第1章【2】 ネット小説【騎士と少女】 第1章【4】

 

 それから数日経ち、エリックは全快したようだった。今では薪割りも、軽々とできるほどだ。
 騎士というものは、普段から鍛え方がちがうのだろう。薪割りはもちろんのこと、他のどんな力仕事も、マリーの5倍早かった。家事のほか、薬草摘みや果実採集はマリーの仕事だが、それ以外はエリックが担当してくれた。たまに森で狩りをしてくることもあり、そんな夜は食卓に鳥や猪の料理が並んだ。
 けれど、マリーが担当する力仕事もあった。水汲みだ。
 他にも物の売り買いなど、村へ行く用事はすべてマリーが担当した。
 ……エリックを、デニスたちに会わせたくなかった。

 

(エリックはなにも聞かない)

 

 庭の柵を直してくれている彼を、窓から見つめる。
 二人で村を訪れた日。それ以来、エリックは村へ近づくことすらしていない。一度、マリーが村への用事は自分が行く、と告げて以来、エリックは村の話題に触れない。
 デニスたちに投げつけられた言葉の数々。その意味を、エリックはなにも聞かない。一切触れずに、村へ出かけるマリーを見送ってくれた。

 

(卑怯なのは……、わたしだ)

 

 窓ガラスにてのひらを当てると、ひんやりと冷たかった。

 

 

 

 

「狩りに出かけてくる。今日こそ大きい獲物をとってくるから、期待して待っていてくれよ」

 

 昨日、鳥を捕まえそこねたのだ。弓をたずさえて出て行くエリックを見送り、マリーは扉を閉めた。昼食までまだ少し時間がある。
 今朝焼いたパンを皿に並べる。木のボールにサラダを盛り、レモン汁で味付けた。干し肉とチーズを用意すれば完璧だ。
 エリックが帰ってくるまでに、洗濯物を干そう。今日はいい天気だから、太陽の香りがふんだんに注ぐだろう。
 マリーはとても、幸せだった。
 人がいる、ということがこんなにも幸せだと知らなかった。父親とはまた違った幸福感に包まれていた。だからこそ、失うことがとてつもなく怖い。
 洗濯かごを両手に抱え、外に出る。物干し竿に服を1枚干そうとした時、声が掛かった。

 

「やあマリー。相変わらず男を騙しているのかい?」

 

 服が手からするりと落ちた。振り返ると、デニスが薄い笑みを広げながら立っている。その背後に取り巻きが3人控えていた。
 どうして、こんなところにまで。ここ数ヶ月、デニスがこの家を尋ねたことなど2、3回しかない。ストレス解消や、村長から言付けという名の悪口雑言。どれもロクな用事ではなかった。

 

「どこで拾ったかしらないけれど、素性のしらない輩を村に入れるのは困るんだよ。目つきが危険な男だ。早々に立ち去るよう、きみから言ってくれないか?」

 

 マリーは服を持ち上げる。言い返したい気持ちをこらえ、無言で竿に吊るした。
 ここで感情的になり、言い返したらデニスの思う壺だ。
 デニスはなおも、笑みを含んだ声で続ける。

 

「でないと今後、マリーが村へ来ることも完全に禁止しなくちゃならないんだ。今は父さんの温情で、水汲みと売り買いだけは許されているけれど、それもできなくなる。そうなるとマリー、きみは野垂れ死にしてしまう。それは嫌だろう?」
「……エリックは、危険じゃない。村に迷惑なんてかけてないじゃないか」

 

 マリーはゆっくりとデニスを振り返り、言った。デニスは笑みを浮かべながら、取り巻きとともにこちらへ近づいてくる。

 

「迷惑がかかってからじゃ遅いんだよ、マリー」
「それなら村へ入るのは今後わたしだけにする。売り買いも、わたしだけが行く。それでいいだろう?」

 

 水汲みに行って以来、エリックは村に足を踏み入れていない。村への用事はすべてマリーが担当していた。それはデニスも知っているはずだ。その上で命令してくるということはつまり、嫌がらせ以外なにものでもない。
 マリーを孤独にしたいのだ。幸せそうな姿が気に入らなくて、つまらないのだろう。

 

「相変わらず分からず屋だね、マリー?」

 

 デニスの、紺色の双眸が細められた。
 マリーは危険を感じて、とっさに一歩下がった。途端、足元の洗濯かごが激しく蹴りつけられ、木の網目が弾け飛んだ。
 木片がマリーの頬をかすめ、切り傷を刻む。さらに一歩下がって、マリーはデニスを睨みつけた。
 彼はおおげさに肩をすくめる。

 

「泣きもしないなんて、可愛げのない女だ。……まあいい。今日のところは帰るよ。また会おう、マリー」

 

 デニスは見下した笑みを浮かべながら、取り巻きたちとともに踵を返した。マリーはうしろ姿が見えなくなるまでじっと動かずにいた。しばらくして彼らが見えなくなってから、全身の力を抜く。
 ……握りしめた拳が、震えていた。
 頬の傷にそっと触れたあと、マリーは自身を両腕で抱きしめて、うつむいた。

 

 

 

 

「今日は元気がないな、マリー」

 

 夜。
 約束どおり、獲ってきた鳥の料理がテーブルに並んでいる。エリックの問いに、マリーは動揺した。

 

「そ、そうか? 普通だと思うぞ」
「俺が狩りに行っている間に、なにかあったのか?」
「な、ない。なにもない」
「……頬の傷。それ、どうした?」
「洗濯かごを落としたら、あみ目が割れてしまったんだ。その時に怪我したんだ。痛くないから、平気。気にしなくていい」

 

 マリーはテーブルの下でスカートをにぎりしめた。知られたくない。エリックには。
 デニスたちに、今日も人間以下の扱いを受けた、だなんて。
 しばらくエリックは沈黙したが、やがて明るい口調で切り出した。

 

「よし、明日は二人でピクニックに出かけようか」
「ぴ、ぴくにっく?」

 

 思わず目が点になる。エリックは薄紫の目を細めて、言った。

 

「お弁当は俺が作るよ。だからマリーは、森の中を案内してくれないか? 綺麗な景色を見せてほしいんだ」
「綺麗な、景色?」
「そう。俺はほら、記憶がないだろう? いつもと違う景色を見たら、もしかしたらなにか思い出すかもしれないと思って」

 

 その言葉に、マリーの表情がパッと明るくなった。エリックの記憶が、戻るかもしれない。
 彼の重荷が減るかもしれない。

 

「そ、そうか……! それならわたし、とってもいい場所を知っているぞ。むかし父親が教えてくれたんだ。すごく綺麗な場所なんだ」
「じゃあ決まりだな。そこへ行こう。……それと、マリー。もうひとつ、別の頼みがあるんだ」
「なんだ? わたしにできることだったら、なんでも言ってくれ」

 

 ありがとう、とエリックは微笑んだあと、わずかに表情を厳しくさせた。

 

「連れて行ってほしいんだ。マリーがオレを、見つけてくれた場所へ」

 

 

 

 

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