ネット小説 【姫君と騎士の旅】 第3幕(4)

第3幕【3】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第3幕【5】

 

 その夜は眠れなかった。空が白みはじめ、鳥が鳴く時分、ふいに1階から激しい物音と、少女の悲鳴が貫いた。
 床にひいた布団から、飛び起きる。横に置いてある剣をつかみ、メイベルを呼んだ。

 

「姫、起きてください」
「……ライナス?」

 

 不明瞭な声が返ってくる。目が真っ赤だ。泣き疲れて眠ったのだろう。ライナスは柄を握りしめる。

 

「ジェニーの悲鳴です。下を見てくるので、姫はここを動かないでください」
「ジェニーが?! どうして――、わたしも行く!」
「いけません」

 

 短く制止する。立ちあがるライナスの袖を、メイベルの手がつかんだ。

 

「姫、おとなしく――」
「嫌よ」

 

 ぐ、と強い力で引っ張られる。ライナスはきつく眉を寄せた。

 

「わがままを仰らないでください。私には姫をお護りする使命が」
「嫌よ、ライナス。見くびらないで」

 

 ライナスは息を呑む。
 泣き腫らして真っ赤な目が、強く、射抜いてくる。

 

「最近おかしいわ。わたしが気づかないと思っているの。ひとりで何を、抱え込んでいるの」

 

 いつもは弱々しく、優しげな瞳が、ふいに強い光を宿す瞬間を、ライナスは知っている。
 真実を暴く、鮮烈な、太陽の光――

 

「戻ってきたあと、わたしに全て打ち明けるのであれば、行かせてあげる。ちゃんと聞かせてくれるのなら、この先、どんなことでも、何をしても、ライナスがすることなら全部」

 

 メイベルの言葉が、心臓へ突き刺さる。
 いや――もうすでに、この心臓は縛りつけられている。逃れられない、幾重にも張り巡らされ、血の色をした鎖によって。

 

「このわたしが、許すわ」

 

 

 

 

 宿泊客たちは凍りついて、その光景を見ていることしかできなかった。

 

「やめて、やめてジャック……!」

 

 食堂の、一番大きなテーブルに、ジェニーは押し倒されていた。
 その男は右手に大きなナイフを持ち、歪んだ笑みを浮かべながら、勢いよくテーブルに突き立てた。ジェニーの頬から、薄く血が流れる。
 宿泊客たちは、近づくなとナイフを振り回され、、宿から出るなと脅されて、何もできずに凶行を見ている。男に説得を試みた者もいたが、苛立った刃に斬られ、意識不明となった。

 

「ジャック、どうして……どうして、こんなこと……!」
「ああジェニー、泣かないで。僕は君の苦しみを取り除きに来たんだ。君を救いに来たんだよ、ジェニー」

 

 ジャックの震える指が、ジェニーの頬に触れる。瞳孔は開ききり、異常なほど歪んだ笑みが、ジェニーだけを見つめていた。

 

「フリックが昨夜、オレのところに来たんだ。『もうジェニーに近づくな』って。『ジェニーは何も言わないけれど、ジャックのことを怯えてる』って。だからオレ、分かったんだ。分かったんだよ。ジェニーのことを縛りつけてるのは、フリックだって。だからほら、フリックを黙らせたからジェニーは、オレのところへ来れるだろう?」
「あ……あ……!」

 

 ジェニーの震える視界が、部屋の隅を捉える。肩から鮮血を流し、ぐったりと壁に背を預ける、兄の姿があった。

 

「嫌……嫌ああっ! お兄ちゃん、お兄ちゃんッ!」
「ジェニー。オレの、可愛いジェニー。これからはずっと、ずっと一緒だよ」

 

 ジェニーの手首に爪が食い込む。血が流れ、鋭い痛みに悲鳴を上げる。ジャックがさらい体重をかけ、ジェニーの震える唇に、自身のそれを押しあてようとした、――その時。

 

 

 

 

 

 ―― ライナスのすることなら、このわたしが、すべて ――

 

 

 清廉な水が流れる、美しい部屋があった。
 城の最上階の、開かずの間。『初宵の儀式』(はつよいのぎしき)は秘められた形でひっそりと、行われた。
 それは、新月の夜。
 ライナスが扉を開けると、薄い衣を纏った少女が、真ん中に佇んでいた。まるで夢の中にいるような、美しい少女だった。

