第1章【3】 ネット小説【騎士と少女】 第1章【5】

 

 次の日は快晴だった。爽やかな風が光を運ぶ、そんな朝だった。
 どうやら本当に、エリックがお弁当を作ってくれるらしい。おかげでマリーは、久々にのんびりした朝を過ごすことができた。
 あたためた紅茶を飲みつつ、窓の外を眺める。自然と、父親のことが思い出された。

 

 ―― マリー。とっておきの場所を教えてあげよう。

 

 年齢のわりに、深いしわの刻まれた顔。優しい笑顔が大好きだった。父親だけが、その頃マリーのすべてだった。

 

 ―― 昔、母さんを連れていったんだ。そこで父さんは、プロポーズしたんだよ。

 

 そうしておまえが生まれたんだ、と。
 大きなてのひらで頭をなでてくれた。思い出すたび、心が穏やかになってゆく。

 

「お弁当できたよ、マリー。見た目はすごいけど味もすごいからお楽しみに」
「ものすごく気になる言い回しだな。ちらっと見てもいいか?」

 

 エリックは大きなバスケットを右手に下げている。マリーが上にかぶさったタオルを取ろうとすると、さっと後ろに隠して笑った。

 

「お楽しみって言ったじゃないか。食べる直前に見せてあげるよ。我慢して待っていてくれ」
「……そもそも、エリックって料理できたっけ?」
「料理なんてものは、できるできないの次元じゃないだろう?」

 

 よくわからない論を、しれっと言えるのがエリックたるゆえんだ。マリーは笑いつつ、扉を開いた。

 

「待ちきれないから、早く出かけよう!」

 

 

 

 

 目的地は森のはずれにあった。ゆるい上り坂を歩くこと3時間。途中休憩を挟みながら、やっとのことで辿り着いた。

 

「すごい――」

 

 それからエリックはしばらく沈黙した。景色に圧倒されたのだ。
 森が唐突に終わりを告げ、視界が開ける。花びらが穏やかに微笑む、一面の野原。
 その先は急傾斜だ。高さは30メートルほど、落ちたらただではすまないだろう。だがそれゆえに、眼下に広がる景色は雄大だ。緑が生い茂り、彼方まで広がっている。

 

「……ごめん、マリー。いろいろ感想を言いたいところだけれど、すごいという言葉しか思いつかない」
「そうか。良かった」

 

 マリーは微笑む。
 父との思い出の場所に、エリックが感動してくれたことが嬉しい。そしてそれ以上に、母と父の思い出の場所に、エリックと二人でいることが嬉しかった。
 この想いを、どう呼ぶかなんてわからない。
 けれどただ、エリックとふたり、ここへ来れたことが宝物だった。

 

「綺麗な景色にふさわしい、俺の作ったお弁当を食べようか、マリー?」

 

 マリーは笑って頷くと、花畑に薄いマットを広げた。

 

「とりあえずサンドイッチと、サラダと……。あとは、ベーコンと野菜を炒めたんだ。卵焼きもあるぞ。どうだ、マリー」
「……」

 

 バスケットから次々に取り出される料理に、マリーは思わず絶句した。
 ……なんだか、料理名と色彩が、とんでもなく違う気がする。

 

「これ……黒い」
「まあ、少しコゲてるけれど味には問題ないぞ。卵焼きだ。おいしいよ」
「こっちは……白い」
「それはヨーグルトソースをかけすぎてしまったんだ。要するに、体にとてもいいサラダとなったわけだ」
「……」
「どうだ、おいしそうだろう、マリー?」
「……ごめん、エリック。いろいろ感想を言いたいところだけれど、すごいという言葉しか思いつかない」

 

 なんでもできるエリックにも、こういう弱点があったのだ。「マリーが感動してくれて嬉しいよ」と、億面なく言うエリックを見て、マリーは思わず噴き出してしまった。

 

「ありがとうエリック。おいしくいただくよ」
「ああ、遠慮せずどんどん食べてくれ」

 

 見た目ほど、味は悪くなかった。コゲた卵焼きも、白いサラダも、青空の下、エリックとふたり笑いながら食べればとてもおいしかった。
 空気が澄んで、吸い込むごとに体がクリアになっていく気がする。

 

「傷、まだ残ってるな」

 

 片膝を立てる格好で座っているエリックが、少しだけ目を細めてつぶやいた。
 食後のラズベリーティーを飲んでいたマリーは、ギクリとして咳き込みそうになってしまう。

 

「あ、ああ。これからはかごを割らないように気を付ける。ふだんはこんなドジやらないんだけど、あの時はなぜか焦ってたんだ。そ、そう、エリックの服、たくさん落としちゃって、だからそれを拾おうとしたんだ。そうしたらかごが落ちて、木がはぜて……。それだけだよ、ほんとに。だからあんまり気にしなくていい。痛くないし、全然」

 

 隠そうとするのに必死で、余計なことまで口走っているような気がする。でもどうにもならない。
 すき透るような薄紫の瞳が、じっと自分を見つめていることに気付く。深くて綺麗で、けれど感情がまったく見えない。その瞳にすい込まれそうになりながらも、いい知れぬ不安が胸をよぎる。

 

(なにを、考えているんだろう)

 

 嘘をついていることが、バレているのかもしれない。怪我を負った本当の理由は、バレてない自信があるけれど。
 意味不明の嘘をついている馬鹿な女だと、思われたかもしれない。それとも、嘘をつかれて怒っているのかもしれない。
 けれど、……ほら。
 マリーはエリックの瞳を、ぼうっと見つめる。
 真剣な眼差しも、鋭い空気も、しばらくたてば雪がとけるようにやわらいでゆく。そういう時のエリックの瞳はいつも、本当に、優しい。

 

「……すぐに手当てをしないから、次の日まで残るんだよ」

 

 ゆっくりと微笑みながら、エリックは言った。あやすような口調だった。

 

「これからは怪我をしたらすぐに呼んでくれ。手当てするから」
「あ、ありがとう」

 

 恥ずかしくて、マリーはうつむきながら言う。父親が亡くなってから今まで、すべて自分ひとりでやってきた。そのようなこと、言われた記憶がなくてどう返していいのか分からない。
 うつむいたままでいると、再び落ち着いた声音が届いた。

 

「もうひとつ付け加えると、今後は怪我をする前に、俺を呼ぶんだ。マリーが傷を負わないように……俺が必ず守るから」

 

 マリーはゆっくりと、目を見開いた。

 

(エリックは……、知っている?)

 

 すべて、察して。
 その上で、言葉をかけてくれる。
 いつもと同じに……、いや、それ以上に、優しく。

 

「……!」

 

 思わず目頭が熱くなり、マリーは慌ててうつむいた。

 

(まもる、だなんて)

 

 頼っても、いいのだと。
 つらい時は、自分を呼んで、いいのだと。

 

「ほらマリー。デザートに木苺ジャムのヨーグルトを用意したんだ。ジャムはマリーのお手製だから、とてもおいしいぞ」

 

 いつもの調子で、エリックが笑う。
 青空の下、目じりに浮かんだ涙をこっそり拭いて、マリーも笑顔を広げた。

 

 

 

 

第1章【3】 ネット小説【騎士と少女】 第1章【5】

 

 

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