ネット小説 【姫君と騎士の旅】 第4幕(8)

第4幕【7】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第4幕【9】

 

 窓の外で、満月が闇を和らげていた。あの夜からすでに3日が経過していた。
 部屋の扉には鍵かけられ、窓には鉄格子がはめられている。メイベルは鈍色の間から月を見上げた。レイオンはあれから一度も姿を現さない。「新しい家を用意する」と言い、出て行ったきりだ。
 いつも食事は、双子が運んできた。何を聞いても肝心なことは答えてくれない。シリルのこと、ヘンリエッタのこと、村人のこと。そして、ライナスのこと。
 レイオンは、王家と騎士を使って『実験』をしたいと言っていた。つまり儀式と禁術を組み合わせるとどうなるか、試してみたいのだろう。どのような『組み合わせ方』なのか、想像つかないし、したくもない。
 ライナスは無事だろうか。あの夜引き離されたまま、一度も会っていない。最後に見た、意識のない蒼白の面が、頭から離れない。
 このままでは八方塞がりだ。自分の力ではここから脱出できない。このままレイオンの帰りを待ち、彼に実験を施され、その後は婚姻を結ばなければならないのだろうか。
 あまりにも考え難く、おぞましい未来だ。

 

 

 

 

 ずるり、と傷だらけの体を引きずって、シリルは木陰に背を預ける。
 森の中を逃げ回り、すでに3日が過ぎた。近隣の村はすべて禁術に堕ちている。ヘタに街道へ出るより、入り組んだ森の中に隠れていた方がいいと判断したのだ。何日か経てば、連絡が途絶えたことを訝しみ、教会士が派遣されてくるだろう。体はすでに悲鳴を上げているが、それまで我慢するしかない。
 まだ一度も発砲できていなかった。何度も撃とうとしたが、ただ操られているだけの村人を傷つけることは、どうしてもできなかった。銃弾の一発で、人は簡単に死ぬ。

 

「甘いなぁ、オレ」

 

 自嘲の笑みが落ちる。満月が明るくて、木の影が濃い。うずくまるようにして、体を隠した。
 メイベルとライナスは無事だろうか。第一騎士は腕が立つと聞くが、薬で気を失ってしまってはどうにもならないだろう。もっと早く、双子が盗人だという証拠をつかんでいれば、こんなことにはならなかった。全て自分の責任だ。
 もしかしたら森の動物を殺したのは、ヘンリエッタかもしれない。この状況を作るため、双子に命じられたのかもしれない。動物と仲良くなれたことを、ヘンリエッタは喜んでいたのに。
 疲れきっているせいか、思考が下がってゆく。引き寄せた膝に、顔を埋める。――撃ちたくない。全部自分のせいなのだ。でも援護が来る前に、彼女らに見つかったら? その時はもう、この手で撃つしか。

 

「――動かないでください」

 

 シリルは息を止めた。
 見つかったと絶望した直後、この人物が『まともに喋った』ことに思い至る。村人たちはつねに無言で動いていた。命令されない限り、余計な言葉は発しない。教会士かとも思ったが、仲間ならこのような声の掛け方はしない。

 

「あなたは『シリル』ですね? 村人たちが追っているのは、あなたですか」
「……ああ。その通りだ」

 

 落ち着いた、少女の声音。答えつつ、シリルは慎重に顔を上げる。細身の剣先がこちらを向いていた。少女は片ひざを地面につき、まっすぐにこちらを見つめていた。
 黒い髪と、紺色の瞳。ふいに、彼の姿が頭をよぎった。――まさか、彼女は。

 

「わたしの名はリネット・エオウィン。わが主、マルセル王子の命で参じました。あなたを助けます。今どのような状況になっているのか、教えてください」
「エオウィン……?! じゃあおまえ、第一騎士か」
「はい。ライナス・エオウィンの妹です」

 

 リネットは剣を引いた。黒い髪を、高い位置で結っている。小柄な少女だ。とても第一騎士が務まるように見えない。
 だがエオウィンの血を引くということは、やはり『儀式』ができるのだろう。そうなれば相当な戦力が期待できる。

 

