ネット小説【騎士と少女】 第1章【2】

 

 早朝だった。
 彼を見つけたのはまったくの偶然だった。
 朝から気持ち良く晴れていたこと。小鳥が機嫌よく鳴いて、新緑が輝いていたこと。昨日降った雨が、地面をやわらかくしてくれたので、薬草が抜きやすかったこと。
 だから外へ出た。朝食をすませるよりも先に、明るい日差しに誘われた。マリーは森に一人きりで住んでいたので、誰かの朝食を用意する必要もなかった。

 

「……ひとが、倒れてる」

 

 ぽつりと、マリーはつぶやいた。
 倒木に首を預けるようにして、一人。
 泥だらけになった青い鎧。引き裂かれた黒いマント。傷だらけの頬、金色の髪、血濡れた剣。

 

「騎士さまが、……倒れてる」

 

 マリーはもう一度、つぶやいた。
 摘んだ薬草を入れていたバスケット。それを持ち帰る代わりに、騎士を連れて戻るだなんて、マリーはついさっきまで想像もしていなかった。

 

 

 

 

 ガンザス朝による絶対王政、教皇と国王の対立による不安定な国風は、だが首都から遠く離れたこの村まで届いていなかった。
 のどかで静かな、森の奥の村。けれど同じくらい陰鬱で、閉鎖的で、差別的だった。
 マリーはたった一人で暮していた。親はいなかった。友人もいなかった。村から少し離れた森の入り口で暮していた。
 望んで村を離れたわけではなかった。だからやはり、一人は寂しかった。

 

(それでも……、村では暮せない)

 

 マリーにぬくもりを与えてくれるのは、両親の思い出。母親ゆずりの黒い髪、父親から受け継いだ緑の目。木造の平屋建ては父が残してくれたものだし、家財道具は父いわく、母親が使っていたものだ。
 父親が使っていたベッド。やっとのことで運んだ騎士を、横たえる。

 

(このベッドに、お父さん以外の人が寝転ぶなんて)

 

 それ以上に、他人がこの家へ足を踏み入れるなんて。
 自分が連れてきたとはいえ、つい今朝まで予想もしていなかったことが起きている。不可思議だ。
 マリーは騎士の鎧を脱がせにかかる。
 全身傷だらけだ。出血も多い。いち早く手当てをしなければ。

 

「怪我に効く薬草は……、これでいいな」

 

 血止め、化膿止め、消毒薬。ある程度は揃っている。マリーは必要な薬草瓶をいくつか取り出した。

 

 

 

 

 2日経っても、騎士は眠り続けていた。悪夢にうなされ、傷に苦しんでいる。
 薬を煎じたり、湿布薬を作るのに水は不可欠だ。新鮮な飲料水も確保しておかなくてはならない。マリーは日に3度、村へ水を汲みにいくのが日課になっていた。

 

「今日でいったい何回目だ、マリー? ムダ使いはやめてくれ。君に渡せる水は多くないんだ。わかるだろう?」

 

 高圧的なデニスの言葉を、マリーは無視した。
 いつものことだ。マリーは村中から嫌われている。
 村長の息子であるデニスからは、特にひどく当たられている。同じ16歳、幼馴染とも呼べる間柄だが、友情など一カケラもない。すらりとした美少年の彼は、村娘からとても人気があるようだが、マリーから見たらただの針人形だ。
 見たくもない相手だが、この辺りで水を汲めるのは村の井戸だけである。食べ物だって買わなくてはいけない。だから嫌でも来るしかない。

 

「きみ一人で使うには、多すぎるんじゃないかって聞いてるんだよマリー」

 

 なおも無視して、マリーは桶を手に立ち去ろうとした。と、ふいにデニスに腕を引かれ、バランスを崩して桶を転がしてしまった。
 地面の色が一瞬で塗り替えられる。

 

「うわっ。マリー、なんてことしてくれるんだ!」

 

