第1章【1】 ネット小説【騎士と少女】 第1章【3】

 

 エリックが歩けるようになったのは、それから三日後のことだった。
 一番傷の深い左腕は充分に動かせないけれど、他の部分は問題なく動かせるようだ。

 

「斧はさすがに片手では持てないから、最初の仕事は水汲みかな」
「わたしの作ったシチューを食べるのが先だろう?」

 

 マリーは笑いながら、皿を食卓に置く。花瓶に生けられた色とりどりの花。昨日も食べたじゃないか、と笑いながら、エリックはパンを切り分け、バスケットに盛った。
 あんなに傷だらけで、目を覚ますことすらなかった青年が今、立って歩いている。昨夜までは歩く事ができず、ベッドの中でシチューを食べていたのだ。不思議な感覚に捉われるとともに、感慨がこみあげてくる。

 

「ところで前から気になっていたんだけど」

 

 木のスプーンでホワイトシチューをすくいつつ、エリックは言った。

 

「どうしてマリーはいつも、男の子みたいな喋り方をするんだ?」
「……変、か?」
「いや、変じゃないよ。マリーの性格には合ってると思うけど、可愛らしい声をしているからかな。時々ギャップに驚くんだ」
「……」
「ほらほら、そこで赤くならない。相変わらずだな、マリーは」

 

 エリックは笑う。マリーは慌てて首を振った。

 

「あ、赤くなんかないぞ。わたしが男言葉なのは、父親に育てられたからだ。生まれてすぐに母親が亡くなって、それから6歳までは父親と二人だけで暮していたんだ」
「……そうだったんだ。すまない」
「いや、いい。もう10年も前のことだ」

 

 マリーは微笑む。 父親と一緒に暮した6年間は、かけがえのない宝物だ。
 優しい父だった。亡き母とマリーをなによりも愛してくれた。

 

「この家を建ててくれたのも父だ。だからこの家にいる時が一番、落ち着く。父に守られてる感じがするんだ。……変かな」
「いや。お父上は絶対に、今でもマリーを守っているよ」

 

 薄紫の瞳が、深い優しさをたたえている。確信を持った響きに、マリーは胸を突かれた。

 

「エリックにも、父のような存在がいるのか?」
「え?」

 

 エリックが目を丸くしたので、マリーは即座に後悔した。

 

「すまない、エリックは記憶がないんだったな。変なことを聞いて、すまない」
「いや、いいよ。……そうだな。大切な人なら、いつか絶対に思い出す。忘れていた分、倍にして大事にするよ」
「そうか」

 

 マリーは微笑んだ。
 エリックは不思議だ。記憶をなくして、酷い怪我をして、辛い状況のはずなのに明るい。話しているとマリーの気持ちまで明るくしてくれる。
 いや、明るいだけじゃない。あたたかくも、してくれるのだ。

 

「エリックは太陽みたいだ」

 

 純粋な気持ちで伝えたら、エリックはシチューを喉につまらせたようだ。 咳き込みつつ、口を開く

 

「マ、マリー、そういうセリフを、そういう目で言うのは反則だ」
「えっ、反則……? ご、ごめん。ただわたしは普通にそう思っただけで」
「まったく、マリーは天然だな」

 

 エリックは水を飲みほし、それから笑った。

 

「さて。水もなくなったことだし、初仕事だ。マリー、申し訳ないけれど最初だけ井戸へ案内してくれないか」
「あ……、うん。わかった」

 

 村のことを思い出し、思わず表情が暗くなった。
 ……今日、デニスは井戸場にいるだろうか。
 エリックとともに家を出ながら、マリーは憂鬱な思いでため息をついた。

 

 

 

 

 ――最悪だ。
 井戸場へ到着し、マリーは落ち込む心を止められなかった。
 デニスひとりでも厄介だというのに、今日は取り巻きが3人もいる。どれもデニスの腰巾着、マリーをこの上なく敵視している少年たちばかりだ。

 

「どうした、マリー。っと、先客か」

 

 エリックは井戸の前で立ち止まる。その1歩手前ですでに立ち止まっていたマリーを、 振り返った。

 

「村の井戸はここだけなのか?」
「……ああ、そうだ」

 

 マリーはぎこちなく頷く。
 と、薄ら笑いとともに、取り巻きたちのヤジが割って入った。

 

「なんだァ? マリー、今日も水汲みか?」
「デニスも言ってたじゃねえか。そう何度も井戸に近付くなよ。井戸水が死の水になった らどうしてくれンだ」
「マリーが触った水なんて飲めたもんじゃねぇや」
「……」

 