「兄上と姫さまが、あなたと一緒にいたはずです。どこにいますか?」
「……すまない。ライナスとメイベルは、奴らに連れて行かれちまった。オレがマークしてた双子の少年だ。ここに来たってことは、あいつらのことも知ってるんだろ?」

 

 リネットは顔を曇らせつつ、頷く。そこへ、新たな人影が現れた。
 月光を受けた金髪がなめらかに輝く。淡く冷えた翠玉の瞳。少年の美しさと、圧倒的な存在感に息を呑む。彼によく似た人物を、シリルは知っている。

 

「リネット。村人が集まってきている。動けるように準備をしておけ」
「はい、マルセルさま。シリルさんはここにいてください。わたしたちが守ります」
「マ……ルセル、って。今度は王子さまかよ」
「無礼な物言いだな」

 

 マルセルは、形のいい眉をしかめる。

 

「まあいい。今は非常時だ、許そう。姉上は例の双子に攫われたのだな? ライナスは何をしていた」
「ヤバい薬盛られて意識不明だった。今はどうかわからねえが、たぶん身動きできない状態だと思う」
「では『儀式』をしていない状態ということか。まあいい。攫われたのならば、助け出すまでだ」
「王子。この辺りはすでに囲まれています」

 

 もう一人、青年が現れた。穏やかな表情をしているが、どこにも隙がない。マルセルは頷いた。

 

「強行突破する。ただし殺すな。王国民だ。峰、もしくは鞘に入れたままで戦え」
「はっ」
「マルセルさまは、わたしとアーネストさまの後ろにいてくださいね」
「面白くもない冗談を言うな」

 

 鼻白んだ様子で、マルセルは腰の剣を抜く。美しい装飾が施された、至玉の剣。

 

「武に劣るような生半可な鍛え方はしていない。行くぞ」 

 

 

 

 

 今、何時頃だろう。この部屋には時計がない。
 深夜であることは確かだ。ウィリアムたちはもう、眠っただろうか。メイベルは眠れそうにない。
 だがふいに、扉が開かれた。メイベルは目を見開き、振り返る。頑丈な鍵をこじ開けた張本人は、メイベルと目が合うと、口端をつり上げた。

 

「なに病人みたいな顔してんだよ」
「シリル……?! 無事だったのね!」

 

 メイベルはシリルに抱きついた。あれほど多くの村人に囲まれて、仲間であるヘンリエッタに刃を向けられて、それでも無事だったのだ。嬉しくて、涙すら出そうになる。

 

「それはこっちのセリフだ。怪我はしてねえな?」
「うん、大丈夫よ。でもライナスは拘束されて、地下へ連れて行かれたの。あれから一度も会っていないわ」

 

 シリルに促されて、メイベルは部屋を出る。するとそこに、見知った青年の姿があった。彼の足元には、見張りの村人が倒れている。

 

「アーネスト! 来てくれていたのね」
「姫。ご無事で何よりです」

 

 にこりとアーネストは笑む。

 

「外に村人がひしめいていますが、マルセル王子とリネットが防いでくれています」
「1階にウィリアムとアーネストが寝てたはずだけど……」
「あのガキどもは、金髪王子に拘束されてたぜ。こいつら2人強すぎだ」

 

 シリルが呆れたようにアーネストを見上げる。苦笑しつつ、アーネストは言った。

 

「姫、ライナスはどこですか?」
「たぶん、地下にいると思うの。入口を案内するわ、ついてきて」

 

 

 

 

 ――闇だ。
 ゆるやかに四肢へからみつき、安らぎすら感じさせる。
 甚大な苦痛の果てに訪れた、静寂。体も心もすべて、ゆだねてしまいそうなほど。

 

( ゴプリ )

 

 心が奇怪な音を立てる。
 ゆっくりと形を変えてゆく。もとの形を失って、創り変えられてゆく。
 駄目だ、と遠くで制止の声が響く。駄目だ、自分を見失うな。大切なものを、手放すな。
 ライナスは暗闇に手を伸ばしたが、何もつかむことができなかった。ただ力なく、床へ落ちた。

 

 

 

 

