ネット小説 【姫君と騎士の旅】 第2幕(2)

第2幕【1】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第2幕【3】

 

 あの頃、まだ自分は10歳だった。
 次期女王としての自覚を持たせるために、母親である現女王は、会議の場にメイベルを連れていった。当時すでに優秀だったマルセルも、勉強ということで呼ばれた。自分たちは母親似で、歳も1つしか違わないから、小さい頃は双子のようにそっくりだと言われていた。
 議題は覚えていない。大臣たちが母親に向かって、次々に厳しい声を上げていた。母親は冷静に返していたが、やがて会議は必要以上に熱を帯び、中傷合戦へとなり果てた。
 飛び交う罵声。怒鳴り声、貶める言葉の数々。メイベルはマルセルと一緒に、後ろの席に座っていた。マルセルはいつものように、冷たい目で人々を見ていた。
 マルセルがメイベルを嫌うようになったのは、この時からだ。
 それまでマルセルは、無愛想であっても、面と向かってメイベルを非難することはなかった。政治学、歴史学、倫理学。膨大な勉強時間の合間に、並んでおやつを食べたりもした。
 メイベルが、あのような失態を犯したから。

 

(――姉上)

 

 ふとこちらに向けられた目が、見開かれた。
 メイベルは慌てて顔を伏せた。目元をぬぐうが、涙が次々に零れるから、追いつかない。
 弟に泣き顔を見られた。羞恥心がメイベルの頬を赤く染める。でも止まらない。
 ――母親が、非難されている。
 会議室は怒りに満ち、人々は怒鳴り声で異常な熱気を生み出している。底の見えない混沌が目前にある気がした。ただ足がすくみ、圧倒された。
 なぜ、静かに話し合えないのだろう。
 このような会議は、嫌だ。母が可哀想だ。無数の罵声が、人々に突き刺さって、見えない血を流している。それが怒りに還元され、さらなる罵声を産む。
 マルセルが何も言わないから、メイベルはそっと窺った。そして戦慄した。
 今まで見たことのない目だった。いつもマルセルは無表情で、表に出さない少年だったから。
 メイベルと目が合うと、マルセルはゆっくりと、視線を外した。メイベルを絶句させた、凄まじい怒りを押し込めるように、目を閉じた。

 

(姉上に、女王の座は重すぎる)

 

 冷たい声が告げる。
 目を開いた時、そこにはもう、怒りはなかった。
 代わりに、深い軽蔑の眼差しがあった。

 

(あなたの国に仕えるなど、僕はごめんだ)

 

 

 

 

 

 先にお休みくださいとライナスに言われ、メイベルは扉を閉めた。アーネストから与えられた部屋は広く、一通りの家具が揃っている。水回りも完備されていた。

 

「要人の部屋、かな」

 

 いくら普通に接して欲しいと言っても、メイベルは姫だ。立場からして、限度があるのだろう。軽く息をつき、ベッドに腰掛けた。
 本当はライナスとともに、アーネストの部屋へ行くつもりだった。禁術書のことが気になるからだ。けれどライナスに止められてしまった。メイベルは疲れているから、先に休んでいるように、と。
 ライナスが気を遣ってくれていることが分かるから、無理を言わなかった。彼が戻ってきたら話を聞けばいい。
 フードを取り、髪をほどくと、扉がノックされた。ずいぶん早いと思いつつ、返事をする。

 

「ライナス? 入っていいよ」
「――姉上」

 

 感情を排した、冷静な声が返った。
 メイベルの心臓が跳ね上がる。

 

「ご挨拶に参りました。マルセルにございます」
「ま、マルセル……」

 

 メイベルは動揺を抑えつつ、扉を開く。

 

「久しぶりだね。わたしがここにいること、誰に聞いたの?」
「先ほど、ライナスとすれ違いました」

 

 少年は無表情に、一礼する。肩まで伸ばしたまっすぐの髪が、さらりと流れた。
 マルセル・イリヤ・サウスヴァール。14歳という年齢にそぐわず、文武に秀で、将来を嘱望されている。第二王位継承者であり、メイベルの異父弟だ。

 

「来てくれてありがとう。どうぞ、入って」

 

 ぎこちなくメイベルは招き入れる。マルセルは後ろ手に扉を閉め、おもむろにため息をついた。

 

「さっそくカーター中佐にバレたのですね、姉上。身分を隠す旅ではなかったのですか」
「ええ、そうなんだけどちょっと事情があって、急いでここへ来なくてはならなかったの」
「事情、ですか」

 

