ネット小説 【姫君と騎士の旅】 第4幕(14)

第4幕【13】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 終章

 

 あれから、10日が過ぎた。
 マルセルは書類にサインを刻んでいく。外は穏やかに晴れていた。あの夜とはうってかわった、穏やかな昼下がりだった。
 あの夜、近隣を大捜索していたマルセルたちの前に、翼を持つ双子が現れた。パニックに陥る兵たちを諌め、マルセルは双子に状況説明を求めた。
 彼ら曰く、とある屋敷に、姫と騎士がいる。騎士は致命傷を負っている、と。
 双子はマルセル達をその場所へ誘導した後、いずこかへ消えた。本当は捕えるべきだったかもしれない。けれどあの時は、それどころではなかった。
 ライナスの状態は酷かった。すでに意識は失われ、呼吸も極端に弱かった。すぐに医師を呼び、運ばせた。
 一方メイベルは、ほぼ無傷に近かった。けれど極度の貧血を起こしていた。また、余程恐ろしいものを見たのか、精神的にも酷く崩れていた。どこも見ていないような目をして、マルセルが呼びかけても反応すらしなかった。
 理解不能の、巨大な肉塊もあった。あまりにも大きいため、とりあえずこのままにして、日を改めて調査団を送ることにした。だが翌日、肉塊は消えていた。凄惨な血の跡が残っているだけだった。
 証拠はないが、恐らくあの双子が持ち去ったのだろうと、マルセルは思った。

 

 マルセルはため息をつき、ペンを置く。窓の外の、青い空を見上げた。
 メイベルはあれから、一度も目を覚まさない。極度の貧血と、精神的ショックが響いているのだろうと、医師は告げた。
 そして、ライナスに至っては……。

 

「マルセルさま、失礼致します!」

 

 扉を開け放って、リネットが足を踏み入れた。髪が乱れ、息が上がっている。
 ある予感がして、マルセルはとっさに立ち上がった。バランスを崩した椅子が、後ろへ転がる。

 

「何があった」
「メイベルさまが、今、目を覚まされました……!」

 

 

 

 

 意識を取り戻したとはいえ、メイベルはまだ危険な状態にある。それは精神的なものだから、見た目には分からない。
 医師の言葉を受け、マルセルは人払いをした。余計な刺激を与えたくなかった。医師とリネットを扉の外に待機させて、メイベルの部屋へ足を踏み入れる。
 メイベルはベッドの上で、上体を起こしていた。毛布の上に投げ出した自身の手のひらを、ぼうっと見つめていた。
 自分とよく似た翠の瞳が、いつも在った輝きを、失っている。

 

「姉上。ご気分はいかがですか?」

 

 枕元に椅子を引き寄せ、腰を下ろした。メイベルはゆっくりとこちらを振り向く。何の表情もなく、まるでよくできた人形のようだった。

 

「ここは城の中です。姉上の自室です。森の中じゃない。姉上は、助かったのです」

 

 ひとつひとつ、含めるようにして、マルセルは言う。
 メイベルはしばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。

 

「……助かったの……?」
「はい。だからもう何も、怖いことはないのですよ」

 

 だがメイベルの瞳はさらに、闇へ沈みこんでゆく。色の失せた唇が、小さく言葉を落とした。

 

「でも、ライナスは、死んだわ」

 

 メイベルは指先で、自身の手首をなぞる。そこには噛み跡があり、皮膚が引き攣れていた。

 

「ライナスは、もういないの。だってわたしが」
「姉上」
「だって、わたしが」

 

 メイベルは何度も首を振る。体中が小刻みに震え出し、両手で頭を抱える。
 やはり、メイベルの心の傷は、ライナスだ。マルセルはきつく眉を寄せる。メイベルはライナスが『死んだ』という悪夢に、囚われているのだ。

 

「わたしが、殺した。ライナスはわたしを庇って」
「姉上、違います」
「『儀式』も、できなかった。ライナスが苦しんでいたのに、あんなに、血が」
「姉上」

 

