ネット小説 【姫君と騎士の旅】 第1幕(11)

第1幕【10】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第1幕【12】

 

「うああっ! ぐっ、くそッ……!」

 

 突然の襲撃に、イアンの力がゆるんだ。どんなに屈強な男でも、いくつもの牙が足に噛みつけば驚愕する。

 

「っ……!」

 

 メイベルのふくらはぎにも、蛇の牙が食い込んだ。悲鳴を殺し、全力でイアンを突き飛ばし、一気に駆け出した。 

 

「待ちやがれエっ!」

 

 ガクン、と首がのけぞった。つかまれた髪ごと、背中から地面に叩きつけられた。

 

(ライナス) 

 

 鷲掴みにした金の髪を、イアンは忌々しく引っ張る。メイベルは呻き声を上げた。蛇が再びうごめき、第二撃を狙っている。

 

「ナメたまねしやがって」

 

 上から見下ろしてくるイアンの顔には、歪んだ笑みが落ちていた。
 振り上げた剣が、嘘のように白く、月に映えた。

 

「もうおまえは、死ね」

 

 その切っ先が眉間に迫る、一瞬。
 鋭い風のようにも感じた。月を斜めに薙いでいった。音もなく、銀の軌跡に切り裂かれて、

 

「あ?」

 

 呆けた声を、イアンが発した。
 ゴトリと太い腕が、剣ごと地面に落ちたのは、その後だった。

 

 

 

 

「おまえはどれだけ悲惨な死を思い浮かべることができる?」

 

 ふわりと抱き上げられる腕の、限りない優しさとは正反対の、煮え滾る声音。

 

「どれだけ想像力を駆使しても、追いつかないほどの惨たらしい死を、貴様にはくれてやる」

 

 カサカサと、蛇が後退してゆく。ライナスの全身から立ち昇る激情に圧され、その牙を沈めてゆく。
 いつもは穏やかな紺の双眸が、激しい怒りに猛っている。

 

「ひっ……、ま、まって、くれ、お、おおれは」

 

 腕をなくし体のバランスが崩れ、だるまのように右側に転がりながらも、ひきつった笑みでイアンは言う。

 

「おれの帰りを、病気の妹が」
「黙れ」

 

 血のしたたる剣を持ち上げながら、ライナスが言い放つ。

 

「二枚舌を引き裂いてやろうか」
「あ……ア……」

 

 イアンはガタガタと震えた。ライナスの手が反転し、逆手に持った剣を鋭く、地面に突き刺した。
 光は天から降るものだ。けれど今は、剣を突き刺した大地から激しい光が閃いた。夜に沈んだはずの空間を、一瞬で白く塗り変える。光がメイベルの両目を焼く前に、ライナスの掌が覆った。

 

「ヒい、ぎゃーああ、アあァ」

 

 冗談のように、作りものめいた悲鳴が響き渡る。目を隠されているので、なにも見えない。
 ごぷん、どくどく。めき、ばきき、じゅう。今まで聞いたことのない音が、不気味に響き渡る。そのたびに、滑稽な悲鳴が上がった。悲鳴はやがて、空虚な笑い声に変わり、それもやがてヒューヒューと呼吸音だけになり、最後には聞こえなくなった。
 メイベルは指一本、動かすことができなかった。やがて静寂が辺りを包み、光はゆっくり収束し、何ごともない夜だけが残った。

 

「……姫」

 

 優しく呼ばれた。そっと掌が外され、髪を撫でられた。
 イアンがいたはずの場所には、彼の片腕と剣しか残っていなかった。あとは全て消えうせていた。

 

「姫。お顔を見せてください」

 

 髪を撫でていた掌が頬を包む。メイベルはのろのろと顔を上げた。視界がブレて、うまく映せない。
 ライナスの、綺麗な、紺色の瞳。
 指先が頬の傷をなぞる。傷に沿って、切なさの残滓が残る。唇に触れられて、メイベルは身じろきした。暴力的に奪われたため、傷が残っている。それが、痛んだ。

 

「あのような、男に」

 

 ライナスの声が震えた。その震動を受け止めたように、メイベルの瞳から、涙がひと粒零れた。

 

「申し訳ありません……姫」

 

 熱い腕に、強く抱きしめられた。自らを切り裂く悔恨が、ライナスの声にこもっていた。
 ……ライナスの熱を感じる。メイベルはそっと目を閉じる。さっきまで怖くて震えていたのが嘘のように、心の中には静かな波が打ち寄せていた。

 

「……ライナス」

 

 世界で一番安心できる、あたたかい胸。
 メイベルがそっと、広い背中に両手を回すと、ライナスの肩がピクリと跳ねた。

 

「『儀式』、……しよ」

 

 ライナスは息を呑んだようだった。
 メイベルは続けた。

 

「ライナスがわたしの元にいるって、もっと、感じさせてほしいの」

 

 さっきまでの悪夢はもう、終わったのだと。
 ライナスの腕に力がこもる。彼の掌が、頭をそっと傾けさせ、白い首筋を露わにする。金の髪が流れ、月光があまりにも美しく、照らしだす。わずかに伏せられた長い睫毛から、翠の宝玉が揺れていた。
 ライナスは耳元へ唇を寄せる。眩暈がする――この少女が、愛しすぎて。

 

「仰せのままに……私の姫君」

 

 熱に浮かされた声で、囁いた。愛でるように、熱い舌で柔肌を味わったのち、鋭い犬歯がゆっくりと、甘やかな皮膚に沈みこんだ。

 

 

 

 

第1幕【10】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第1幕【12】

 

 

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