ネット小説 【姫君と騎士の旅】 第4幕(9)

第4幕【8】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第4幕【10】

 

 体液を塗りこまないまま突き立てられた牙は、強烈な痛みをもたらした。

 

(熱い)

 

 全身の血液が、首筋へ集中する。ゴクリと大きく、ライナスの喉が鳴った。

 

「やめろ、ライナス!」

 

 アーネストが伸ばした腕は、見えない壁にあっけなく弾かれた。突風が吹きすさび、アーネストの全身を襲う。

 

「ぐっ……!」

 

 風は刃そのものだった。全身をめった斬りされ、大量の血が落ちる。リネットが蒼白になって、よろけるアーネストを支えた。
 『儀式』の力だ。

 

「兄さま、どうして」
「何トチ狂ってやがる!」

 

 シリルがメイベルを無理やり引き離そうとするが、今度は袖から炎が上がった。舌打ちして、肩から袖を破りさる。だが強烈な炎は、皮膚を溶かし筋肉までを激しく損傷させた。苦痛に耐えられず、シリルは膝をつく。

 

「ライ、ナス」

 

 かすれる声でメイベルは呼ぶ。指先で彼の胸元をつかんだ。体から力が抜けてゆく。ただ、首筋が、熱い。
 その時、リネットが動いた。エオウィン家として、そして妹として、兄の行為は何が何でも止めなくてはならない。
 マルセルが顔色を変えた。

 

「やめろリネット、おまえでは無理だ!」

 

 剣を構えてライナスへ向かっていくリネットが、いとも簡単に弾き飛ばされた。ライナスはピクリとも動いていない。無形の力がリネットの華奢な体を殴りつけたのだ。

 

「リネット……!」

 

 後ろへ倒れるリネットを、マルセルが受け止めた。血だらけの頬が震えて、かすれる声が漏れる。

 

「ごめんなさい、マルセルさま……。逃げて、くださ……」
「謝らなくていい、大丈夫だ」

 

 自身の袖を破り、最も出血の酷い右腕を止血する。そのまま気を失った体を、きつく抱きしめた。

 

(禁術か)

 

 マルセルは、ライナスを見据える。
 ライナスはゆっくりと立ち上がった。右腕に抱かれたメイベルは、すでに気を失っている。凶暴に傷つけられた首筋から、大量の血が流れ落ち、服を汚していた。
 ライナスの目は闇に沈んでいる。狂気に落ちた者の目だ。あの双子がライナスの精神を『創り変えた』としか思えない。
 最悪の事態だ。『儀式』を終えたライナスを止められる者など、存在するのか。

 

「……目を覚ませ。ライナス」

 

 だが止めなければ、この場にいる全員が殺されるかもしれない。そしてメイベルも、あれほどの出血を放っておいたらいずれ死に至るだろう。正気を保っていないライナスに、そこまで気が回るとは思えない。

 

「姉上を解放しろ。おまえは強い人間ではなかったのか。姉上を決して、傷つけない人間ではなかったのか……!」

 

 ライナスは無表情のまま、ゆっくりと歩を進める。こちらの声は全く届かない。マルセルはそっとリネットを床に寝かせ、自身の剣を抜いた
 汗で手が滑る。マルセルはきつく、柄を握りしめた。

 

「おやや、どなたかと思ったら、王子さまではないですか」

 

 場にそぐわない、間伸びした声がふいに、投げ込まれた。ライナスの動きが止まり、マルセルは声の主を振り返る。

 

「誰だ、おまえは」
「まあまあ、そんな怖い顔なさらずに。マルセル王子でしたら、私の顔がお分かりになるかと思うのですがね。あなたの城内粛清は、僕の部下をことごとく排してしまいましたから、結構痛手だったんですよ」
「……まさか、帝国の……?!」

 

 マルセルは息を呑む。ランプが照らし出す容貌は確かに、ルガード帝国第13皇子のものだ。メイベルの婚約者候補に立候補していたはずである。

 

「皇子ともあろうお方が、なぜこのようなあばら屋におられるのか」
「賢いあなたなら、もうお分かりでしょう」
「やはり皇子が黒幕か」
「ふふ。そう睨まずとも」
「何が望みだ」

