ネット小説 【姫君と騎士の旅】 第3幕(2)

第3幕【1】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第3幕【3】

 

 朝は底抜けの晴天だった。
 仕事は早朝から始まる。顔を洗い、メイベルとともに1階へ降りると、ジェニーの兄、フリックが、食堂ではたき片手に掃除を始めていた。

 

「遅せーぞおまえら。下っ端は夜明け前から働くもんだ! ほら、キリキリ働け!」

 

 口は悪いが、上機嫌の笑顔である。おおらかで常に明るい、大柄な男だ。25歳。ジェニーと歳が離れているが、仲のいい兄妹である。

 

「ごめんなさいフリック、少し寝坊してしまったの。ジェニーはどこ? すぐ手伝いに行くわ」
「ジェニーは厨房だ。それにしても寝坊なんて珍しいな。初めてじゃないか?」
「うん。それがね、寝坊したのはライナスなの。すごく珍しいのよ」
「ごめん。疲れてるんだ、毎日フリックにコキ使われてるからさ」
「はっはっは、今日もコキ使ってやるぞ! さっそくだがライナス、朝食食べたらジェニーと市場に行ってきてくれ。そろそろ香辛料が切れるんだ。他にもたくさんあるからよろしくな、荷物持ち。ほい、これがメモ」
「了解、ご主人さま」

 

 ライナスは軽く笑う。昨夜はあれからずっと胸の苦しさが続き、ほとんど眠れなかった。
 メイベルとともに厨房へ入ると、ジェニーが振り向いた。

 

「おはよう、ライナスさん、メイベルちゃん。二人の朝ごはん、そこに置いてあるよ」
「おはよう、ジェニー。ごはん用意してくれたのね。ごめんね、遅くなっちゃって。お客さんのごはんはまだよね? わたし作るわ」
「ありがとう。今朝のメニューは4番だよ。今日お客さん少ないし、まだ余裕があるからゆっくりでいいよ。一緒に作ろ」
「ジェニーはオレと買い出しだよ。フリックの命令だ」

 

 ライナスが言うと、ジェニーは一瞬動きを止めた。それからほんのりと、耳を赤く染める。

 

「ライナスさんと?」
「ああ。メイベル、一人で調理当番だけど、指を切ったり火傷したりしないようにな」
「大丈夫よ、料理慣れてきたもの。ジェニーがいろいろ教えてくれたわ。ね、ジェニー」
「えっ? あ、うん」
「どうしたのジェニー、顔赤いわ」

 

 メイベルが首をかしげる。ジェニーは我に返り、首を振った。

 

「なっ、何でもないの。あとはよろしくね、メイベルちゃん」
「うん、頑張るわ」

 

 包丁片手に、メイベルはにっこり笑う。城にいるころは料理などしたことなかったはずだ。一抹の不安を覚えつつ、ライナスはジェニーとともに宿を出た。

 

 

 

 

 早朝の市場はすいていた。
 テントを張った露店が所狭しとひしめいている。目当ての店を回るたび、ライナスの腕に荷物が増えていった。

 

「ごめんなさいライナスさん。わたし、袋半分持ちます」
「大丈夫だよ。こんなの軽いものだ。その代わり、ジェニーは財布をしっかり持っていてくれよ」

 

 ジェニーはライナスと目が合うと、頬を染めて、あわてて逸らす。

 

「あ、ありがとうございます。次のお店で終わりですから――」

 

 ジェニーはふいに立ち止まる。迷うような沈黙のあと、ライナスを見上げた。

 

「あの……次のお店だけは、荷物交換しませんか? 荷物をここで見ているので、ライナスさんに買ってきてもらってもいいですか?」
「それは構わないけど、どうしたんだ? 次の店に、苦手なものでも売っているのか?」
「そういうわけでは、ないんですけど」

 

 ジェニーは曖昧に笑う。ライナスは道のすみに荷物を置き、手を差し出した。

 

「じゃあ買ってくるよ。財布、もらうな。すぐそこの店でいいんだろ?」
「は、はい。ごめんなさい、お願いします。これ、買い物メモです」

 

 ジェニーはほっとしたように頭を下げる。ライナスが踵を返すと、目当ての店から一人の青年が出てきた。鋭い顔つきの男だ。じっとこちらを見ているので、ライナスは肩越しにジェニーを振り返った。

 

「知り合い? 睨んでるっぽいけど」
「あ……。いえ、ちょっと……」

 

 みるみるジェニーが青ざめてゆく。ライナスは眉をひそめて、もう一度男を見た。20代前半だろう。手ぶらで店から出てきたところを見ると、店員かもしれない。
 暗い目でこちらを見つめている。いや正しくは、『ジェニー』を。
 あの男は、どこか危険だ。ライナスは道に置きっぱなしの袋を持ち上げた。

 