 階段を降り切ると、細く短い通路が伸びていた。壁に下がったランプ。左側に鉄の扉がある。
 その前に、異形の村人が二人、立っていた。こちらに気づき、うつろな両眼で、鋭く伸びた爪を持ち上げる。

 

「姫はここに」

 

 短く告げて、アーネストの剣が疾った。牙と爪が異常に伸びた村人は、一閃する刃に倒れ伏した。
 血は流れていない。峰打ちだ。

 

「ライナスはここですね」
「うん、そのはずだわ」

 

 メイベルは頷く。気が逸り、力いっぱい扉を押すがびくともしない。

 

「どいてろ、メイベル。鍵を壊す」

 

 懐から銃を取り出し、鍵の部分へ打ち込んだ。同時に勢いよく蹴り開ける。
 狭く、冷たい空間が現れる。

 

「ライナス……!」

 

 メイベルは駈け出した。両手首を頭上で拘束され、ぐったりと頭を落としていた。両膝をつき、ライナスの頬へ、両手を伸ばす。
 ぞっとするほど、冷たい。

 

「ライナス、起きて。助けに来たよ。ライナス……!」

 

 このようなライナスの姿を、見たことがない。まるで糸の切れた人形のようだ。固く閉ざされた瞼に、深い影が落ちている。大きな怪我をしているようには見えない。けれどこのライナスはまるで、抜け殻のようで。
 震える掌を、ライナスの胸へ当てる。心臓は、動いている。息もしている。
 メイベルの全身から力が抜けた。もう一度両手を伸ばし、首に回して抱きしめる。
 ――やっと、会えた。
 嬉しさと安堵で、胸が一杯になる。

 

「姫、鎖をはずします。少し離れてください」

 

 アーネストが微笑みながら、メイベルの肩に手を添える。頷いて体を離すと、シリルが銃弾を2発、撃ちこんだ。
 鎖が外れ、解放される。メイベルは冷え切っている彼の両手を、己のそれで包みこんだ。

 

「姉上。ご無事でしたか」

 

 背後からマルセルの声がして、振り返る。彼の隣には、剣を携えたリネットもいた。

 

「マルセルたちまで来てくれて……本当に、ありがとう」
「これはすでに国際問題です。ただ母上にはまだ報告していません。南方諸国の紛争が激しく、そちらの対応に追われている。だから僕が単独で動きました」
「門番の目を盗んで城から出てきたんです。ちょっと面白かったですよね、マルセルさま」
「ああ。肝心なところでおまえの腹の虫が泣いて、あやうく捕まるところだったな」
「ご、ごめんなさい。あの時はパンをくださって、ありがとうございますマルセルさま」

 

 リネットは恐縮する。いつも通りのやりとりに、メイベルの心は少しだけやわらいだ。

 

「シリルはライナスを運べ。アーネストは姉上を頼む。私が双子を引き受けるから、リネットが先陣を務めろ。村人はあらかた沈めたが、動ける者はまだいる。馬を待たせてあるところまで、一気に駆ける」

 

 マルセルの指示に、全員が頷いた。危機的状況においても、冷静に判断を下せる弟を誇りに思う。
 アーネストに促され、メイベルは名残惜しいが、ライナスの手を離そうとした。自分ではライナスを運べないから、シリルに任せるしかないのだ。
 だが、異変が起きた。完全に気を失っていたはずの、ライナスの指が、メイベルの手を固く掴んだのだ。

 

「痛……っ」

 

 あまりの強さに、眉を寄せた。ライナスの目が覚めたと、喜ぶ間もなかった。この場の全員が、現実を認識する時間を与えられなかった。
 強く引き寄せられ、バランスを崩した。ライナスの広い肩に、頬がぶつかった。ぐ、とそのまま引き上げられ、腰に回された腕にきつく、抱きしめられる。

 

「ライナス、――」

 

 声は凶暴に、奪われた。
 頭の後ろを大きな掌に掴まれる。ブツリ、と首筋から怪音が鳴る。皮膚が破られ、牙が食い込む、激烈な痛み――

 

「姉上っ!」

 

 マルセルの声が遠くで、聞こえた。

 

 

 

 

第4幕【7】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第4幕【9】

 

 

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