第1章【7】 ネット小説【騎士と少女】 第2章【2】

 

 マリーの日常は変わらなかった。
 朝起きて、朝食を食べ、水をくみにいってから掃除をし、洗濯をして、昼食をとる。薬草と果実を摘み、時には買い物へ行ったりして、日が暮れる前には夕食の準備に取りかかる。
 同じことのくり返しだった。
 毎日、一人分の料理があまっていた。
 それでもマリーは作り続けた。皿に盛り、テーブルに置いて、待ち続けた。

 

(約束したんだ)
(すぐに戻るって)

 

 だから帰ってくる。
 信じている。
 エリックを、信じている。

 

 

 

 

 あの日から1か月が経っていた。マリーは変わらぬ日常を続けていた。桶をさげつつ今日も村へ水をくみにいくと、井戸のそばで、デニスが一人立っていた。
 とりまき連中を連れていないなんて、珍しい。
 けれど厄介なことには変わりないので、マリーはわずかに眉を寄せつつ、井戸に近づいた。

 

「あの男に逃げられてからもう1か月だな、マリー」

 

 薄く笑いながらデニスが言う。エリックがいなくなってからというもの、デニスはいつも同じことをくり返している。

 

「それとも黒ミサの生贄に使ったのか? いや、それはないか。男を生娘の代用にするなど悪魔への冒涜にさえなりかねない。さすがの君も、そればかりはしないだろうな」
「エリックは戻ってくる」

 

 桶を井戸から引き上げて、マリーは言った。デニスは鼻で笑う。

 

「みじめな女だ」
「わたしはずっと、待ち続ける。それだけだ。――どいてくれ」

 

 道をふさぐ位置にいるデニスは、マリーの言葉を無視した。紺色の双眸が、暗くマリーを映していた。

 

「みじめなだけでなく、救いようのない馬鹿女だな君は。いいかマリー。君のところへ帰ってくる人間がこの世界のどこにいるというんだい? 神に弾劾される君が、どうして男から愛されると思うんだ?」
「デニスには関係ないことだ。どいてくれ、家に帰る」
「何を理由に、そう思う!」

 

 突然、デニスが激昂した。マリーは目を見開く。殴られると感じてとっさに後ずさったから、井戸に腰をぶつけて背中から落ちそうになった。

 

「魔女め!」

 

 柱を頼りに何とか踏みとどまった体を、デニスがつかんだ。ガン、と肩を柱にぶつけられ、マリーは声を上げる。桶が落ち、水を撒き散らして転がった。間近でデニスの双眸が、怒りに猛っていた。

 

「汚らわしい女め! 今この時まで、君を生かしておいたのは他でもない僕の失策だ! そして僕の温情だ! マリー・シャレット、君は感謝しなければならない。今日まで太陽の下、無事に息をしていられたことを!」
「デニス、なにを――」

 

 何を言っている、と問いかけようとした声は、頬に叩き付けられた平手によって掻き消された。
 口の中が切れ、唇からから血が伝った。デニスは肩で息をしている。歪んだ双眸に映っている、自分の姿。マリーは思わず目をそらしたが、容赦ない力であごをつかまれた。
 ゆっくりと上向きにされる。デニスの口から低く、囁きが零れる。

 

「……関係ない、だと?」

 

 奈落から響くような、暗い声。

 

「君が今まで『殺されずにすんでいた』のは、どうしてか知っているのかい? 背徳のマリー。生まれながらにして、神に異を叫ぶ愚かな女」

 

 デニスの右の指先が、マリーの十字架をなぞる。早鐘のような心臓を、マリーはなだめることで必死だった。
 殺されずにすんでいた……?
 『誰』に?

 

「箱庭の楽園はもうおしまいだ。もはや君には、エリック・ハワードを待つ自由すら、許されない」

 

 マリーは息を呑む。知りえるはずのないエリックのファミリー・ネームを、なぜデニスが知っているのだ。

 

「デニス、どうしてエリックのことを」
「僕らは君を、弾劾する」

 

 デニスは審判者のように、告げた。

 

「やがて呼吸すら許されなくなるだろう。その時まではただ一心に、己の愚かさを嘆いていろ」

 

 瞬間、みぞおちに激烈な痛みがめりこんだ。視界が白く塗り変えられ、思考が強制的に断ち切られた。
 崩れ落ちるマリーの体を抱きとめて、デニスは歯を噛みしめる。

 

「男を待ち続けるだと……? そのようなこと、君のような女に、許されるものか……!」

 

 マリーの肩に回した右手を、爪が食い込むほど握りしめる。その時背後から、黒い外套を頭から被った男が2人、音もなく現れた。

 

「予定より早いぞ。デニス・ウィーバー」

 

 地を這うように冷たく、一人が言う。デニスは息を呑んで振り返る。

 

「き、君たちか。気配を殺して近づくのはやめてくれとあれ程言っただろう」
「我らの生業だ。それくらい我慢しろ」
「……まあ、いい。予定より少し早くなってしまったけれど構わないだろう? もう1か月も経ったんだ。僕が一人の時に、マリーが水汲みに来ていたから、ちょうどいい機会だと思って、それで」
「言い訳はいい。娘を渡せ」
「あ、ああ」

 

 尊大な態度の男に、怒りよりもむしろ恐怖を感じてしまう。デニスは舌打ちしたい思いを堪えつつ、マリーを引き渡した。

 

「これで16か。ずいぶんと軽い」
「儀式には僕も参加していい契約だったよな。いつ、どこでやるんだ?」

 

 デニスは勢い込んで尋ねる。外套の下、ちらりと鳶色の両眼がこちらを見た。やはり何度見ても、背筋が寒くなるような目つきだ。

 

「今夜、例の場所だ」
「わかった。夜に、落ち合おう」

 

 デニスは頷き、ちらりとマリーを見た。口ごもりながら、尋ねる。

 

「それで、彼女は……。マリーは、あの騎士と」
「まだ生娘だ。儀式には使える」
「そうか」

 

 デニスは安堵した。黒衣の男はそんなデニスに見下すような視線を送ったのち、もう一人とともに広場を立ち去った。
 相変わらず、こちらを馬鹿にしきっている。確かに自分は彼らから大金を貰う立場だが、それはマリーと引き換えだ。自分も見合った仕事をしている。

 

「今夜か」

 

 デニスは乾いた唇を舐めた。今夜マリーはどんな表情を見せてくれるのか。
 昂揚する嗜虐心を抑えながら、彼は低く笑んだ。

 

 

 

 

第1章【7】 ネット小説【騎士と少女】 第2章【2】

 

 

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