ネット小説 【姫君と騎士の旅】 第1幕(12)

第1幕【11】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第2幕【1】

 

 首筋が熱い。
 体内が溶かされて、力が抜けてゆく。皮膚感覚が遠ざかり、風の音も聞こえない。ただ、ライナスの熱だけが。
 力強く抱きしめる、両腕だけが。

 

「ライ、ナス」

 

 浮かされたように、呼ぶ。
 ライナスの喉が小さく、上下している。ゆっくりと、血液を嚥下する。立っていられなくて膝から崩れると、さらに強い力で支えられた。
 王家とエオウィン家の、宿縁とも言うべき、絆。エオウィン家は王家に縛られ、また王家も、エオウィン家から逃れられない。『求血の儀式』を終えたエオウィン家の騎士は、人外の力を手に入れる。理屈が入りこむ余地のない、強烈な本能のままに、最後まで王家を護り切る。
 長い歴史の中、幸福も、悲劇さえ、数多を生んできた絆。
 身を寄せ合うつがいの鳥のように。
 互いの尾を咬み合う一対の蛇のように。

 

「……姫」

 

 息をつぐ合間に、ライナスが呼んだ。
 月光が降る。
 熱に犯され、意識すら夜に呑みこまれ、静寂だけが残った。

 

 

 

 

「あの二人は無事でしょうかねえ」

 

 城の窓から夜空を見上げながら、ジョシュア・エオウィンはひとりごちた。
 ソファでくつろいでいた現女王・オーレリアは、淡く笑みを浮かべる。

 

「それなりの辛酸は舐めているでしょうね。あのこは本当に世間知らずだもの」
「恐れながら女王も似たようなものでしたな」

 

 ジョシュアは軽く笑う。彼はオーレリアの第一騎士だ。オーレリアの旅は、彼が最後まで付き従った。引き締まった肉体はあの頃よりも雄々しく、完全に成熟し、年齢相応の衰えを感じさせない。

 

「仕方ないわ。温室で育てられた花は、得てしてそんなものよ。けれど、決して負けないわ」

 

 オーレリアはグラスを手に取り、ゆらす。美しい笑みには、娘の旅を思う慈悲があった。

 

「姫と騎士の絆は強い。それはどのような禁術をも凌駕する、神の力よ。何よりあなたの息子はメイベルに魂からの忠誠を誓っている。負けるわけがないわ」

 

 自信に溢れた言葉を紡ぐ。
 エオウィン家の騎士は、王家以外の血も飲めるらしい。けれど本能が求めるのはただ一つ、王家のみだ。『力』を得ることができるのも、王家の血だけだ。
 だがジョシュアは、複雑な笑みを浮かべた。

 

「まあ、そうなのですが……。あれは少し、想いがまっすぐ過ぎるきらいがある。腕は十二分だが、このまま姫のお側に置いていいものかどうか」
「そうね。姫はいずれ女王になるわけだから、それなりの夫を迎えなければならないわ。すでに幾人か、婚約者候補はいるもの」

 

 それは本人の意思とは無関係だ。
 王族に生まれ、何不自由なく暮せる代わりに、国を治めるという使命がある。婚姻と世継ぎの出産は、女王にとって重要な仕事だ。

 

「姫と騎士はけして結ばれない。そのことをあの子達は充分に、分かっているはずよ」

 

 ジョシュアは無言で再度、夜空を見上げる。月が明るい夜だった。星は多くまたたいているけれど、流れ星はなかった。

 

「いずれにせよ……、二人が無事に、笑顔で帰ってくることを、祈るばかりですな」

 

 

 

 

「禁術書?」

 

 晴れ渡った空の下、馬車の荷台に揺られながら、メイベルは首を傾げた。

 

「そうです。イアンのかばんの中に入っていました。ちなみに薬と思われたのはただの小麦粉でした。恐らくイアンは身の危険を感じていて、今回のような策をするために持ち歩いていたのでしょう。まんまと引っ掛かりそうになりました」
「禁術書ってなに?」
「強力な術が記されている本ですよ。大量破壊武器のようなものです」

 

 ライナスはさらりと言ったが、メイベルは「ええっ?」と大きな声を上げた。

 

