

 

(雛子さん、大事なくって、よかったな)

 

 あやめの笑顔を見ながら、しみじみと俊一は、思った。

 

 

 

 

(俊ちゃん)

 

 小さなあやめが、同じく小さな俊一の手を、握っていた。
 ……真っ黒の服。

 

(俊ちゃん。お父さん、あそこから出してもらえないの。かわいそう)

 

 棺おけを指差して、あやめが訴える。大人達はみんな、泣いている。
 葬儀場の入り口あたりで、俊一は涙をぐっと堪えていた。
 これ以上、おじさんに近づいたら――、遺影や、おばさんの泣き顔を見てしまったら、絶対に、泣いてしまう。

 

(俊ちゃん。お父さん、出してあげて。日曜に、ディズニーランド行くって約束してるの)

 

 右手の小さなぬくもり。あやめのために、泣いてはいけないと思った。あやめはまだ4歳で、小さくて、なにも分かっていない。これからあやめは、二度と父親に会えない。それを、あやめは理解できない。

 

(ディズニーランドには、オレが連れて行くよ)

 

 繋いだ手が、震えてしまう。
 いつのまにか、あやめのぬくもりが、崩れそうになる自分を支えている。

 

(だから、おじさんをもう少し……休ませてあげよう。ね、あやめ)
(俊ちゃんが、連れてってくれるの?)

 

 あやめが目を丸くした。まだ6歳の自分が、4歳のあやめを連れて行けるわけがない。そのことに、いまさら気付いた。

 

(えーと……、大人になって、行けるようになったら、一番初めに、あやめを連れてくよ)

 

 そんなの、いつになるか分からない。あやめは泣き虫だから、泣くかな、と焦ったけれど、あやめは嬉しそうに笑った。

 

(すっごくたのしみ。たくさん連れてってね。俊ちゃん)

 

 

 

 

 夜、あやめは1階の客間で寝ることになった。おやすみ、と笑うあやめは、いつもと変わらない様子だった。
 2階の自室で、俊一は携帯を開けた。メールが入っている。
 篠原由記からだ。
 ――明日は雨なのに来てくれてありがとう。あやめちゃんのお母さん、大丈夫だった? また明日、学校でね。
 俊一は返信ボタンを押す。どう返そうかと考えながら、ベッドへ寝転がった。

 

「えーと……、今日は行けなくなってごめん、と」

 

 時計は午前0時を過ぎている。日曜なのに、平日よりも疲れた。
 ……あやめは、もっと疲れただろう。

 

(明日は学校、休むかな……)

 

 あやめが休むなら、自分も一緒に休もう。手伝えることがあるはずだ。
 次の文章をどうするか考えるうちに、いつのまにか瞼が下がっていた。

 

 

 

 

 夜の静寂は、激しい声で破られた。

 

「俊! 俊一ッ! 起きなさい!」

 

 ただごとではない声に、俊一は反射的に上体を起こす。扉を開けると、奈美子が血相を変えて言った。

 

「早く着替えて! 病院に行くのよ。あやめちゃんを連れて、早く!」
「な、なんだよ。どうしたんだ?」
「だから! ああもう、とにかく早くッ」

 

 奈美子はパニック状態にあるようだった。何が起こったのかさっぱりわからない。俊一はぐ、と奈美の肩をつかんだ。

 

「落ち着いて、母さん。何があったんだ?」

 

 一瞬の静寂。
 やがて奈美子の両目から涙が盛り上がり、溢れて零れ落ちた。

 

「……雛子さんが……、雛子さんが……」

 

 ずん、と重い衝撃がのしかかる。
 ――まさか。

 

「雛子さんが、さっき、亡くなったの……!」

 

 

 

 

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