ネット小説 【姫君と騎士の旅】 第3幕(1)

第2幕【6】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第3幕【2】

 

「 姫の血は、おまえに無限の力を与えるだろう。
   だが心しなさい。
   その力は時に、荒れ狂い刃を突き立てる――お前自身に 」

 

 

 

 

 小さな屋根裏部屋で、ふたつの影が重なる。
 蝋燭のほのかな明かりが風に揺れた。開け放った窓から、月明かりが降る。

 

「……っあ」

 

 光が翳る。夜の雲は黒く、大きな掌で月をつかむ。
 二人はベッドに腰かけていた。背の高いベッドだから、細い足が不安定に、宙で浮いていた。
 メイベルの唇から、切なげな吐息が漏れる。安物のベッドがきしんだ。ライナスの手が、頭の後ろをつかんで、少しだけ横に傾けている。
 一時的に伸びた犬歯が、柔肌を傷つける。ライナスの口中に、まろやかな甘さがひろがる。小さな手は、ライナスの服をきつくつかんでいる。
 痛みは感じないはずだ。『儀式』の際、騎士の体液は軽い麻痺を引き起こす。だからいつも丁寧に、肌を味わってから牙を突き立てる。
 けれどライナスはその行為に、彼女の苦痛を和らげる以外の意識が、自分の中に在ることを自覚している。

 

「らい、なす……」

 

 吐息の合間に、愛らしい声に、呼ばれる。
 血の甘さとあいまって、脳髄が溶かされる。
 これ以上飲むと、メイベルに負担がかかってしまう。けれど体の奥から突き上げる熱が、止まらない。抱きしめる腕に力がこもる。

 

「ライナス……っ」

 

 苦痛の滲んだ声に、ライナスは我に返った。
 腕をゆるめ、唇を離し、鎖骨へ流れる血を綺麗に舐めとる。傷はあとかたもなく消えて、白い肌だけが残った。
 くたりとした体を、優しく抱きしめる。

 

「……すみません。痛かったですか?」
「痛く、ないんだけど、腕が苦しかった。それに……ちょっとだけ、怖かった。ライナス、何かあった……?」

 

 一瞬、言葉につまる。メイベルの顎を持ち上げて、ごまかすように頬へ口づけた。

 

「ら、ライナスっ」
「何もありませんよ。そろそろおやすみください。今なら月が翳って、眠りやすい」

 

 横たえて、ふとんを掛ける。メイベルは顔を赤くして文句を言っていたが、やはり疲れが溜まっているのだろう、しばらくしたら穏やかな寝息が聞こえてきた。
 ライナスはベッドに腰かけたまま、寝顔を見下ろした。ここはとある町の宿屋だ。路銀を稼ぐために、10日前から住み込みで雇ってもらっている。
 あてがわれた部屋はとても狭くて、ベッドとサイドテーブルしかなかった。屋根裏なので天井が斜めに走り、蝋燭の明かりを狂わせる。
 ふとんから右手がはみでていた。誘われるように触れると、そっと握り返された。息を呑み、手を引こうとしても、――できなかった。
 メイベルは深く、眠っている。その時不意に、腹の底から熱のかたまりがせり上がってきた。精神的なものではなく、現実の『痛み』。
 肉体を食い荒らす、発作だ。

 

「……ぐっ……!」

 

 もう片方の手で、口を覆う。額から汗が流れ落ちる。このままでは激しく咳きこんでしまう。
 メイベルに、知られるわけにはいかない。
 ライナスは繋がれた手をそっと外し、燭台を持ち上げて屋根裏部屋から出た。苦痛で足が痺れ、うまく歩けない。

 

 

 

 

 城にいたころは、ここまで頻繁に、血を求めなかった。
 城の守りは堅固で、刺客が入り込む心配はほとんどなかった。自分以外にも衛兵が大勢いたため、万が一の場合が起こっても、皆の力を借りることができた。
 『儀式』を行うのは王族による祭事や、視察がある時くらいだ。ふた月に1度、多くても3度のペースだった。
 けれど旅を始めてから、3日に一度は必ずするようになった。初めての旅だから、最初は用心に越したことはない。その後、少しずつペースを落としていく予定だった。
 けれどなぜか、旅は最初から災難続きだ。盗賊、禁術書、刺客。中でも禁術書の『ヤバさ』は群を抜いている。一番初めに巻き込まれたトラブルが、最強破壊武器絡みだったということで、今回の旅路を憂慮せざるをえないのだ。
 恐らくメイベルは、禁術書に何が記されているか詳しくは知らないだろう。レベルの高い魔術が書かれているとでも思っているかもしれない。残念ながら、あれはそのように生易しいものではない。
 だから、警戒せざるをえないのだ。何かあってからでは遅い。護り切れずに失うようなことになったら――

 

「……ッ」

 

