ネット小説 【姫君と騎士の旅】 第4幕(13)

第4幕【12】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第4幕【14】

 

 ウィリアムは、壁に上体を預けた格好でぐったりとしていた。スチュアートが呼びかけると、うっすらと目を開けた。
 小さく、言葉が落ちる。 

 

「エーリカが……、いないよ」

 

 スチュアートは胸を突かれた。きつく眉を寄せる。ウィリアムは震える声で、続ける。

 

「エーリカ、生き返らないって、レイオンが」
「……うん」
「だから僕、レイオンをエーリカに創りかえようと思ったんだけど、失敗しちゃった」

 

 ――では『あれ』が、レイオンだというのか。
 スチュアートは脳髄を殴られるような衝撃ののち、自分たちの罪深さを思い知る。

 

(禁術が、禁術たる、ゆえん)

 

 まるで粘土をこねるように、神の手を気取り、もてあそんだ。一度禁術に掛かった人間は、元に戻れないことを知っていた。
 罪悪感はあった。でもエーリカを免罪符代わりにして、感情を麻痺させていた。

 

「失敗しちゃったよ、スチュアート。どうしよう。どうすればいいんだろう。ねえ、スチュアート……」

 

 すう、と、ウィリアムの瞳から涙が流れた。
 その瞬間、『レイオン』が動き出した。触手が蠢き、そして、メイベルの悲鳴が響き渡る。スチュアートは振り返る。背中から何本も触手を生やして、真っ赤に染まったライナスが、見えた。

 

「……ウィリアム」

 

 彼の手を取り、スチュアートは静かに言う。

 

「今、僕らにできることを、しよう」
「僕らに、できること……?」

 

 ウィリアムが繰り返す。もう片方の手を取って、精神を集中すると、ほのかな青い光がともった。
 ゆっくりと、ウィリアムの目が見開かれる。

 

「禁術……」
「二人でやれば、失敗しない」

 

 まっすぐにウィリアムを見つめて、スチュアートは告げた。

 

「メイベルとライナスを、――救う力を」

 

 

 

 

 黒い羽根が、舞った。
 鋼鉄よりも硬い皮膚。刃よりも斬れる爪。敏捷に飛びまわれる、繊細な羽根。
 ウィリアムとスチュアートは、翼を羽ばたかせる。『レイオン』が気づき、ライナスへの攻撃を止める。
 風のような素早さで、『レイオン』の周囲を飛び回り、鋭い爪で傷つけてゆく。赤黒い血が流され、『レイオン』の咆哮が迸る。
 触手は双子へとターゲットを変え、次々に襲い掛かかった。そのいくつかは彼らの肌をかすめたが、強化された皮膚を傷つけることはなかった。
 触手は切り離され、本体は無数に切り裂かれ、絶叫を上げながらも、徐々に動きが鈍くなってゆく。
 ライナスとメイベルは茫然と、その光景を見ていた。
 『レイオン』から力が失われ、やがて尽きて、動かなくなるまで。

 

 

 

 

 舞い降りた2対の翼は、漆黒だった。まるで彼らが背負う、罪のように。
 酷い怪我だ、とスチュアートは眉を寄せた。

 

「すぐに助けを呼んでくる。それまで待っていて」

 

 動けないライナスの下で、メイベルはかろうじて、頷いた。双子は再び羽ばたき、割れた窓から飛び立ってゆく。
 何の音も、しなくなった。先ほどまでが嘘のように、静まり返っていた。触手が暴れて、ほとんどのランプが割れたから、明かりも極端に少なかった。

 

「姫……?」

 

 ぴくりと、ライナスが動いた。彼の腕はメイベルを抱きしめたままだった。絨毯が血で湿っていた。『レイオン』の血と、そして、ライナスの血。

 

「姫……。ご無事、ですか?」
「うん、大丈夫。大丈夫だよ、ライナス」

 

 ライナスの声が弱く、震えていて、メイベルは泣きたくなる。ライナスを抱きしめたいけれど、傷だらけの背中に手を回すことができない。
 ライナスはメイベルの上から横へ、体をずらした。それだけの動作でも、辛そうに眉を寄せていた。腰に回されたライナスの腕から急速に、熱が失われてゆく。
 急がなければならない。手遅れになるなんて、絶対に、嫌だ。

 

「ライナス、『儀式』をしよう。そうすれば回復力が増すわ。もう痛くなくなるよ。助かるのよ」
「ありがとうございます。……でも、それはできません」
「どうして……!」

 

 メイベルはライナスの服をつかんだ。こんなにも血が出ているのに、なぜ拒むのか。

 

「お願いライナス、言うことを聞いて! このままじゃ、助からないかもしれないのよ?!」
「……きっと今、姫の血を口に含んだら、もう私は、止まらない」

 

 メイベルは息を呑む。ライナスの表情は、穏やかだった。

 

「思い出したんです。私は酷く、姫を、傷つけた」
「そんなこと、気にしてないわ! もういいの、もういいのよ。言ったでしょう? 私は何度でも、許し続けるって……!」

 

 熱い涙が、頬を伝う。ライナスを、失ってしまうなんて、信じられない。
 そんな未来があるなんて、信じない。

 

「ただ、側に、いてくれればいいだけなの……!」

 

 ライナスの胸に、頬を埋める。彼の服を握りしめたままの拳。そうだ。ライナスが傷をつけたくないのであれば、自分で血を流せばいい。
 メイベルは思い切り、自身の手首を噛んだ。

 

「姫……?!」

 

 犬歯に力を込めると、ぷつりと皮膚が避け、一筋の血が流れた。駄目だ、これだけでは足りない。もっと、傷をつけなければ。

 

「姫、いけません」

 

 ライナスの指が、あごを上向きにする。紺色の双眸と、間近でかち合う。ライナスの指が、口元に付着した血液を、優しく拭う。
 ……ライナスは、『儀式』を、してくれない。
 視界がぼやけていく。涙があふれて、何も見えなくなっていく。

 

「お願い……ライナス」

 

 しゃくり上げながら、懇願する。ライナスの顔がもう、見えない。

 

「お願い、いかないで」
「……姫」
「置いていかないで。そばにいて」

 

 腰を抱くライナスの腕に、力がこもる。
 あごに掛かる指が、そっと、頬を包んだ。切なさと優しさに揺れるライナスの瞳。それからゆっくりと、やわらかいぬくもりが、メイベルの唇に押しあてられた。
 メイベルの涙を、すべて、引き受けるように。
 こんなにも優しいぬくもりを、メイベルは知らない。
 暖かい雨のように、体温が、しみこんでゆく。

 

「……姫」

 

 そっと唇を離し、ライナスは囁いた。

 

「貴女が愛しいのです……とても」

 

 それが最後だった。
 ライナスの瞼は閉じられ、体からすべての力が、失われた。

 

 

 

 

第4幕【12】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 第4幕【14】

 

 

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