「今日は帰ろう。あの店には、オレがあとから買いに来るよ」
「あっ、で、でも」
「メイベルがきちんと料理できてるか心配なんだ。とんでもないものをお客さんに出して、評判が落ちたら大変だろ。せっかくジェニーのおいしい料理で、お客さんを捕まえてるのに」

 

 ライナスはジェニーを促しながら、宿へ歩き出す。すると背後から、怒りのこもった声が叩きつけられた。

 

「おい。どこ行くんだよ、ジェニー」

 

 びくりと、ジェニーの肩が跳ねる。振向けないでいる彼女の代わりに、ライナスが答えた。

 

「家に帰るんだよ。これから仕事なんだ」
「……誰だよ、てめえ。ジェニーの何だ?」

 

 憎悪を隠しもせず、彼は睨みつけてくる。ジェニーの恋人……ではないだろう。彼女の怯えようを見れば、実は命を狙われていると言われた方がしっくりくる程だ。

 

「君には関係ないだろ。行こう、ジェニー」
「ジェニーに触るなッ」

 

 突然、男が掴みかかってきた。ジェニーが小さく悲鳴を上げる。ライナスは舌打ちして、彼の腕をひねりあげた。
 ぐ、と力を入れると、男は苦悶の声を上げる。

 

「や、やめろ、離せよバカ野郎がっ……!」
「いきなり無礼なマネをしておいて、その言い草はなんだ?」
「い、いてててて」
「じ、ジャック……!」

 

 蒼白になり、ジェニーが声を上げた。名を呼ばれ、男の顔に喜色が浮かぶ。

 

「な、なんだジェニー。やっぱりこの男のこと、嫌なんだろ? 追い払ってほしいんだろ?!」
「そうじゃない、違うのジャック。もう何度も言ってるじゃない、わたしに構わないで、放っておいて。ジャックの気持ちには応えられない。これから先も、ずっと――」
「嘘だ! ジェニーはいつもオレの隣で笑っていたじゃないか! だから嘘だ、嘘だ、嘘だッ」

 

 ジャックがひきつった声を上げる。ジェニーは怯えたように耳をふさいだ。

 

「お願いジャック、お願い、分かって――」
「ジェニーは嘘をついてる、オレには分かってるよ、だからジェニー、また前みたいに、一緒に」
「おい」

 

 ライナスはジャックの喉をつかみ、無理やりこっちを向かせた。ひ、とジャックが悲鳴を上げる。

 

「おまえはフラれたんだよ。男なら引き下がれ、みっともない」
「な、……なっ……!」

 

 ジャックの面に怒りが膨れ上がっていく。ライナスの腹の胸が、チリチリ痛んだ。酷くイラついている。この男に。
 さらに言葉を繋げようとした時、店からジャックを呼ぶ声がした。店主がジャックの不在に気づき、怒っているようだ。ライナスが手を離すと、ジャックはよろけて尻もちをついた。

 

「ジェニー、また、会いに行くからな……!」

 

 粘着質な視線を残して、ジャックは店へ戻っていった。ジェニーは答えることができず、震えて俯いた。
 ……泣いているのかもしれない。
 詳しい事情は分からないが、ジャックの言葉から推測するに、昔は仲が良かったようだ。
 ライナスは荷物を持ち直し、ジェニーをそっと促した。

 

「とりあえず、戻ろう。今日は部屋で休んでいるといい。フリックには、ジェニーが体調悪いってオレから言っておくよ」
「お兄ちゃんには、言わないで……!」

 

 ジェニーが顔を上げる。やはり涙が零れていた。ライナスは微笑む。

 

「ああ、ジャックのことは言わないよ」
「……。ごめんなさい。ライナスさん……」
「謝るようなこと、してないじゃないか」
「ジャックは……幼馴染なんです。ずっと、仲のいい友達でいられると思ってた。でも、ジャックはそうじゃなくて……。去年あたりから、恋人になってほしいって、言われ続けて。わたし、毎回断ってるのに、全然聞き入れてくれなくて」
「思い込みが激しそうなタイプだもんな」
「もうどうしていいか、分からない」

 

 ジェニーは首を振る。ライナスは彼女の髪を撫でながら、言った。

 

「オレが一緒にいる時は追い払ってやる。でも酷いようなら治安官に言った方がいい。初対面のオレにつかみかかってきた所を見ると、あの男は危険だと思う」
「はい……」
「もちろん、フリックにもな」

 

 ジェニーは沈黙した。両親は幼い頃亡くなったらしく、フリックが一人でジェニーを育ててきたと聞いた。よけいな心配はかけたくないのだろう。
 ジャックという男は、本当に厄介だ。想いの強さには感服するが、独りよがりに過ぎる。

 

(叶わない想い、か)

 

 また、胸の底がチリチリと痛んだ。

 

 

 

 

第3幕【1】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第3幕【3】

 

 

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