「そ、それってよくないわ! その本は今、どうしているの? ライナスが持って――むぐ」

 

 掌で口を押さえられた。抗議の目を向けると、ライナスは呆れた視線を返してくる。

 

「この馬車を走らせているのが、ただのカルク町民であることをお忘れなく」

 

 ……そうであった。
 あの後、メイベルは気を失うように眠りに落ちた。目が覚めた時、すでに太陽は頂点にあり、ライナスの腕の中にしっかりとくるまれていた。ライナスは一晩中起きていたようだったが、疲れなど微塵も感じさせず、メイベルに昼食を食べさせて、その後通りかかった農夫の馬車をヒッチハイクしたのだ。

 

「でも、どうしてそんなものをイアンが持っていたのかしら」
「そこまでは分かりません。それと不可解なことが、もう一つ。盗賊からの証言では、イアンを見つけた時にはすでに、血を流して倒れていたそうです。荷物が置いてあったので、それを持って逃げたらしい」
「じゃあだれがイアンに怪我させたの?」
「分かりません。これはただの推測ですが、何者かがイアンを襲い、禁術書を盗賊に『わざと』盗ませ、何かをさせようとしていたのではないでしょうか」
「何かって、なに?」
「分かりません」
「分からないことばかりだわ」

 

 メイベルの横で、ライナスは肩をすくめる。

 

「でも、分かることもありますよ。蛇が異常に多かったのは恐らく、禁術書に惹かれたからです。蛇は魔の道を作ると言いますから」
「そうなのね。禁術書は今、どこにあるの?」
「危険なので、軍に引き渡そうと思います。それが一番安全ですから」
「そうね、それがいいわ」

 

 メイベルが頷くと同時に、馬車がひどく揺れた。石を踏んだらしい。「すまんなぁ」と、農夫がのんびりと言った。
 揺れた拍子に、メイベルは肩を引き寄せられていた。たくましい腕、ライナスの匂い。昨夜、『儀式』を行ったことを急に思い出して、胸が早鐘を打つ。
 昨夜は理性が麻痺していたせいで、自分から誘ってしまった。別にいけないことをしているわけではないし、姫と騎士なのだから当然の行為だ。けれどいつまでたっても、恥ずかしさが消えない。ただ血を呑むだけといえば、それまでなのだが。
 これはどう考えても、ライナスの責任だと思う。

 

「今、心の中で私の悪口を言いましたね」
「えっ?!」

 

 メイベルは青くなった。なぜ分かるのだ。ライナスの『儀式』は何だかえっちくさくて変態ぽいと思ってしまったことなど、顔に出していないはずなのに。
 けれどライナスはあっさりと言った。

 

「全部顔に出ていますよ、姫」
「え、ええっ?」
「分かりやすいお方だ。これから先も、無言の悪口に耐え続けなければならないとなると、つらいな……。姫のお側にいると身も心も、もたないかもしれない」

 

 ライナスは形の良い眉を寄せて、苦悩する。メイベルは焦って、ライナスの服を両手でつかんだ。

 

「ち、ちがうのよライナス。悪くなんて思ってないわ。だからそんなこと言わないで。ライナスはわたしの一番の騎士なの。本当よ。ね、ライナス……」

 

 ふいに、ライナスがメイベルの両手を、上から握りしめた。まばたきして見返すと、紺色の瞳がにこりと笑んだ。

 

「我が君はそのように取り乱しても可愛らしいからタチが悪い」
「ら、らいなすっ……」

 

 メイベルの顔がみるみる染まる。金の髪を指にからませ、ライナスは微笑んだままそこへ口付けた。

 

「永遠に、お側にいます。この命に誓って」

 

 がったん、と再び馬車が跳ねた。その拍子にメイベルは、ライナスの胸へ顔を埋めた。――真っ赤な頬と、少しだけ滲んだ涙を、隠すために。
 ライナスが優しく抱きしめてくれた。腕の中でそっと、目を閉じる。どこまでも続く青空の下、このぬくもりがあればどこまでも行けるんだと、メイベルは思う。
 「若いっていいねぇ」と、農夫がのんびり言う。それが少し面白くて、二人で一緒にくすくす笑った。

 

 

 

 

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