 

 額から汗が流れる。レイオン・ヴァン・ルガード。彼の噂は知っている。メイベルの婚約者候補として名乗り出ていたため、マルセル独自で調べたことがあった。
 非常に優秀、人柄も穏やか。交渉術にも長け、代表として外交会議にも出席する。だがまことしやかに囁かれる、二つ名があった。
 ……『狂皇子』。

 

「僕は実験がしたいんですよ。王家と騎士の不思議な『力』と、禁術の力を掛け合わせたらどうなるかを知りたい。より強力な兵を作り出すんです。そしてメカニズムを研究して、王家とエオウィン家だけでなく、すべての民に『力』が発現できるようにする。そうすれば世界最強の軍が完成するでしょう。ふふ、なんて愉快なんでしょう」
「我が王国は戦乱に巻き込まれぬよう、外交術を駆使している。突出した軍は戦乱の火種となる。必要性がない」
「王子は非常に優秀なお方だと聞き及んでいますが、やはりただの噂だったようですね」

 

 レイオンは苦笑する。
 彼が住まう離宮にはつねに、奴隷商人が絶えないという。大量に奴隷を買い入れ、秘密裏に人体実験を繰り返しているという噂があった。彼は力に固執する性癖がある。病的なほどに。

 

「ここで皆さんを殺す選択肢もあるのですが、王子も騎士をお持ちである以上、立派な検体です。殺すのは惜しい。ここは見逃して差し上げますよ。さあライナス、こちらへ」

 

 レイオンの指示に、ライナスは従う。メイベルを抱いたまま、レイオンの傍らへ控えた。

 

「やめろ、ライナス! 姉上を実験体にする気か!」
「ふふ。残念ながら王子、あなたの声は届きませんよ」

 

 マルセルは歯を噛みしめる。冷静になれ、と己に言い聞かせる。

 

「……このようなことをして、ただですむと思っているのか。明るみに出れば帝国は、世界的信用を失う。あとは破滅しかない」
「明るみに出なければいいんですよ。あと、禁術書を喜んで盗み出したのは、あなたの民です。メイベル姫を襲ったのも王国の村人、貴方たちを傷つけたのは姫の騎士。ほら、どこに僕の名前が出てくるんですか? 王子一人が叫んだところで、誰も信じやしませんよ」
「ならば刺し違えてでも貴様を倒し、世界に公表する……!」
「可愛いですね、勝てると思っているのだから。王子のその目、いいですよ? 姫と同じ色の瞳なのに、輝きがまったく違う。とても熱い。……そうだな、こういうのはどうですか? もし王子がそこから一歩でも動けば、ライナスにリネットさんを殺させます」
「なっ……!」

 

 マルセルは絶句する。レイオンは笑みを広げた。

 

「その代わり、姫は王子にお返ししますよ。一国の王女と、一介の騎士。天秤に掛けるまでもない、簡単な選択だ」

 

 くつくつと、喉の奥で嗤う。歪んだ笑みに、マルセルは吐き気すら感じる。震える掌を握りしめ、まっすぐに、睨み据える。

 

「貴様と同じにするな。私は命を天秤に掛けたりしない」
「ふふふ。予想通りの回答を頂戴しました。意外性がないのはつまらないとよく言いますが、案外聞き心地のいいものですね」

 

 レイオンはゆったりと言う。

 

「それでは姫と騎士を頂いてゆきます。姫はきちんとお返ししますよ。あれこれ実験させて頂くので、正気を保っているのかも怪しいですが、それならそれで、『何も知らない私』が、可哀想な姫を『深い愛で』貰い受け、王として王国を治めれば問題ないですものね」

 

 あまりの怒りに、マルセルは言葉を失う。それを満足げに眺めつつ、レイオンは踵を返した。待て、と腰を浮かせたマルセルは、次の瞬間、視界から火花を散らせた。
 ライナスの拳が、みぞおちにめりこんでいた。

 

「ライ、ナス……」

 

 名を呼び、崩れ落ちる体を、ライナスは見下ろした。感情のこもらない、闇に堕ちた双眸で。

 

 

 

 

第4幕【8】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第4幕【10】

 

 

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