表紙
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 アルマは幕をあげて外を見た。
 大きな月が天にかかっている。
 澄んだ夜気が漂っていた。
 その中でグレンは、柱に背をもたせて座っている。くすぶるたき火を挟んで、ラジーがいた。荷物を背もたれにして座っている。ラジーはお喋りだから、グレンと何か話をしているかもしれない。

 

「アルマ、そろそろ寝るぞ」

 

 背後でラルフが言った。アルマは幕をおろし、毛布にくるまった。

 

「寒くないか?」
「ええ」
「おやすみ」
「おやすみ」

 

 アルマは静かに目を閉じた。
 なるべく自然に、寝息を装い呼吸する。吸って、吐く。まぶたが震えないように力を抜く。
 やがてラルフから規則正しい寝息が聞こえてきた。
 しばらく待ってから、ゆっくりと目を開ける。
 月は大きい夜でよかった。外のたき火の光も、アルマを助けてくれる。ラルフは眠っていた。とても疲れているようだったから、このまま覚めないでと願う。

 

 アルマはそっと、毛布から出た。ヒヤリと夜気が肌を刺し、身震いする。テントの隅にラルフの剣があることは確認ずみだ。
 ラルフはまだ、目覚めない。
 珍しいことだった。疲れているのだろう。
 暴れる鼓動を押しこんで、アルマは剣に手を伸ばす。音をたてないよう細心の注意を払い、サヤごと両腕に抱え立ち上がった。
 武骨な剣は、ずっしりと重い。
 アルマは足音を立てないようラルフの枕元を通り過ぎ、幕に手をかけた。あとはラジーを背後からサヤでひと打ちし昏倒させ、グレンと一緒に逃げればいい。
 震える手で幕をあげようとしたその時、背後から短く、声がした。

 

「どこへ行く?」

 

 アルマは肩を震わせた。
 振りかえると、ラルフの冷えた瞳がまっすぐにアルマを射抜いていた。シーツの上で片膝を立てている。
 白々とした月光が、ラルフの片頬を照らし、深い陰影を形づくった。

 

「あたしは――ただ、グレンの様子を見ようと思って」
「剣を持ってか?」

 

 アルマは剣を抱きしめた。

 

「お願いラルフ、見逃して」
「ここから出てどうする? 都には戻れない、外は帝国兵でいっぱいだ。まもなく冬もやってくる。生き抜くのは厳しいぞ」
「それでも希望はある。グレンは帝国兵をたくさん斬ったんでしょう。ここにいたらその罪で殺されてしまうかもしれない。お願い行かせて」
「駄目だ」

 

 ラルフは立ち上がった。
 とっさにアルマは、サヤを捨てて剣を正面に構えた。
 刃先が月光を弾く。
 ラルフはまっすぐに、アルマを見る。
 恐怖で震えているのはアルマだけだ。
 心臓が潰れそうだ。

 

「あなたはあたしを愛してるんでしょう」

 

 ――駄目だ。
 言ってはいけない。
 これは、言ってはいけない言葉だ。

 

「だったら行かせて。あたしのことを本当に想ってるなら、行かせて」

 

 この、優しい人を。
 いつも守ってくれた人を、傷つけてしまう。
 目頭が熱い。泣きたくない。ここで泣いてしまったら本当に自分は、最低の人間になり果てるだろう。
 ラルフの表情は変わらなかった。ただ無言で一歩、近づいた。アルマは一歩下がった。背中に幕があたる。これ以上下がれない。
 それでもラルフがまた歩を進めたから、アルマは剣を振りあげた。こないで、と叫んだかもしれない。もう何も、わからなかった。
 振り下ろした剣を、ラルフの手が直接つかんだ。手から血が流れおち、シーツに赤々と染みを作った。アルマの身が震え、手から柄が離れた。
 ラルフが剣の刃を投げ捨てる。アルマは体がこわばって動けない。
 ラルフの腕が伸びた。

 

「おまえの言うとおりだ」

 

 引きよせられ、きつく抱きしめられた。
 アルマの肩に顔をうずめるようにして、低く、かすれた声でラルフは言った。

 

「おまえを愛してる。なによりも」

 

 息苦しいほどに抱きしめられながら、アルマは彼の声を聞いていた。
 熱い涙が頬をつたった。
 ラルフはただ、くりかえす。

 

「愛してるよ、アルマ」

 

 

 

 

 ――じゃあ、どうして離してくれないの。

 

 以前ラルフは、アルマからそう言われた。
 あの時はただ、我欲があるだけだった。

 

 ――見逃してやりたい。

 

 本気でそう思った。
 でもできなかった。

 

 まもなく雪風が吹く。
 王城を落とせば残党狩りも始まるだろう。
 雪と剣の真っただ中に、彼女を離すことなどできなかった。

 

 

 

 

 

 

「血が――」

 

 アルマがラルフの手をとり、眉を寄せた。自身のそでを破って、血をていねいに拭き取っていく。

 

「ごめんなさい、ラルフ」

 

 ぽつりと言った。
 袖を細く裂き、傷をくるくる巻いていく。
 彼女の腕が夜気にさらされている。なめらかな蜂蜜色の肌に月光がすべりおりている。
 ラルフはそこから目をそらし、口を開く。

 

「気にするな。大した傷じゃない」
「あたしは愚かだわ。本当に」
「そんなことはない」
「少し考えればわかることよ。ここからグレンと逃げたって、死ぬ確率が高くなるだけだもの」
「アルマ。オレは明日にでもカイト班長やサリス班長に頼んで、グレンの助命嘆願書を作ってもらおうと思っている」

 

 驚いたようにアルマは顔を上げた。

 

「グレン・ハーシェルはダーツ・カムセル子爵の甥だ。グレンは中将の息子を含め何人か斬ったという話だが、我が軍に勝利をもたらした功労者の血縁であることに違いはない。手厚い保護は無理かもしれないが、命を助けるのは不可能じゃないと思う」
「本当に……?」
「他の班にもかけ合ってみる。特殊任務に参加した連中なら特に話を聞いてくれるはずだ」

 

 アルマは放心したあと、顔をくしゃくしゃにした。

 

「ありがとうラルフ。本当にありがとう」

 

 その笑顔を見られただけで充分だ。
 アルマは涙をぬぐった。

 

「やっぱりラルフはちがうわ。他の誰ともちがう。ラジーとも、グレンとも、兄様ともちがうの。どうしてかしら。ああ、本当に」

 

 アルマは花が咲くように笑った。

 

「ラルフに会えてよかった――」

 

 ――気づけばラルフはアルマを引き寄せ、抱きしめていた。
 アルマは一瞬体をこわばらせたが、やがて力を抜いた。
 笑顔で充分などと、よく思ったものだ。ラルフは自分自身を笑う。
 今までに抱きしめたのは数回だが、やわらかな体は腕になじみきっている。

 

「ラルフにこうされていると気持ちいい。あたたかくて、大きくて、眠ってしまいそうよ」
「簡単に眠られると困るのだが」
「あらどうして?」
「……何でもない」

 

 夜はゆっくりと、白み始めている。

 

 

 

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