ネット小説 【姫君と騎士の旅】 第4幕(11)

第4幕【10】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第4幕【12】

 

 ノックの音に、メイベルは顔を上げた。しばらく待つと、控え目に声が響く。

 

「スチュアートだ。ウィリアムは来てない?」
「来ていないけど……」

 

 メイベルは扉を開けた。スチュアートの顔色が、酷く悪い。眉をひそめつつ、部屋へ招き入れる。

 

「ウィリアムは先に部屋へ戻っていたのではなかったの?」
「僕もそう思ってたけど、部屋に戻ったらいなくて。それからしばらく待ってたんだけど、帰ってこないんだ。そのあたりを探してみたんだけど、見当たらなくて」
「そう……。心配ね」

 

 夕食の時、ウィリアムはひどく動揺し、苛立っていた。あれからもう3時間過ぎている。

 

「レイオンのところにいるかもしれないわ」
「僕もそう思った。けどいなかったんだ。……エーリカの蘇生方法を、聞きに行っているものだとばかり思って、待っていたんだけど」
「……スチュアート。そのことなのだけど」

 

 スチュアートの肩が小さく跳ねた。紫の双眸が、メイベルではなく、窓の外へ向けられる。
 静かに、口が開かれた。

 

「エーリカは、希望なんだ」
「……それは、きっとそうね」
「ウィリアムにとって、生きる希望なんだ。ウィリアムはエーリカが死んだ後、何度も、あとを追おうとした。ナイフで自分を傷つけたり、馬車の前へ飛び出したり。何日も、飲み食いしなかった。僕が無理やり、ウィルの命を繋いでいた」

 

 語られる言葉は淡々として、だからこそ、スチュアートの痛みが伝わってきた。

 

「悲しみに圧し潰されて、生きることから目を背けて、何もかもを拒絶してた。それは僕も同じだったけど、ウィリアムの心の方が、少しだけ先に、壊れた。だから僕は、ウィリアムを護るために、強くならなくてはと思った。けれどどんどん堕ちていくウィルを引きとめることに疲れ果てて……、家もなくて、食べ物も尽きて、ボロ雑巾みたいにスラムを這ってた。もうこのまま、いっそのことウィルを殺して、僕も死のうと思った。そんな時だったんだ。レイオンが現れたのは。だから僕らは縋りついた。どんなに大きな罪だろうと……、あの地獄のような夜から、ウィリアムが初めて、目に輝きを取り戻してくれたから」

 

 

 

 

 とても大きく、そして古びた屋敷だった。窓の外は森が広がっている。双子の家がある森だろうか。それすらも分からない。
 ナイフをウィリアムに突き付けながら、長い廊下を進む。使用人はいないようだ。隣を歩くウィリアムを見下ろす。彼らしくない、暗い双眸がうつろだった。

 

「ウィリアム。ひとつ、聞いていいか? ……エーリカって、誰だ?」
「僕らの姉だよ。死んじゃったんだ」

 

 心を置き忘れたような、空虚な声だった。

 

「だから生き返らせるんだ。レイオンが、教えてくれるんだ」
「……そうか」

 

 ライナスは眉を寄せつつも、それ以上の会話を控えた。
 レイオンが本当に生き返らせてくれるなら、ウィリアムが自分を殺そうとした理由がない。何か複雑な事情があるようだが……彼ら双子の行いは、許されるものではないのだ。
 ふいに、甘い香りが流れた。ライナスは思わず、足を止める。訝しげにウィリアムが振り返った。

 

「どうしたの。メイベルの部屋は、もうすぐそこだよ」
「ああ……。分かってる」

 

 甘い香りが、本能を揺さぶる。
 ライナスは壁に腕をつき、よろける体を支えた。漆黒の霧が理性を覆い始めている。とろけるように甘美な香り。駄目だ、と己に警鐘を鳴らす。駄目だ、呑み込まれるな。
 ウィリアムが近づく気配が、する。

 

「苦しいの? そうだよね。呑んでもらわないと実験にならないから、ライナスは『メイベルの血を求める』ように創り変えられてるんだ。少しの刺激ですぐに正気をなくす。……無謀なんだよ」

 

 ゆるんだライナスの手から、ウィリアムがナイフを抜き取った。荒い息の下、ライナスは目を上げる。
 昏い双眸で、ウィリアムが見つめていた。

 

「最期にメイベルに会わせてあげたかったけど、ごめん。でもすぐに、生き返ることができるから、怖くないよ」
「ウィリ、アム――」

 

 視界が霞む。ウィリアムがゆっくりと、ナイフを持ち上げる。苦しいのは、抗うからだ。狂気に呑まれまいと、あがくからだ。このまま奔流に身を任せれば、楽になれる。体が動く。だから、ウィリアムに殺されずにすむ。
 けれど。

 

(殺されるより、恐ろしいことは、何だ?)