 デニスの服にも水がかかってしまったようだ。もちろんマリーのスカートも濡れてしまったが、声ひとつ上げなかった。
 ……いちいちこのようなことで、大げさに声なんて上げていられない。
 無表情に桶を拾い上げ、再び水を汲み上げるために井戸へ向かう。

 

「おい、マリー! 待てよ、おいっ」

 

 デニスが背後でわめいている。マリーは変わらぬ態度で無視しつつ、細い腕に力をこめて桶を引き上げた。

 

 

 

 

 彼の目が開いたのは、それから3日後だった。
 だが意識は朦朧として自分の名前さえ言えず、高熱にうなされていた。
 マリーは必死に看病した。薬草を煎じて飲ませ、傷には湿布を貼り替え包帯を巻いた。彼の汗を拭き、夜中を過ぎても声を掛け続けていた。
 悪夢のような夜が明けた、朝。ついうとうとしてしまったマリーを、彼がそっと揺り起こした。
 穏やかな朝日が差し込み、彼の金髪をすべり落ちていた。綺麗な薄紫の瞳。完全に癒えぬ傷に、わずかに潤んでいた。

 

(目が……覚めたんだ)

 

 彼の苦痛は終わったのだ。悪夢にうなされる夜も、激痛にうめく朝も。

 

「きみが、助けてくれたのか?」

 

 騎士が尋ねた。凛とした声だった。きちんと言葉を紡ぎ、マリーをまっすぐに見つめている。もう大丈夫だ。彼は乗り越えたのだ。
 知らず、涙が零れた。それを見て慌てる騎士に、声を返すこともできなかった。
 ……もうきっと、助からない。そう思って絶望した夜もあったのだ。

 

「本当にすまない。女性に世話になったあげく、泣かせてしまうような男は、もう一度寝込んだ方が世の中のためかな」

 

 彼は困ったように笑いながら、そんなことを言う。マリーは泣きながらも、思わず笑ってしまった。

 

 ……けれど、やはり事態は100パーセント好転していなかった。
 深い怪我と、それに伴う激しい高熱は、彼の体力だけでなく、別のものも奪っていたのだ。
 それは、記憶。
 彼は名前以外、すべてのことが思い出せなかった。出身も、年齢も、両親の名も、――そして。
 森の中でひとり、あれほどの傷を負って倒れていた、その理由も。

 

 

 

 

「……ありがとう」

 

 彼はコップを返しつつ礼を言う。傷ついた頬に、かすかに微笑みが浮かぶのを見てマリーは安堵する。それと同時に、嬉しくなる。
 ……また、お礼を言われた。
 役に、立てた。

 

「食べ物は入りそうか、エリックさま」
「いや、今は水だけで充分。それにマリー、俺のことはエリックと呼んでくれ。命の恩人にそうやって呼ばれると、身の置き所がない」

 

 彼は軽く言うが、マリーは戸惑ってしまう。……エリック。青年が唯一覚えていた、自身の名だ。
 豪華な装飾の施された鎧と剣から察するに、上級貴族に従う騎士か、もしくは教会付きの騎士だろう。エリックは明らかに高階級の騎士だ。気安く呼んでいいものかどうか。

 

「マリー」

 

 エリックは再び、微笑んだ。
 薄紫の瞳はどこまでも優しくて、マリーの心をきゅっとつかんだ。

 

「早く元気になって、きみに恩を返そう。まずは手初めに、重い水をたくさん運ぶかな。それとも蒔割りが先か」
「……そんなことよりも、早く料理を食べてほしい。自信作があるのに、ちっとも食べてもらえない」

 

 消化がよくておいしい料理を、マリーは一生懸命考えたのだ。思わずヒネた口調になって後悔したが、エリックはさらに笑ってくれた。

 

「そうか、そうだな。すまないマリー。食べられるようにがんばって回復するよ」

 

 エリックは、元気になって恩返しもすませたら、ここから出て行ってしまうのだろうか。
 ぼんやりと見つめながら、マリーはそんなことを思った。無意識に左手が、胸元の十字架を握っていた。

 

 

 

 

ネット小説【騎士と少女】 第1章【2】

 

 

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