 マルセルは立ち上がり、メイベルの手首をつかんだ。メイベルの瞳がこちらを向く、けれどそこに、マルセルの姿は映っていない。

 

「ライナスの背中に、たくさん、突き刺さって、血が、あんなに、あ、あんなにたくさん、ぁ、あああああ」
「姉上、聞いて下さい。ライナスは、生きています」

 

 メイベルの声が、止まる。
 うつろに目がさまよい、初めて、マルセルをとらえた。

 

「なに……?」
「ライナスは生きています。だからそのように、ご自身を責めなくてもいいのです」
「……。生きて……?」

 

 メイベルの声はかすれ、途中で消えた。
 数瞬ののち、幾筋もの涙が頬を伝う。

 

「ライナス、生きてるの……?」
「はい。シリルによると、教会に代々伝わる『聖弾』で撃てば禁術は解けるそうです。ただ、『聖弾』は非常に希少でめったに作り上げることができないのだとか。そのうえ、やはり銃ですので、動き回る相手や弱った相手に向けては、危険だから撃てないそうです。だから今の状態のライナスには……難しい」

 

 マルセルは続きをためらった。
 ここまで弱っているメイベルに、真実を伝えるべきだろうか。
 けれど事は一刻を争う。ここでためらい、ライナスが二度と目を覚まさなくなってしまったら、終わりだ。
 マルセルはまっすぐに、メイベルを見つめた。泣き濡れた双眸が、無防備に、真実を待っていた。

 

「けれど、ライナスの未来を選ぶのは貴女です。ライナスの心臓はかろうじて動いていますが、いつ止まってもおかしくない。意識もなく、ずっと眠り続けています。救う方法はただ一つ、『儀式』を執り行うことです。ただ、禁術を施されているため、『儀式』後に体が回復したら、姉上を襲う狂人となるかもしれない。もちろんすぐにシリルに聖弾を撃たせますが、儀式後の騎士に狙いがつけられるかどうかは分かりません。間に合わなければ姉上が襲われ、最悪の事態が起こる。ライナスはきっと、それを望まないでしょう。それでも姉上は、ライナスを、取りもどしますか?」

 

 

 

 

 陽の光が、降りそそいでいる。
 穏やかな夢を見ているように、ライナスは眠っていた。メイベルはそっと、彼の黒髪を撫でる。いつもライナスが、してくれていたように。
 布団の上に出ている右腕には、いくつも注射の跡があった。彼の命は細い糸一本で繋ぎとめられている。

 

「儀式を、するのか?」

 

 背後から静かに、シリルの声が聞こえた。ライナスを見つめたまま、メイベルは唇を開く。

 

「ライナスは、最後まで儀式をしたがらなかったの」
「……まあ、こいつの性格なら、そうだろうな」
「ヘンリエッタは、無事?」
「無事といえば無事だが、まだ『元に』戻ってない。教会から『聖弾』の使用許可が下りてないんだ。今のところ、ライナスにしか許可が出ていない。第一騎士さんは扱いが違うな」
「……あとできちんと、わたしから教会に話すわ」
「姫さんにはその前に、やることがあるだろ」

 

 ガシャリ、と金属音が響く。シリルが銃弾を装填した音だ。

 

「安心しろ。もしライナスがあんたを襲うようなことがあったら、容赦なく目を覚まさせてやる」
「ありがとう、シリル」

 

 メイベルは振り返る。
 淡く笑んで、銀色のナイフを持ち上げる。

 

「でも大丈夫。だってわたしは、ライナスの強さを、知っているもの」

 

 シリルはかすかに、笑みを浮かべた。
 ナイフがゆっくりと、メイベルの腕を刻み、鮮血を生む。
 それは祈りの結晶。
 ライナスの穏やかな夢が、現実にもずっと、続きますように。
 どうか、これからもずっと、近くにいられますように。 

 

 

 赤い雫が、ライナスの唇に落ちた。
 空はどこまでも穏やかで、明るかった。

 

 

 

 

第4幕【13】 ネット小説【姫君と騎士の旅】 終章

 

 

 このページにしおりを挟む
 トップページへ戻る