ネット小説 【姫君と騎士の旅】 第4幕(10)

第4幕【9】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第4幕【11】

 

 ふかふかの、ベッドの上だった。
 赤いベルベッドが降りる天蓋。頭がすっぽり埋まる羽根枕。しばらくぼうっと、上を見つめていた。燭台の光が揺れていた。

 

(……ライナス)

 

 今までのことが、ただの夢だとしたら、どれほど幸せだろう。ライナスが起こしにきて、一緒にごはんを食べて、旅に出る。そんな当たり前だったことが今、足元から崩れてしまったから、立つことすらできなくなってしまった。
 ゆっくりと手を持ち上げて、首筋に触れる。無残に噛み破られ、引き攣れて盛り上がった皮膚。
 まさかライナスが、自分のことを、『忘れて』しまうなんて。

 

「ライナス……」

 

 首筋に触れた手を浮かせて、両目を覆う。熱い涙がこめかみを通って、枕に吸い込まれた。
 今までどれだけ、ライナスに支えられてきたか。

 

(永遠に、お側にいます)
(この命に誓って)

 

 冷たい手が。
 突き立てられた痛みが、無機質な双眸が、心を切り裂くのだ。

 

「ライナス……!」

 

 かすれた声で呼んだ。
 いつも応えてくれる優しい腕が、ここに、なかった。

 

 

 

 

「ここは部下に用意させた屋敷なんですよ」

 

 注射器に針を固定しながら、レイオンは言った。

 

「いや、新しく造ったわけじゃないですよ。そんな時間もないし、お金がもったいないでしょう? こう見えて私、ケチなんです。もともと王国の貴族さんのものだったんですけど、借金で苦しんでいるようだったので、売ってもらったんです。森の奥にある大きな屋敷って、魅力的でしょう? あ、少しチクっとしますけど、我慢して下さいね」

 

 メイベルは椅子に腰かけている。
 背の高いテーブルに投げ出した腕は、革のベルトで拘束されていた。太い針が血管をゆっくりと突き破り、血液を吸い上げる。

 

「このあと、首筋の皮膚を採取します。あ、そうだ。『儀式』って、首以外から血を吸っても問題ないんですか? たとえばほら、手とか足とか」
「……」

 

 メイベルは無言で、窓へ視線を投げた。答える義理はない。レイオンは苦笑したようだった。

 

「目が赤いですね。泣いていたのですか?」
「っ、触らないで!」

 

 目元へ伸ばされた指を、メイベルは弾いた。だがその手を強く、つかまれる。

 

「近い将来、私たちは夫婦になるんですよ? いけないなぁ、そんな態度は」
「絶対に嫌よ」
「おやおや、嫌われたものだ」

 

 レイオンは肩をすくめた。メイベルは、彼の目を見据える。

 

「ライナスはどこにいるの」
「この屋敷にいますよ。大丈夫、実験に必要なので、しばらくしたら会わせてあげます」
「無事なのね?」
「もちろん」

 

 にこりと笑う。信用しきれないが、今はその言葉が真実であると祈るしかない。

 

「ウィリアムとスチュアートはどうしているの?」
「今から夕食なんです。あの二人もテーブルにつきますから、メイベルさんもご一緒にいかがです?」
「死者を……、あの子たちのお姉さまを、生き返らせることができると聞いたわ。本当なの?」

 

 いかなる外法を用いても、死者を連れ戻すことはできないはずだ。もしそれが可能なら、世界の秩序を乱すことになる。命の価値が、ずっと、低くなる。
 レイオンは答えず、ただ、薄く笑った。
 そこでメイベルは知った。嘘なのだと。
 双子は騙されたのだ。

 

「さあ、行きましょう。夕食はスチュアートが作ってくれるそうですよ。食堂は1階です」

 

 

 

 

 広いテーブルに、ささやかな夕食が広がっていた。香ばしいパンの香りが鼻腔をくすぐるが、食欲などあるはずもない。
 大量に血を吸われ、さらに採血されて、貧血状態だ。軽く眩暈を起こし、よろけるように腰を下ろす。

 

「大丈夫、メイベル?」

 

 ウィリアムが正面から、心配そうに覗きこんだ。メイベルはテーブルの下で、掌を握りこむ。

 

「……気にしないで」
「スチュアートがメイベル用に、リゾットを作ったんだ。パンが食べづらいなら、それを食べるといいよ。ね、スチュアート」
「ごめんなさい。食べる気がしないの」
「食欲がないなら、部屋に戻ればいいじゃないか」

 

 スチュアートが無愛想に言う。彼ならもう、気づいているだろうか。自分たちが騙されていることを。
 メイベルは口を開く。かすれた声しか、出ない。

 

「ねえ、スチュアート。エーリカはいつ生き返るの?」
「……。さあ。レイオンに聞いてくれないか」
「あっ、そうだよ! ライナスもメイベルも手に入ったんだから、エーリカが生き変える方法、教えてくれるよねっ」

