ネット小説 【姫君と騎士の旅】 第2幕(5)

第2幕【4】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第2幕【6】

 

「メイベル!」

 

 聞きなれた声とともに、上体を抱え起こされた。同時に、手首も解放される。

 

「大丈夫かメイベル。怪我は?」
「あ……大丈夫、です。ライナスさま。――いた……っ」

 

 手首が赤く腫れ、膝には擦り傷ができていた。メイベルは膝から滲んだ血に、ギクリとする。

 

「……貴様……!」

 

 ライナスが煮え滾る目で男を射抜く。メイベルはとっさにライナスの服を引っ張った。

 

「ライナスさま、お騒がせして申し訳ありませんでした……! 王子のお手も煩わせてしまい、どんな罰でもお受けします。命が下るまで、私は部屋で待機しております」
「……。わかった、私も行こう」

 

 一瞬苦々しい顔になったが、冷静さを取り戻したライナスは、メイベルを立ち上がらせた。

 

「王子。のちほどお詫びに参ります」
「構わない。――遅いぞリネット。この痴れ者を拘束しろ」
「は、はいっ」

 

 リネットは慌てて、男の両手を縛る。この場の数名しか知らないことだが、この男は姫に手を出し、あまつさえ怪我をさせた。この場で斬られてもおかしくない。拘束だけですんだのは、男にとって僥倖である。
 アーネストがその場で膝まづいた。

 

「お見苦しい所作をお見せしてしまい、大変申し訳ございませんでした。アルデアの砦を任されている私の責任です。処分はいかようにも」
「良い。後処理をすべて、カーター中佐に一任する」
「――はっ」
「興が削がれた。部屋へ戻る」

 

 マルセルは踵を返した。軍人たちはアーネストにならい、膝まづいている。息すら止めているのではないかと思えるほど、張りつめた空気の中、メイベル一人だけが、辺りを見渡す余裕があった。
 いや、余裕ではない。
 心に決めた直後に、失態を犯してしまった。マルセルの視線がずっと、心を刺している。――しょせん姉上はその程度だ、と。
 人は決意した直後に成長できるわけではない。けれどあまりにも自分が、情けない。マルセルを動かしてしまった。危うく、ライナスが暴走するところだった。また、自分が至らなかったせいで。
 だからメイベルはひどく緊張した状態にあった。二度と失態は犯したくないと、尋常ではない集中力だった。だから『気づいた』。頭を下げているアーネストも、男を拘束するリネットも、メイベルを部屋へ促すライナスも、気づかなかったことだ。

 

(あの人、おかしい)

 

 軍人だった。他と同じく、膝をつき頭を垂れていた。中心近くだ。立てている方の膝に、腕を置いている。その、手。
 折り曲げた体でうまく隠しているが、確かに、金属的なきらめきが翻った。――マルセルを目がけて。
 メイベルは飛び出していた。マルセルが立ち止まり、目を見開く。鋭く放たれたナイフの前へ、何の躊躇もなく投げ出した体が、衝撃ののち、崩れ落ちた。
 フードが落ち、鮮やかな金髪が舞う。マルセルは、倒れ伏す寸前で、膝を折り受け止めた。

 

「――姉上」

 

 呆然と、呟きが落ちる。
 震える細い指先が、血の気の失せたマルセルの頬をなぞった。

 

「よかっ……た。無事で」

 

 微笑みが浮かぶ。いたわりに満ちた、優しい微笑み。
 ライナスとリネットが駆け寄ってくる。場は騒然となり、アーネストの鋭い指示が飛ぶ。どうやら犯人は、逃亡したようだ。

 

「姫……! すぐに、手当を!」

 

 小さなナイフは右肩に差し込まれ、血が服を染めていた。どんどん顔色が悪くなってゆく。王子を狙った刺客であればぬかりないだろう。ナイフに毒が塗りこまれているはずだ。
 ライナスが膝をつき、マルセルの腕からメイベルを抱き上げようとする。けれどその時、メイベルが強い力で、ライナスの腕をつかんだ。

 

「わたしの血を、のみなさい」

 

 ライナスは目を見張った。
 息が上がっている。蒼白の面で、それでも強い意志を宿らせた瞳で、ライナスを射抜く。

 

「毒が血を巡る前に。その力で、刺客を捕えなさい。生かして捕え、首謀者を聞き出しなさい」
「しかし姫、その前に手当を――」
「でないとまた、マルセルが襲われる」

 

 マルセルは息を呑んだ。

 

「砦の皆は酒を呑んでいます。このままでは、逃がしてしまう。第一王位継承者として命じます。――行きなさい」

 

 純粋で、だからこそ、誰よりも強い意志。誰であっても反することはできない。それは天性だ。メイベルがメイベルであるがゆえの、女王としての素質。
 マルセルは生まれた時から、姉を見てきた。弱すぎる優しさと、清廉な意志。そのアンバランスがいつか、女王になった時、姉を狂わせるのではないかと。
 ライナスはきつく眉を寄せた。面を伏せた一瞬ののち、メイベルの首筋に指を触れる。

 

「――ご下命、承知いたしました」

 

 マルセルに抱かれたまま、メイベルは少しだけ首を傾けた。白い肌に、ライナスが顔をうずめる。小さくメイベルの体が跳ねた。
 アーネストの指示で、常駐の医師が駆けつけた。ライナスは口元を拭って立ち上がる。鋭い双眸に、迷いはなかった。

 

「行ってまいります」
「ありがとう」

 

 辛そうに微笑む。一瞬だけライナスの目に、苦みがよぎった。一礼し、踵を返したあとは、矢の早さだった。

 

「どうですか、先生」

 

 今にも泣きそうな顔で、リネットが尋ねる。メイベルの警護を頼まれたのに、護り切れなかった責任を強く感じているのだろう。髭をたくわえた老医師は、すぐ医務室へ運ぶよう指示を出した。

 

「これは一刻を争う。早くしなければ間に合わんぞ」
「は、はい! わたしがお運びします。マルセルさまはアーネストさまのお側に……!」
「僕が運ぶ。リネットはカーター中佐の指示を仰げ」

 

 メイベルを抱いたまま、立ち上がる。ぐったりとした体はどんどん冷えていく。マルセルは温めるように抱きこんで、歩き出した。

 

 

 

 

第2幕【4】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第2幕【6】

 

 

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