 

 心臓が激しく、脈打つ。奥深くに眠っていた記憶が、目を覚ます。
 思い出す。肌のやわさ、とろける甘み、暖かい鼓動。本能のまま、激しく貪り、傷つけた。

 

「じゃあ、またあとでね」

 

 白いナイフが振り下ろされるのを、見ていた。けれど体は動かなかった。
 弾けるであろう激痛に、身構えたその時、だった。
 何者かの手刀が、ウィリアムの手首を打ちつけた。同時にナイフは床に落ちた。ウィリアムは目を見開き、振り仰ぐ。

 

「何をしている、ウィリアム。これは私の大事な実験体だと、教えたはずだろう?」

 

 怒りを内包する、低い声。
 レイオン・ヴァン・ルガードが、穏やかな仮面を捨てて、そこにいた。

 

 

 

 

「ライナスを、殺すんだ。そしたらレイオンは、生き返らせるでしょ?」
「何を、馬鹿な」

 

 不快感をあらわに、レイオンは顔を歪める。ウィリアムの目がどんどん、不安に塗りつぶされてゆく。縋るように、レイオンの服をつかんだ。

 

「だって、できるんでしょ? 僕たち、何でもしたよ。レイオンの言うとおりに、頑張ったんだよ。だから早く、エーリカを」
「愚かなりに使い勝手がいいと思っていたが、ここまでとは。使い物にならなくなったどころか、有害だ」

 

 ウィリアムの手が振りほどかれる。行き場のなくなった両手が、心もとなく宙に浮いた。

 

「死んだ女が、生き返るわけがないだろう」

 

 息を、止めた。
 心臓すら、一瞬、止まったかもしれない。

 

「まさかこのような甘言に騙されるとは、私としても意外だった。今まで便利に使えたが、今後はもう不要だ。死ね」

 

 懐から取り出されたナイフが白く、視界を焼いた。
 意識せず、言葉が零れた。エーリカの名を、呼んだのかもしれない。それとも、自分の半身を? ああ、でもそんなこと、限りなくどうでもいいことで、なぜなら今、たった今、エーリカが永遠に、自分の名前を呼んでくれないと、

 

(エーリカを、亡くしたままだと)

 

 嘘のような、残酷な夢が、真実なのだと。

 

「――やめろ」

 

 ライナスの声は、ウィリアムには届かない。
 ライナスは振り下ろされたナイフを、自身の腕に食い込ませることによって、受け止めていた。ウィリアムの目前に、彼の背中があっても、ウィリアムは『見ることができない』。
 それ程までに、心が、壊れてしまった。

 

「そのような、真っ青な顔をして。なぜ庇う? おまえを陥れた子供だ。空虚なプライドを振りかざすな。私はそういう心が一番不愉快だ」
「おまえの心情など、どうでもいい」

 

 ナイフを腕から引き抜くと、鮮血が流れた。その痛みすら、『禁術』に苛まれる苦痛に呑みこまれる。

 

「そこをどけ。私には、不要なものを長く置いておく趣味はない」
「断る」

 

 ライナスの内に、激しい怒りが宿っていた。いや、怒りなどという、生易しいものではない。
 レイオンは勝ち誇ったように、笑った。

 

「立っているのがやっとのおまえに、何ができるというんだ。さっさとそこを――」
「ふふ……うふふふ……」

 

 背後からくぐもった笑い声がする。ライナスは眉をひそめた。
 ウィリアムだ。

 

「うふふ、は、あははは。わかった。わかったよ。エーリカ、僕、わかったよ、エーリカ。君を取り戻す、いい方法。教えてあげる。すっごく、いい方法」

 

 ライナスはよろける体で、振り返る。異常なほど歪んだ笑みで、ウィリアムが、空に向かってしゃべっていた。

 

「嘘つきレイオンを、ぜーんぶ創り変えればいいんだ。心も、体も、僕らのエーリカに」

 

 

 

 

第4幕【10】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第4幕【12】

 

 

 このページにしおりを挟む
 トップページへ戻る