 

 ウィリアムがテーブルに身を乗り出した。スープを口に含んでから、レイオンは微笑む。

 

「ええ、もちろん。良い日を取って、お教えしますよ」
「それいつ?! 僕待ちきれないよ。ね、スチュアート」
「……」
「そうですねぇ、10日ほど後でしょうか」

 

 ウィリアムは嬉しそうにはしゃぐ。対照的に、スチュアートはどこまでも静かだった。
 ――耐えられない。
 なぜ、そんな、残酷な嘘がつけるのか。

 

「……ウィリアム」

 

 絞り出すように、声を出した。ウィリアムは気付かない。エーリカの蘇生方法を予想して、楽しんでいる。

 

「ウィリアム……!」

 

 テーブルに打ち付けた拳が、激しく音を立てた。木細工が叩き壊れるような、取り返しのつかない響きだった。
 食堂が静まって、皆がメイベルを見つめた。

 

「死者は、生き返らないのよ。エーリカはもう目覚めないの」
「もう、メイベル。それ、この前も聞いたよ」

 

 ウィリアムはうんざりした様子で、息をついた。

 

「いくらメイベルでも、僕本気で怒るよ?」
「スチュアートは気付いているんでしょう?」

 

 メイベルはまっすぐに、スチュアートを見る。彼は眉をよせて、目を逸らした。

 

「気づいているんでしょう? 自分たちが、騙されていることに」
「スチュアート……?」

 

 返事をしないスチュアートを、ウィリアムが訝しげに見つめた。

 

「ねえ、どうしたのスチュアート。まさかメイベルの嘘を信じるわけじゃないよね」
「……ウィル。スープが冷めるよ」
「スチュアート!」

 

 ウィリアムが苛立ちの声を上げた。
 スチュアートは欲しい言葉をくれない。こちらを見もしない。けれど『嘘』を言うメイベルは、真摯な双眸でウィリアムを見つめている。
 レイオンはただ、口元に笑みさえ浮かべて、この状況を面白がっているようだった。

 

「もういいっ。僕は部屋に戻る!」

 

 雰囲気に耐えかねて、ウィリアムは席を立つ。
 灰色の不安が視界を塗りつぶしていく。エーリカは生き返る。また、自分に笑いかけてくれる。
 そうでなければ、自分たちはいったい、何のために今まで。

 

 

 

 

「ぐっ……ゥ、あ……!」

 

 胸の中枢を荒らす激痛に、ライナスは座したまま上体を折り曲げる。左手首を、上から吊った鎖に拘束されている。唯一自由な右手で、胸元をつかんだ。せり上がる苦痛は血液となり、口から溢れた。
 無造作に拭い、舌打ちする。上げた双眸には、理性の光が宿っている。

 

「……姫」

 

 かすれる声で、呼ぶ。
 この苦痛はまぎれもなく、『儀式』後の発作だ。けれど『儀式』をした記憶がない。ここに繋がれている経緯も、思い出せない。
 思い出せるのは、こことは異なる地下牢。双子が現れて――、それからの記憶はない。
 シリルはどこにいるのか。大勢現れた村人は? そして、姫は。
 メイベルは、いったいどこに。

 

「――驚いた。正気に戻ったの?」

 

 鉄格子の向こうで、少年が目を丸くした。ウィリアムだ。

 

「強靭な精神力だね。まあ、一時的だと思うけど。第一騎士って、みんなそんな風なの?」
「その質問に答えたら、オレの問いにも答えてくれるか?」

 

 ライナスの声は、低い。ウィリアムの目が剣呑な光を宿した。

 

「相変わらず偉そうだなぁ。自分の立場分かってよ。僕はね、キミを『殺しに』きたんだ」

 

 鉄格子を開かれる。ウィリアムの手にナイフが握られている。ライナスは身構えた。

 

「姫はどこだ」
「自分の心配したら?」
「レイオンは何をする気だ? オレの力に興味があるなら、オレだけを拘束すればいい話だろう。なぜおまえたち双子が、奴の計画に乗っている?」
「うるさいな……!」

 

 ウィリアムは苛立って、ナイフを振り上げた。

 

「ライナスが死んだらレイオンは困るから、禁術で生き返らせようとするはずなんだ。僕らにそれをやらせるはずなんだ。だからエーリカも、同じ方法で生き変えることができるんだ……!」
「ウィリアム……?」

 

 ライナスは目を見開いた。

 

「おまえ、泣いてるのか?」
「エーリカは、絶対、生き返るんだ!」

 

 ナイフが降りおろされた。軌道を見切り、ライナスは動いた。
 鎖が走る。ナイフは空を切った。ウィリアムの細い首に鎖が勢いよく絡みつき、動きを封じた。
 ドン、とウィリアムの背がライナスにぶつかる。息を呑む暇もない。ライナスの声が、耳元で響いた。

 

「姫のところへ、案内しろ」

 

 

 

 

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