 

「ライナス」

 

 月光の下、無垢な微笑みが、呼んだ。
 ライナスは誘われるように、足を踏み出す。儀式の手順は父親から教えられていた。けれどそれが一から吹き飛ぶほどに、彼女の存在は鮮烈だった。
 出会うのはこれで、二度目。三年ぶりだ。たった三年だというのに、何百年も会えなかったように、狂おしく、胸がしめつけられた。
 この想いが何なのか、知らない。
 エオウィンに生まれた者すべてが背負う、強烈な本能かもしれない。王家の血を求める衝動か、護るべき主に出会えた喜びか、それとも、ただの『ライナス』としての、感情か。
 けれど言葉にすることが愚かなほど、少女は優しく、可憐に微笑む。

 

「やっと、会えたね」

 

 目前でひざまずくライナスに、メイベルは言葉を掛ける。その声に、ライナスの視界が震えた。
 差し出された手の甲に、口づけを落とす。そして腰に提げた剣を抜き、柄を、メイベルへ差し出す。彼女の手が、それを握り、ライナスの肩へ剣身を置いた。

 

「……誠実で、ありなさい」

 

 鈴のような声が、清浄な間に響き渡る。

 

「裏切ることなく、欺くことなく、常に優しく、常に勇ましく、主を護る盾となり、敵を討つ剣となり、永遠の誓いを、神と、月と、己の血に刻みなさい」

 

 肩から剣が離れる。上体を起こしたライナスの胸へ、剣先が突きつけられた。
 彼女が握る刃にならば、今すぐに貫かれても、構わない。
 狂喜に酔いしれるような、制御のきかない熱源がある。

 

「私、ライナス・エオウィンは」

 

 翆玉を、見つめ返す。これまで見てきたどんな宝石よりも鮮やかで、澄みきっていた。

 

「神と、月と、己の血と、我が主メイベル・ミーティア・サウスヴァール王女の御名において、盾となり、剣となり、常に正しく、我が君をお護りすることを、誓います」

 

 剣身に掌を添え、ライナスは静かに口づけた。

 

「ライナス・エオウィン。貴方をわたしの騎士と、認めます」

 

 メイベルが剣を離す。ライナスは柄をつかんだ。メイベルの手を取って、刃をごく小さく、走らせた。
 わずかな痛みに、メイベルは眉を寄せる。その表情に、ライナスは戸惑った。

 

「……姫」
「大丈夫よ、ライナス」

 

 メイベルはまだ8歳で、怪我など負わないよう、大切に育てられてきた。痛みの耐性はあまりないはずだ。それでも嬉しそうに、微笑みを浮かべた。

 

「ずっと、淋しかった。3年前、ライナスと初めて会ったときからずっと、今日を待っていたの」

 

 手の甲から、薄く血が盛り上がり、流れた。抗いがたい芳香が漂う。
 王家が騎士を求めるのも、また本能であるという。メイベルの言葉に強く突き動かされ、ライナスは手の甲に、唇を寄せる。
 初めて味わう姫の血は、体内を溶かすほどに甘く、切なく。
 ただ月と、清廉なる水の流れが、儀式を静かに、祝福した。

 

 

 

 

 あの時から、決めたんだ。

 

「ジェニーから離れてもらおうか」

 

 ライナスの剣身が、ジャックの顎を持ち上げる。
 彼の、驚愕の眼差しが、激しい怒りに染められていく。

 

「てめえ、また邪魔しにきやがって……!」
「おまえは何か、勘違いをしている」

 

 永遠に、護り続ける。
 それは何があっても、ずっと、彼女の側にい続けるということだ。

 

「愛してるなら、傷つけるな。側にいたいなら、護りきれ。それに逆らい、力でねじ伏せようとするなど、言語道断だ」

 

 柄を強く、握り締める。7年前の夜、メイベルに誓った。彼女が近い将来、他の男性と結ばれても、自分が騎士であることに変わりはない。

 

「そんな男に、ジェニーの側にいる資格はない。それでも欲しいなら、奪ってみせろ。おまえのやり方が正しいのなら、力でオレをねじ伏せてみろ。だが絶対に、オレは負けない」

 

 彼女の笑顔を護り続けることに、変わりはない。

 

 

 

 

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