ネット小説 【姫君と騎士の旅】 第3幕(3)

第3幕【2】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第3幕【4】

 

「ジェニーは大丈夫かしら。今日はずっと寝てたみたいだったけど……」

 

 屋根裏部屋に入りつつ、メイベルが言った。心配していた料理は及第点だったが、指に切り傷をいくつも作ってしまっていた。

 

「買い物に出た時から貧血気味のようでしたから。でも明日には回復すると思いますよ」
「痩せているし、もともと体が弱いかもしれないわね。ジェニーが明日も寝込んでも、わたしが頑張るから問題ないわ」
「頼もしい限りです。けれどあまり傷を増やさないでくださいね」
「だんだん上手くなってるもの、大丈夫よ。はい、これ。ライナスの寝巻きよ。わたしも着替えるから、向こうむいていて」
「いつも思うのですが……。姫のお体は12歳の時から何ら変わらないように思います。だからそこまで警戒される必要はないかと」
「向こうむいてて!」

 

 怒りの声に、苦笑しつつライナスは背を向ける。ついでに自分も着替え始めると、背後で衣擦れの音が聞こえた。――手が、止まる。

 

「いい匂いがするわ。もしかしてライナス、洗ってくれたの?」
「……ええ。今日、時間が空いたものですから」
「嬉しい。ありがとう、ライナス」

 

 無邪気にメイベルは言う。ライナスは熱のこもる目を、閉じる。昨夜抱きしめた、メイベルのやわらかさと共に。
 自分の余裕のなさが、信じられない。今まで何度もあったシチュエーションだ。なのになぜ、今夜はこんなにも。

 

「もうこっち見ていいわ、ライナス。もう少し起きてる? 蝋燭が残り短いから、起きてるなら新しいの出すけれど」
「……。いえ。姫はもうお休みになりますよね」

 

 ライナスは振り返る。と、メイベルは顔を赤くした。

 

「ら、ライナス、上の服着てないっ」
「ああ、すみません。下だけ着替えて、あとは忘れていました」
「もう。ライナスはいつまでも、10歳のころみたいな感覚でいるから、困りものだわ」

 

 ライナスは一瞬言葉に詰まったが、すぐに微笑みで隠した。

 

「男はいつまでたっても成長しないものですよ」
「でも身長はにょきにょき伸びるから、羨ましいわ」
「そのうちマルセルさまも、姫を高いところから見下ろすようになります」
「そ、それは困るわ。怖さが5割増しよ」

 

 ライナスはタンクトップをかぶり、ベッドへ近づいた。

 

「そろそろ休みましょう。明日こそ寝坊しないようにしないと」
「そうね、フリックに怒られるわ。でもライナス、大丈夫? 最近顔色が悪い気がするのだけど、体調悪いの?」
「いたって健康ですよ。さあ、もう横になってください」
「まだあまり、眠くないのだけど……」

 

 不満の声をあげるメイベルを、ベッドの上に横たえる。毛布を掛けると、メイベルが再び口を開いた。

 

「でも、一緒のベッドで眠らなくなったわね。小さい頃はよく一緒に寝て、ジョシュアに怒られていたわ」
「一緒に寝てもいいのなら、いつでもさせて頂きますが」
「だ、だめ」

 

 メイベルは慌てて、毛布を口元まで引き上げる。ライナスはわずかに、口端をつり上げた。余裕のない心が、黒い方向へ向かう。
 ――男女の睦みも知らないというのに、拒絶だけは、一人前だ。

 

「なぜですか?」
「なぜって……。ジョシュアにも怒られたし、それに女中のみんなから、男の人と同じベッドに入っちゃいけないって言われたもの。時がきたらお母さまが男の人を連れてくるから、それまではだめだって。それが王女としての、心構えだって、言われたわ」
「――成程」

 

 心が黒く塗り潰されてゆく。分かっている。メイベルは王女だ。第一王位継承者ゆえに、他国へ嫁ぐことはないにしても、いつかふさわしい家柄の男と婚姻を結ぶ。
 ライナスはゆっくりと、両腕をつく。メイベルの両脇で、ベッドがきしんだ。彼女の頬に、軽い怯えが浮かぶ。

 

「では姫は、その男と何をなさるおつもりなのですか?」
「な、何って……、その……」

 

 メイベルの顔が赤くなり、口ごもる。どうやら少しは知識があるらしい。恐らくメイベルの頭にあるのは、口づけや、胸に触れるという程度のものだろうが。

 

「先ほども、お顔が赤く染まっていた。なぜですか」

 

 メイベルを上から見下ろしている。自分の笑みが、残酷さを孕んでいることに気が付いている。けれど、どうにもならない。

 

「そ、それはだって、ライナスの体は、わたしや女中のと全然違うんだもの」
「どう違うんですか?」
「ライナスの方が大きいし、背も高いし……」
「そんなこと、服の下を見なくても分かります」

 

 メイベルの怯えが増していく。ライナスはやわらかい頬に、口づけた。
 甘い香りが、脳を溶かす。

 

「10の頃とどう変わったのか……私に教えてください」

 

 首筋から鎖骨にかけて、指をすべらせる。メイベルの体がビクリと震えた。――だめだ、これ以上は。制止の声が上がる。けれど指先はメイベルの腹部に移り、寝巻きの下から直に肌へ触れた。

 

「ああ、本当だ。なめらかで……やわらかい」
「……っ」

 

 もう一度頬に口づける。
 掌が触れた肌は、心地よい弾力を返す。
 この体に、他の男が、触れるなど。

 

「ライ、ナス……ぅ」

 

 首筋に顔を埋めると、怯えきった声が、耳朶を打った。

 

「やだ……、嫌……。ライナス……」
「――姫」

 

 ライナスの胸に、痛みが走った。
 その時ふいに、光が消えた。蝋燭が尽きたのだ。
 突如訪れた暗闇に、目が慣れるまで時間が掛かった。その間に、沈黙が落ちる。ただ、メイベルが震えていることだけが、感じられた。小刻みに、怯える肩。雲がはけ、月光が射しこみ、やがて淡く照らし出す。
 翠の瞳は潤み、頬へ涙が伝っていた。

 

(――泣かせた)

 

 心臓を鷲掴みにされた。次いで悔恨が全身に広がる。今、自分は何をした?
 何よりも護らなければならない少女を、こんなにも、怯えさせて。

 

「姫――」

 

 呼びかけると、それだけでメイベルが大きく震えた。ライナスは唇を噛みしめて、小さな体を、これ以上ないほど優しく抱きしめた。

 

「申し訳ありません、姫。私がどうかしていました。本当に申し訳ありません」
「……ライナス……?」

 

 メイベルが震える声で呼んだ。

 

「本当に、ライナス……?」
「ええ、私です。姫……」
「怖かっ……、ちがう、人なんじゃないか、って……。ライナスじゃ、ないみたい、で」
「申し訳ありません。もう、二度と」

 

 メイベルの涙を拭う。冷えた肌が、メイベルの恐怖を物語っていた。昼間、肩を震わせて泣いていたジェニーとかぶる。
 ――あの男と同じか。自分は。

 

「二度と、姫にこのようなことをしないと、誓います」

 

 そう。自分は、『騎士』なのだから。
 メイベルは確かめるように、震える声で、ライナスの名を呼んだ。
 胸が掻き毟られるようにつらくて、ライナスはきつく、目を閉じた。

 

 

 

 

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