第2章【4】 ネット小説【騎士と少女】 騎士と少女 | 第2章【6】

 

 薄暗い森を、今度はどんどん降りていく。
 その背中は、月光から逃げているようにも見えた。

 

「……ねえ。エリック」

 

 つかまれた右腕が、痛い。
 何かを耐えるように、エリックは握りしめている。

 

「覚えていないかもしれないけど、エリックが言っていた、『襲われた時に一緒にいた人間』というのは、あの、大きな十字架の男なのか? ……ギルとかいう」
「……何?」

 

 エリックは眉を寄せて振り向いた。マリーは内心目を見張る。汗がいくつも流れ、苦しそうな表情だったからだ。

 

「一緒にいた、人間だと? 何だそれは。ギルとは常に行動を共にしていたわけじゃない。彼は後方支援が主な仕事だ。オレとは違う」
「じゃあ誰だったんだ?」
「待て、おまえの言うことはさっきから全く意味がわからない。オレはもともと一人で――」

 

 そこでエリックは言葉を途切らせた。マリーは無言で、彼を見上げる。
 やはり、覚えていなかった。
 彼の記憶は穴だらけだ。忘れてしまったのはマリーと過ごした数ヶ月間だけではない。

 

 『なにしろレオンからも連絡が途絶えたのだからな』

 

 ギルの言葉が蘇る。この時エリックは怪訝な表情を返しただけだった。エリックは心当たりがなかったのだろう。『レオン』という名前に。

 

(きっと、『レオン』という男性と、エリックは一緒にいたんだ)

 

 エリックはレオンと共にこの森へ来た。恐らく、マリー・シャレットという名の魔女を探すために。だがその途中、何者かに襲われ、レオンは行方不明になり、あとには大怪我を負ったエリックだけが残された。
 マリーは当初、エリックと共にいた人物を、彼の主人だと思っていた。エリックは騎士だから、護衛をする途中で何者かに襲われ、主人を守りきれなかったのだと。
 けれど、違った。エリックは仕事を果たすために、レオンという騎士とともに、この森へ来たのだ。

 

「オレは……ひとり、だったのか? ……いや、そうじゃない。そうじゃない、ちがう……」
「エリック?」

 

 エリックは足を止めた。掌でひたいを抑え、苦痛の表情で首を振る。

 

「エリック、大丈夫か。ここで少し休んでいこう。顔色が真っ青だ」
「……黙れ。舌を抜くぞ」

 

 強い言葉だが、響きはかすれて弱い。マリーは辺りを見回した。エリックが光の届かない方向へ向かったせいか、闇は濃く、森は深い。正直、このような奥地まで足を踏み入れたことがなかった。
 知っている道なら休むのに最適な場所が分かるけれど、ここでは無理だ。

 

「何をキョロキョロしている。……逃げる気か」
「そんなわけないだろう。両手を後ろで縛られていては、山道を逃げられない。とにかく、この岩に座って休むんだ」

 

 エリックはふいに、薄く笑った。
 月明かりの下、怜悧な双眸が見下ろす。マリーはひやりと首筋に冷気を感じた。この感覚は……どのように表現すればいいのだろう。
 つめたい海に沈められるような、芯からの怖れ。

 

「オレを拒絶した目で、なぜ、そのようなことを言う?」
「……それは」
「マリー・シャレットか。呼びやすい名だ」

 

 エリックの腕が、再び伸びる。
 マリーは動けなかった。冷たい双眸の中に、熱源がゆらいでいるのを見た。力強い腕が腰を捕らえ、引き寄せた。

 

「……もう二度と拒否することは、許さない」

 

 頬に押し当てられた鎧は冷たいのに、エリックの熱を感じる。
 彼の、もう片方の手がマリーの腹をなぞる。逆十字のあざ。

 

「悪魔と契約した娘を、我々がどのように処刑するか……教えてやろうか」
「どのように、って……。魔女、だから……杭を打ちこむか、火あぶりに」

 

 声がどうしても、かすれて震える。
 処刑方法に怯えているのではない。エリックの、熱が。
 マリーを抱きしめる強靭な体。そこから伝わる、野生的な熱源が恐ろしいのだ。
 つたないマリーの答えに、エリックは喉の奥で笑った。

 

「悪魔を逆に、利用する。……娘を使って、儀式を行う。悪魔をおろし、捕らえ、人間の力とする」
「そんなこと……、うまくいくはずが、ない」
「ああ、まだだれも成功していない。だがオレならやれる。だから教会も、オレを選んだ。儀式の……黒ミサの生贄は最高のものを求められていた。だから生まれながらに契約を交わし、母を焼き殺したおまえが選ばれた。……マリー」

 

 名を呼ばれ、心臓がはね上がる。
 腹部をなぞる手が、マリーの頬をつつみ、ゆっくりと上向かせる。
 触れる肌が、熱い。さっきのように拒絶できない。
 それは、双眸の奥の熱源が、なぜか苦しげに見えるから。

 

「悪魔の儀式で――オレは、おまえを」

 

 その時。
 カタリ、と小さく、音がした。
 マリーの背後で。

 

「……?」

 

 ほとんど無意識に、マリーとエリックは振り返っていた。
 あとで思い返せば、なぜこの時、狙い済ましたように音がしたのか不思議でならない。
 地面に深く、深く突き刺されていたはずの、1枚の板。
 木を切り、余分なところを削ぎ落とし、美しく形をととのえて――

 

「お墓……?」

 

 それは、死者の声なき声だったのかもしれない。
 墓石の代わりに佇んでいたはずのそれは、傾き、倒れ、横たわっていた。その音が、自分たちを気付かせたのだ。

 

「どうして、こんなところに……。一体だれの」
「墓、だと?」

 

 エリックの声が低い。彼の腕が離れるのを感じ、マリーは振り返り、そこで眉を寄せた。
 薄紫の双眸が、深い困惑に落ちている。額をてのひらで抑えたまま、ゆっくりと顔を上げる。そして倒れた墓を目に入れた。
 愕然と見開かれたのは、数瞬後。

 

「エリック……?」
「まさか――、そんな」

 

 ざ、とエリックのくつが土を削った。あやういバランスで一歩、前に出る。倒れた墓を凝視し、ピンと張りつめた空気を作り出していた。
 どれほどの時間が経ったのだろうか。ほんの数秒の間だったのかもしれない。けれどその時確かに、張りつめたエリックの表情がふいに、やわらいだ。
 まるで1か月前そこにあった、優しい表情で。

 

「そうか……、そういうことだったんだな」

 

 ぽつりと、声を落とす。
 あまりにも穏やかな響きが、逆に深い悲しみを感じさせた。マリーはエリックの横顔を見上げ、それから墓を見下ろした。
 エリックは墓の前へ立ち、それからゆっくりと片膝をつく。両手で板を持ち上げ、再び地面へ深くさした。

 

「今まで……一人にさせて、ごめん」

 

 かみしめるような愛しさをこめて。
 背中越しでも、マリーにはわかる。エリックの瞳が今、どんなに優しい光を宿しているか。
 それは確かに、1か月前、自分に向けられていたものだから。

 

「ずっと寂しい思いをさせたな。……『レオナ』」

 

 汚れた板の表面を愛しげになぞりながら、エリックは呼んだ。……女性の名を。

 

 

 

 

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