 エリックがゆっくりと、井戸へ視線を戻す。表情は見えなかった。
 マリーは足に釘を刺されたかのように動けないでいた。
 だれもが自分を嫌っている。悪魔の子だと、さげずんでいる。
 このようなこと、日常茶飯事だ。だから必死で無視するすべを覚えた。自分を守るために、傷付かないために必要なことだった。
 けれど。

 

「おい、おまえ見ない顔だな」
「マリーにたぶらかされたのか?」

 

 エリックの表情は、見えない。
 彼はどう思うだろう。『あの話』を聞いたら、エリックも自分のことを嫌ってしまうだろうか。 ついさっきまで向けてくれた笑顔は、嫌悪で冷たく塗り替えられるのだろうか。
 デニスが薄く笑いながら口を開いた。

 

「君。いいことを教えてあげるよ。マリーは、見た目はそこそこかもしれないが、中身はとんでもない女さ。呪われてるんだ。今のうちに離れることをおすすめするよ。僕は村長の息子だからね。僕のところへ来たら何かと便宜を図ってあげられるよ」

 

 視界がだんだん暗くなっる。
 マリーは一歩も動けない。いつものように、平気な顔して水を汲むことができない。

 

(呪われた子――)

 

 誰もが、マリーを、嫌いになる。
 一瞬前まで向けてくれた笑顔は、別人のような仮面に変わる。
 村とは運命共同体だ。人は村で生まれ、村に育てられ、村に葬られる。ゆえに村から嫌われ、外された人間は、『想像を覆すほどの悪い出来事を起こした』ことの証明なのだ。
 そうして有無を言わさず『人間外(ニンゲンガイ)』のレッテルが貼られる。そのレッテルは生涯はがれることなく、他の村へ移住しても、受け入れられることはない。『人間外』の噂は、すぐに広まるからだ。
 ……エリックも、仮面になってしまうのだろうか。
 見せてくれた笑顔をひるがえし、こんな女に助けられるのではなかったと、悔やむのだろうか。
 エリックの肩が、動いた。マリーはびくりと体を震わせる。ゆっくりとこちらを振り返るエリック。その、表情は。

 

「マリー」

 

 ……声、が。

 

「やっぱり俺が二つ汲むよ。なんとか持てそうだ。マリーのシチューを食べたら元気が出てきた」

 

 声が、優しいままだった。
 マリーは呆然と、突っ立っていることしかできない。
 エリックはそばまできて、放心するマリーを見下ろし、そして、……微笑んだ。
 変わらぬ笑顔で。

 

「すぐに汲んでくる。少し待っていて」

 

 そっとマリーの手から桶を取り、エリックは井戸へ向かった。広い背中。昨夜までは上半身しか起こす事ができなかった。回復できたのは君のおかげだと、お礼を言ってくれた。その時と、同じ微笑だった。
 井戸へ桶を沈ませたエリックへ、さらにデニスが声を掛ける。

 

「まあ、君が僕の言葉を信じないのも無理はない。今さっき会ったばかりだしね。けれど『あれ』を見たら君も、僕を信じざるをえないだろう。……今すぐにでも、あの女の服を引き剥がしてみるといい」

 

 エリックは無言で桶を引き上げ、二つ目を沈ませる。

 

「とんでもないものが見られるよ。マリーは華奢のくせに気が強いから、きつく反抗するだろう。よかったら僕たちが手伝うよ。どうだい、今からでも、」
「黙れ」

 

 エリックの放った言葉に、デニスたちは目を見開いた。
 たった一言。それだけで、デニスたちを怯ませた。村長の一人息子、溺愛されて育った村一番の権力者を。
 マリーはなぜ、エリックの一言でデニスたちが臆したか分からなかった。確かに鋭い声だったと思う。鋭くて、切り裂くような声だった。けれど、デニスたちを黙らせるには足りない気がした。
 ……マリーの位置からは、見えなかったのだ。
 言葉を放つと同時に、エリックがどのような双眸で、彼らを射抜いたのか。

 

「待たせたな。さあ、帰ろう」

 

 マリーを見下ろす薄紫の瞳は、優しくやわらいでいた。
 ……ああ。エリックは、変わらない。
 胸がいっぱいになって、苦しくて唇をかんだ。涙が零れそうになって、ぎゅっとつむってうつむいた。
 エリックは、変わらない。
 彼に誘われるように、マリーは踵を返す。家路を歩き出す。ゆっくりと。
 チャポ、と桶の水が鳴る。
 音に導かれて、黒い不安が鎌首をもたげた。

 

(でも、――まだ、わからない)

 

 エリックはまだ、『あれ』を知らない。
 マリーはエリックの横顔を見上げる。まっすぐに前を見て歩く、端正な横顔。マリーのことを知った後も、今と同じ笑顔を向けてくれるのだろうか。

 

 

 

 

第1章【1】 ネット小説【騎士と少女】 第1章【3】

 

 

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