 激しくせき込む。胸の中枢が無茶苦茶に荒らされている。階段の踊り場に座り込んでいた。口元を掌で抑えた。黄色い炎が揺れる。
 しばらく経ったあと、一時的に収まり、ライナスは肩で息をついた。そっと掌を外し、きつく眉を寄せた。――まただ。
 苦痛に耐え抜いた体は、小刻みに震えている。抑えるように、ライナスは強く掌を握りしめた。ぬるりと、生暖かい体液がすべる。
 血液。
 類まれなる力を与える『儀式』――、奇跡の反動だ。

 

(なぜ、このような現象が起こるかは分からない)

 

 父ヨシュアは、まだ幼かったライナスにそう告げた。
 初めて『発作』を起こし、呆然と、血濡れた自分の掌を見下ろしていた。

 

(強すぎる力の反動だとも言われているが、歴代の騎士の中には、頻繁に『儀式』を行ってもびくともしなかった者もいる。発作に苦しむ者もいれば、麻薬中毒者のように禁断症状を引き起こし、理性を失って王家へ襲い掛かるもいる。)
(恐らくこれは、姫と騎士の相性の問題なのだと、私は思う)

 

 ライナスは、城にいた頃のペースであれば全く問題なかった。吐血した分は、呑み込んだメイベルの血ではなく、自分自身の血だろう。発作中は使い物にならないが、嵐が過ぎれば力が使える。
 それを父は、『相性』だと告げた。
 ライナスは口元を拭い、自嘲の笑みを浮かべる。
 自分かメイベルか。どちらかの体が、拒絶しているということか。
 自分の体がメイベルの血に拒否反応を起こしているか、――メイベルの血が、自分の体を拒絶しているのか。
 答えは自明だ。
 自分がメイベルを、拒むはずがない。

 

「当然だ――」

 

 片ひざを引きよせ、額を乗せる。
 メイベルの血は、女王の血。彼女自身は気付かなくても、体に眠る本能は、気付いているのだろう。
 ライナスは、騎士として、ふさわしくないと。
 殺しきれない私情がある限り、彼女を害する存在に、なりかねない、と。
 まだ発作が起こる程度であればいい。自分一人が耐えればすむ。だがもし、父の言うように、禁断症状を引き起こしたりしたら――

 

「ライナスさん……?」

 

 涼やかな声が耳を打った。
 ライナスは顔を上げる。雇い主のジェニーが、燭台を片手に立っていた。長いブラウンの髪に、大人しげな容貌の少女だ。偶然にも、メイベルと同い歳だった。彼女は兄とともに、宿を経営している。

 

「物音が聞こえたから。大丈夫ですか、ライナスさん。顔色、真っ青……」
「ああ、大丈夫だ。騒がせてごめん」

 

 あまり見られたくないところを、気付かれてしまった。ライナスは膝に力を入れて立ち上がろうとしたが、うまく立てずによろけた。

 

「危な……っ」

 

 ――眩暈がする。
 気づいたらジェニーごと、踊り場に倒れこんでいた。ライナスは慌てて手をつき、上体を起こそうとするが、うまく力が入らない。

 

「む、無理しないでください」

 

 すぐ目の前に、ジェニーの赤面があった。彼女の上に、自分の体がある。ライナスは力をこめて、何とか上体を起こし、壁に背をもたせた。

 

「ごめん。怪我、しなかった?」
「わたしは大丈夫です。でもそれより、ライナスさんが」

 

 ジェニーは頬を赤く染めて、しどろもどろに答えた。ライナスは血に濡れた掌をさりげなく後ろに隠す。

 

「オレは大丈夫だよ。ちょっと貧血を起こしただけなんだ。ジェニーこそ、こんな夜中にオレといると兄貴に怒られるぞ。早く戻った方がいい」
「お兄ちゃんは、何があっても朝まで起きない人だから大丈夫。貧血に効くハーブティーがあるんです。すぐ作るので、待っててください」
「ジェニー」

 

 彼女の手首をつかむ。頬を赤くして、ジェニーが振り返った。

 

「オレは大丈夫だから、気にしないでくれ。それとジェニー。このことは、メイベルに言わないでほしいんだ」
「メイベルちゃんは……知らないんですか?」

 

 ジェニーは目を見開いた。メイベルとの関係は、いとこ同士ということにしてある。メイベルの両親に会いに行くという、お決まりの設定だ。

 

「嘘をつかせるようで申し訳ないけど、黙っていてほしい」
「……はい。分かりました。でも、意外です。二人はとっても仲がいいから、隠し事なんてないと思っていました。心配をかけたくないんですよね。やっぱりライナスさんは優しいですね」
「そんなことはないよ」

 

 ジェニーの手首を離して、ライナスは微笑んだ。

 

「でも、そういう理由なら、オレも少し救われる」

 

 

 

 

第2幕【6】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第3幕【2】

 

 

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