表紙
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 ふたたび雨が降り始めている。
 地面にとけこむような、やわらかな雨だった。
 みずたまりに星が映り、それを割るようにしてラジーが駆けていった。パースと相室だったトム・ツイードのテントに行くのだ。ラジーは今夜、そこで眠ることになっている。
 彼の後姿を見送って、ラルフは幕を下ろした。
 ふりかえるとアルマがワラとシーツの上に座って、足首に布をあてている。冷たい水をふくませたものを、先ほど渡したのだ。

 

「痛むか?」
「動かすと、少しだけ」

 

 ここに帰ってきてから、少しずつ喋るようになった。最初の言葉は「寒い」だった。今彼女の肩には毛布がかかっている。
 沈黙が雨音の間をうめていた。
 燭台のほとりで、アルマが小さな唇を開いた。

 

「グレンのことを聞いたわ」
「……彼は知り合いか」
「ええ。母方のいとこよ。一つ上で、優しくてね。仲が良かったの。兄と3人でよく遊んだわ。2人が士官学校に行きだして、寮に住むようになってからあまり会えなくなったの。寂しかった」
「そうか」

 

 アルマが自分のことを話すのはめったにないことだ。ラルフは彼女の隣に腰を下ろし、聞き入った。

 

「いとこといっても血の繋がりはないの。あたしの本当の母は女中だった。兄もいたけど、異母兄よ。兄の母は正妻で、子爵家出身のお嬢様。父も同じ子爵で、軍の本部に属していたわ。確か中将だったかしら。働き者で豪快な人だった。

 

 父はあたしを身ごもった母に部屋を与え、あたしを認知したから、正妻――義母の怒りは相当なものだったそうよ。母は移民で卑しい身分だったけど、誰よりもたおやかで美しかった。そういうところも気に入らなかったのね。結局母は義母にいじめ抜かれて病気になり亡くなったわ。あたしが5歳の時よ。

 

 いじめには父の母……祖母も加担してた。父は軍の仕事が忙しくていつも家にいなかったからまわり中が敵だったわ。その中で、兄とグレンだけが特別だった」

 

 アルマは凄絶な生い立ちを、淡々と語る。

 

「肌の色がちがうあたしを受け入れてくれた。母が亡くなった時、一緒に泣いてくれたわ。それから何年かたって、兄は16歳になり、士官学校へ寄宿するようになった。いずれは父のような立派な軍人になるんだって言ってたわ。1年後はグレンも行ってしまった。

 

 あたしは15歳になっていたけど社交界に出たりすることはもちろんなくて、将来は修道院に送られるんだろうなと思ってた。義母たちのいじめは、あたしはこういう性格だったこともあって、無視されるだけにとどまってた。穏やかといえば、そうだったかもしれない。

 

 そんな時よ――戦争が始まったのは」

 

 アルマの指が、毛布の端をきゅっとつかんだ。

 

「帝国が攻めてきて、マリル様が殺されたという噂が流れて、みんなとても怒ってた。でも戦況がどんどん悪くなって、王都は戦火を逃れてきた民であふれた。治安も悪化して、国外へ逃げる貴族も出てきたわ。それでも王様もふくめてみんな怒ってたから、降伏しようなんて言う人はいなかった。

 

 この時兄やグレンはまだ士官学校にいたんだけど、兵士がどんどん死んでいって、数が足りなくなって、徴兵されることになったの。2人はまだ士官候補生だというのに、いきなり少尉に任じられて王都師団に配属された。学生の出陣に、父は最後まで反対していたらしいわ。でも、どうにもならなかった。2か月前の話よ」

 

 その頃にはもう、帝国軍は王都に迫っていたはずだ。特殊任務の際、剣を交えたウォード兵たちがやたら若かったことを思い出す。

 

「どうか2人が無事でありますようにと、ただそれだけを願ってた。幸い、帝国兵は壁の外で立ち往生していたから、これで冬が来ればやり過ごせると――帝国兵が退いたあと、軍備を立て直せると、みんなそう言ってた。事実ウォードは、過去の歴史で2度、それで助かってるの。

 

 でも望みは打ち砕かれた。壁が――高く、堅いあの壁がついに壊されたの」
「オレもその現場にいた。特殊任務隊が結成されて、カイト班も召集されたんだ」
「そうなの」

 

 アルマは目を見開いた。

 

「それなら詳しいわね。あの日から2日で都は落ちたわ。あたしの屋敷もひどいありさまだった。召使たちは銀器や宝石なんかを片っ端から盗んでクモの子を散らすように逃げていったわ。

 

 父は帰ってこなくて、義母と祖母はオロオロするばかり。あたしはもう、ここにいても殺されるだけだから食糧をカバンに詰めこんでとにかく逃げようと思ったの。どこかに隠れてやり過ごすか、城が避難民を受け入れていたらそこに逃げ込もうと思ってた。その時突然、玄関が開いたの。

 

 帝国兵だと思って、窓から逃げようとした。でもよく見たらウォード兵だったわ。3、4人くらいいたかしら。あたしはすっかり父が助けを呼んでくれたんだと思って安心したの。義母たちもそうだったと思う。

 

 でも、駆け寄ってきたあたしを見る兵の目は、なぜか怒りに満ちていた。何かがおかしいと思ってたら、兵の一人が書状を広げて、ほとんど怒鳴りつけるみたいに、あたしたち一家がいかに卑劣で罪深く、幾人もの民を死に至らしめたかを読み上げたわ。でもあたしたちには何のことだかわからなかった。抗議してもムダで、あっけなく捕まったの。

 

 屋敷を出たとたんに、祖母は心臓発作を起こし、動かなくなった。きっと衝撃が大きすぎたのね。兵たちは祖母をそこに捨て置いた」

 

 燭台の炎がゆれて、アルマの目を照らす。緑玉の目は湖面のように静かだった。

 

「あたしと義母は、ひとことの弁明も許されずに城の地下牢に閉じこめられた。そこには兄もいたわ。あたしたちは牢の壁ごしに再会を喜んだ。あんな場所でも、お互い命があってまた会えたんだから、神の奇跡に感謝したわ。

 

 しばらくして、パンとスープだけの食事が運ばれてきたの。あたしはとても食べる気にはなれなくて……でも兄と母は食べたみたい。その直後に物音と2人のうめき声が聞こえて――静かになったわ。呼びかけにもこたえてくれなかった。あたしのところから二人の姿は見えなかったから、恐怖だったわ。静まりかえった中で、震えてた。

 

 そのすぐあとよ。ラジーが来たの。あとはもう、話さなくてもわかるわね」

 

 ラルフは重く、口を開く。

 

「アルマ。おまえの本当の名は、なんという?」
「もうわかってるんでしょう」

 

 アルマはうすく微笑した。

 

「あたしはアルマリア・カムセル。兄の名はレト・カムセル、そして父の名はダーツ・カムセル。ウォード王国を裏切り、帝国兵を壁内に手引きした大罪人よ」

 

 

 

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