ネット小説 【ハピネス】 (5)

【4】 ネット小説【ハピネス】 【6】

 

 あやめと行くのは初めてではない。
 いつもはこっちが疲れてしまうくらいはしゃぐのに、今日はゆっくり歩いていた。平日のせいか人もまばらだ。 花壇に座って、造り物めいた城を見上げて、あやめはぽつりと言う。

 

「綺麗な空だねー」
「ああ。なんだ、城見てたんじゃなかったのか」
「城も綺麗だけど、やっぱり空が綺麗」

 

 あやめは淡く微笑んだ。

 

「俊ちゃん、お父さんが死んだ時も、一緒にいてくれたよね」
「それは当然だろ。放っとけないよ」
「あたしは俊ちゃんに、なにが返せるかな……」

 

 あやめはこちらを見ない。ただ、空を見上げている。

 

「お母さんには、何も返せなかった。あたしをここまで育ててくれたのに、親孝行らしいこと、できなかった。すごく、後悔してるんだ」
「雛子さんはあやめがいて、幸せだったよ」

 

 ぽん、とあやめの頭に右手を置く。
 雛子さんの気持ちなんて、手に取るようにわかる。

 

「あやめがいて、幸せに思ってるよ」

 

 自分も、同じ思いだから。
 あやめの目が、こちらを向いた。泣き笑いのような表情になる。

 

「俊ちゃん、優しい」
「当然」
「やだな。ずるい」
「男はちょっとずるい方がダンディでいいんだ」

 

 おどけて言う。あやめが笑顔になった。もっと、笑ってほしい。

 

「俊ちゃんでよかった」
「え?」

 

 意味をつかみ損ねて、聞き返す。花が咲くように、あやめが笑う。

 

「俊ちゃんのことを、好きになってよかった」
「え……?」

 

 まばたきをする。瞬間、やわらかくて暖かい何かが、唇に触れた。

 

「……!」

 

 一瞬で、それは離れた。突然のことに、声すら出ない。

 

「昨日ね。お母さんの夢を見たの」

 

 あやめが頬をほんのり赤くして、微笑んだ。

 

「お母さん、お父さんといた。すごく幸せそうに笑ってた。それで、言ったの。あやめも、幸せになりなさいって」
「雛子さんが……?」
「うん。だからちゃんと、伝えようと思ったの。多分だめだって分かってるけど、伝えたかった。だって人はいついなくなってもおかしくない存在だから」

 

 潤んだ瞳が、俊一をまっすぐに見つめた。
 ずっと、自分が守ってやっていると思っていた、小さなあやめ。けれど今は凛として、まぶしいほどに、真摯だった。

 

「俊ちゃんが好きだよ。誰よりも、大好き」
「あやめ……」

 

 妹だとばかり、思っていた。
 小さい頃から当たり前のように一緒にいて、泣き虫で、よく笑って、よく喋って。繋いだ手が暖かい、可愛くて仕方がない、妹のような存在だと。

 

(違う)

 

 ほんのりと、熱いものが心の奥に宿る。
 教えられた。
 いつも、手を引いているつもりだった。けれど一番大切なことは、自分よりも先に、あやめが知っていた。

 

「オレは、ガキだな」

 

 ぽつりと言った。
 聞き取れなかったようで、あやめが首を傾げる。小鳥のような仕草に、笑みが零れる。
 ふいに、あやめを引き寄せた。さらさらした髪に手を差し込んで、やわらかい唇に、自分のそれを押しあてる。
 腕の中であやめが身じろきする。甘い香り。あやめの体温が伝わる。ずっと、こうしていたい。このまま全部を、自分のものにしたい衝動にかられる。
 けれどそれよりも今は、なによりも、大切にしたい。

 

「……あやめ」

 

 名を呼びながら、そっと唇を離した。あやめの大きな目が、より大きくなっている。
 俊一は苦笑して、あやめの頬をなでた。心の底に芽生えた熱は今、全身に広がって、淡く、あたたかく、色づいてゆく。

 

「オレも、あやめのこと大好きだよ」

 

 ゆっくりと、あやめの頬が桜色に染まる。
 そのあと咲いた、花の笑顔に、ふたたび俊一はキスをした。

 

 

 

 

【4】 ネット小説【ハピネス】 【6】

 

 

 このページにしおりを挟む
 トップページへ戻る