 マルセルは喉で笑う。美しい容貌だが、冷徹な空気が柔らかさを排していた。
 メイベルはたじろきながらも、答える。

 

「禁術書を見つけたの。危険なものだからすぐ軍に渡した方がいいということになって、ここへ来たの」
「……禁術書?」

 

 マルセルはわずかに眉を寄せた。

 

「何に首を突っ込んだのですか。禁術書など、尋常じゃない」
「首を突っ込んだんじゃなくて、旅の掟に従っただけというか、巻き込まれたというか……」

 

 いきさつを説明する間、マルセルは頷くこともせず、ただ黙って聞いていた。イアンに騙され、殺されそうになったことは軽率だと思うが、旅の掟がある以上、仕方のない出来事だと思う。マルセルの怒りに触れるようなことをしていないはずだ。
 だが説明し終わっても、マルセルは何も言わない。ただいつも通り冷たい表情で、メイベルから目を反らした。
 とっさに声を上げる。

 

「その日は無事にカルクの村に着いて、宿を借りたの。こうして砦にも辿りつけたし、旅は順調だよ」
「二人の盗賊は、その後どうなったんですか」

 

 静かにマルセルが問う。メイベルは動揺しつつも、答えた。

 

「会ってないわ。ライナスが荷物を取り戻したあと、すぐにこっちへ来てくれたから……」
「つまり、盗みを働いた輩をみすみす逃したということですか」

 

 言葉に詰まる。あの時はそこまで頭が回らなかったが、確かにマルセルの言う通りだ。

 

「それは……落ち度だと思うわ。反省する」
「イアンという男が証言した薬ですが、嘘をついていたという証拠の、小麦粉はどこにありますか」
「……確認してないけど、たぶん、持ってきてないと思う……」
「イアンの妹の所在は? 本当に存在していないという証言を、村人から複数取りましたか」
「……ごめんなさい」
「イアンが跡形もなく消えたとのことですが、つまりライナスが殺害したということですね。重要な参考人を、消してしまった」
「ら、ライナスの能力は未知数なの。だから本当に、殺してしまったと言えないよ。遠くへ飛ばしただけかもしれない」
「本気で思っているのですか」

 

 マルセルが冷笑する。

 

「あの男が、貴女を傷つけた存在を許すとでも? 恐らく骨の一片まで溶かし、気化させたのでしょう。徹底的だ」
「ライナスは、無闇に人を殺したりなんかしないわ」
「あなたに旅は無理だ」

 

 氷で切りつけるように、言い切る。

 

「ライナスに罪がないとは言わない。けれどそれ以上に、姉上自身が弱すぎる」
「――」

 

 何かを言わなければと思うが、言葉が出てこない。今まで何度も、心を抉られてきた。立ち向かおうとしたこともある。けれどマルセルの言葉はいつも正しくて、メイベルはうつむくしかなくなる。

 

「『騎士』の性質を知り尽くしている貴女が、彼に禁術書を持たせていたなんて、僕には考えられない。たまたま無事に辿り着けたからいいものを、万が一道中で姉上が何者かに襲われて、深い傷を負ったら―ー、禁術書を持つライナスは、どうすると思いますか」
「……!」

 

 ざ、と血の気が失せる。いつも真っすぐで、強くて、勇敢だから、どんなトラブルも乗り越えられる。けれど一度糸が切れてしまうと、堤が決壊して激情が奔流する。
 その糸は、『契約』を交わした『姫』が握っている。

 

「村で早馬を借り、府所のある町へ行くべきだった。その日の夕方には、辿りつけるところにあります」

 

 知らなかった。何の疑問もなく、馬車に乗って村で一泊した。

 

「ごめんなさい……。地理をあまり、知らなくて」
「貴女は騎士の主だということを、お忘れなきよう。何かあってからでは遅いのです。非はライナスではなく、姉上が負わなければならい」
「……マルセルなら騎士に、イアンをその場で捕えさせた?」
「そうしたでしょうが……残念ながら今のところ、僕の方があれより剣を扱える。盗賊を捕えるよう命じて、男は僕が受けもったでしょう」

 

 マルセルは、自身の第一騎士よりも強い。剣技に秀で、さらに賢く、次期王に彼を推す声が少なくないことを、メイベルは知っている。

 

「大量破壊武器である禁術書を、騎士に持たせるべきではない。危険だ。特に、『あなたの』騎士には」
「わたしが、弱いから……?」

 

 震える唇で問う。触れるだけで痛む剥き出しの膜を、ゆっくりと、剥がされてゆく。

 

「なぜ城から出たのですか。弱い花は、温室から出たら無残に枯れてしまうというのに」

 

 

 

 

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