第1章【6】 ネット小説【騎士と少女】 第2章【1】

 

 あたたかいと感じた。
 力強い腕も、服ごしに伝わる鼓動も、くちびるも。

 

「……ごめん」

 

 ゆっくりとくちびるを離して、エリックは小さく言った。
 視界が霞がかったように曖昧だ。マリーはゆっくりとまばたきした。なにかを伝えたくて声を出そうとしたが、結局出なかったのでおかしいなと思って首をかしげた。
 すると再び、エリックの胸に押しつけられるように抱きしめられた。

 

「……こんな時にそういうカオをするのは、反則だ」
「え?」

 

 今度はちゃんと出た。一文字だけだったが。
 マリーは今の自分がどういう状況か、改めて考えてみる。

 

(……わたしがエリックを、責めた)

 

 いくら傷ついたとはいえ、感情的になりすぎた。マリーは自分を恥じる。……いや、けれど。
 もっと、恥ずかしいことがその後にあったような。
 けれどエリックがそっと体を離し、綺麗な目で見つめてきたから、再びマリーの思考は停止してしまう。

 

「……100日だ」

 

 優しい、けれど芯のとおった声音。

 

「いなくなった誰かを探すのは、俺の役目だから行かなくてはいけない。明日、発とうと思う。けれど明日から数えて、100日たったらここへ必ず帰ってくる。その間に、必ず過去をとり戻して、やらなければならなかったことをすべて終わらせる。だからマリー。ここで待っていてくれるか?」

 

 ……帰ってくる……?
 エリックが、ここへ。この家へ。
 『かならず』。

 

「マリーのところへ、帰ってきても、いいか?」

 

 こたえなければ、と思った。
 今の自分の気持ちを、心が揺さぶられた想いを、伝えなければと思った。
 けれど、声が。

 

 

( エリック )

 

 

 言葉が、出ないのだ。

 

「マリー……?」

 

 エリックがのぞきこんだ。マリーの瞳から、涙が一粒こぼれた。

 

「……うん。待ってる。ここで、待ってる」

 

 声は小さくて、かすれていて、涙まじりだったけれど。
 エリックはきちんと聞いてくれて、もう一度、あたたかい腕で抱きしめてくれた。

 

 

 

 

 ―― 異変はその日の夜、起こった。
 雨はまだ降り続いていた。冷静になってから、エリックとキスした事実を思い出してとんでもなく赤面し、エリックにからかわれつつ、平和な昼下がりを過ごした。空が暗くなり始め、夕食をテーブルに並べていた時だった。
 突然、扉が激しくノックされた。
 マリーとエリックは顔を見合わせ、それからエリックが慎重に、扉を開けた。

 

「誰だ?」
「エリック・ハワードだな」

 

 低く、地を這うような声が侵入した。
 マリーは息を呑む。――エリック・『ハワード』?

 

「村で金髪の男の噂を聞いた。まさかとは思ったが、やはり貴様だったのか」
「……誰だ、おまえは。俺のことを知っているのか」

 

 エリックの声音が緊張を含んでいる。マリーはエリックの背後へ駆け寄った。彼の背中越しに、訪問者を見る。
 雨よけのためか、黒い外套を頭から被っていた。腰には短剣、長袖の上にベストを羽織っている。どれも上等の生地だ。
 そして首元には銀のロザリオが下がっていた。大きい。てのひら程のサイズだ。

 

「驚いたな」

 

 訪問者はゆっくりと、目を見開いた。鳶色の、暗い眼光。
 マリーは思わず胸元の十字架をにぎりしめた。この男を見ると、なぜか背筋が寒くなる。

 

「そうか……記憶を失っているのか。どうりで連絡がないはずだ」
「俺のことを、知っているのか?」

 

 慎重に、ふたたびエリックが問う。男は頷いた。

 

「とにかく話をしよう、ハワード。少し出られるか?」
「……。マリー」

 

 男の問いには答えず、エリックは振り返った。

 

「夕食、少し遅れてもいいか?」
「……うん。待ってる」

 

 マリーはぎこちなくうなずいた。エリックのてのひらが頭に乗せられる。

 

「すぐに戻るよ」
「早く行くぞ。貴様に見せたいものがある」
「ああ」

 

 男へ短く返答したあと、エリックはマリーに向けて微笑んだ。

 

「それじゃあ行ってくる」

 

 いってらっしゃい、とマリーは手を振った。エリックは壁に立てかけてあった剣を取り、男とともに森の方へと歩いていく。雨が景色を隠すので、背中が見えなくなるのは早かった。

 

「……いってらっしゃい」

 

 マリーはぽつりと、声を落とした。雨の牢獄に閉じ込められているようだった。けれどエリックを追いかけなかったのは自分自身だ。床に張りついている、両足だ。
 大丈夫。大丈夫。エリックは帰ってくる。必ず帰ると、約束したのだから。
 あの男が誰なのかはしらない。エリックの過去を知っているようだった。けれどエリックはちゃんと帰ってきて、遅めの夕食を二人で食べるのだ。そして明日の朝、笑顔でエリックを送り出すのだ。
 100日後、エリックを迎えるために。

 

 

 

 

第1章【6】 ネット小説【騎士と少女】 第2章【1】

 

 

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