第2章【5】 ネット小説【騎士と少女】 第2章【7】

 

 なぜ、忘れることができたのだろう。
 明るい声、真摯な眼差し、そしてなによりも優しく強い、彼女の笑顔を。

 

 

 

 

 初めて出会ったのは9歳の時だった。
 親族が集まるパーティがあった。ハワード家は代々騎士の家系で、当主跡継ぎであるエリックにとっては緊張を強いられる場でもあった。
 レオナはまだ7歳だった。
 父方の従姉妹だと紹介された。ふわふわした金髪と、仔猫のような緑色の瞳が印象的だった。

 

「硬い手だね」

 

 小さい手と握手すると、少女は楽しそうに首を傾げた。3歳から剣を握っている手は、皮膚がぶ厚くカチカチになっている。ささやかなエリックの誇りだった。
 だが少女は、挑戦的に告げた。

 

「でも、あたしはもっとカチカチだけどね」

 

 エリックは目を丸くした。
 言われて気が付いた。握りしめた小さな手は、他の従姉妹たちのように白くなく、たおやかでもなかった。
 日に焼け、傷が走り、そして皮膚は固い。明らかに、これは……。

 

「このパーティ、退屈」

 

 レオナの唇は花びらのように愛らしく、けれど零れる言葉はいつも過激だった。

 

「抜け出して、斬り合いしよ?」

 

 

 

 

 レオナは強かった。
 力量はほぼ互角。年下の、しかも少女に負けることもあり、エリックにとって悔しいことこの上なかった。
 レオナは天才だった。
 高度な剣技も体捌きも、あざやかに身に付けていった。

 

「遅いよ、エリック」
「レオナの捌きは軽すぎるな」

 

 レオナは最高の好敵手だった。
 エリックが17を数え、男性の体つきになっても、レオナは互角に戦えた。
 けれど残念ながら、彼女は女だった。
 レオナは当然のように騎士を目指したが、風当たりは強かった。エリックが教会騎士に任命されても、レオナは認められなかった。力量も志も同じだというのに。
 だから、今回の任務はチャンスだったのだ。

 

 

 

 

「そう……チャンスだった。オレはレオナを騎士にしてやりたかった。レオナは強く、賢く、そして優しい人間だった。だから騎士たりうる人物だと確信していたんだ」

 

 月光の下、小さな墓を前に、エリックは告げる。
 静寂に落ちる声は穏やかでもあり、そして果てのない暗闇のようでもあった。

 

「魔女を利用し、悪魔を呼び出す。最初は吐き気がした。このような仕事は騎士の――教会の所業じゃないと感じた。けれど、信頼できる者を一人、共につけていいと言われて、レオナを思った」
「極秘任務を果たせば……レオナも認められる、と?」
「任務にはギルが後方支援として任命された。蛇のような目付きの男だった。古き因習をかたくなに守るタイプだと感じたから、レオナをレオンと偽り、男として共につけた。もちろん、任務が成功した暁にはレオナを女だと公表するつもりでいた。ゆるぎない功績があれば、女と公表しても認められると思ったんだ」

 

 マリーは小さな板を見つめる。
 何ヵ月も放置され、雨風にさらされた墓。けれど内側から凛とした空気を感じる。下に埋まっている少女の輝きが、まだここにあるようだった。
 エリックは恐らく、マリーのことを思い出していないだろう。エリックの口調でわかる。だから過去を語る行為が不思議でもあった。
 なぜ、マリーにそのようなことを話すのだろう。

 

(話さずにはいられないのだろうか)

 

 事実、マリーに語りかけるというよりは、心から滲んで零れ落ちるような喋り方だった。

 

「レオナは喜んでくれると思った。下命を受けたあと、すぐに彼女のもとへ行ったんだ」
「彼女は喜んでくれたのか……?」

 

 エリックは苦く、沈黙した。
 それが答えだった。

 

 

 

 

「冗談じゃない」

 

 レオナは吐き捨てるように言った。
 彼女の邸の中庭だった。レオナはいつものように、剣の修練に励んでいた。玉の汗を弾く面に、強い眼差しが光っていた。

 

「魔女を捕らえて悪魔を呼び出し、逆に利用する? 馬鹿みたい。ほんとに、馬鹿みたい」
「けれどレオナ。これはおまえにとってもチャンスだと思わないか? 密命だ。名を上げれば、騎士になれる」
「……。エリック。この話、受けたの?」

 

 レオナはゆっくりと、目を見開いた。エリックは言葉に詰まる。確かにエリックも、最初は嫌悪感を抱いたのだ。

 

「……ああ、受けた。主人の命に従うのが騎士だからだ」
「とんだお人形だね」
「悪魔は神に仇なす。魔女も同罪だ」
「悪魔を呼び出す儀式なんて、神に背いてる。どんな残酷な儀式なんだか。……ああ、魔女を使うんだっけ。ということは、魔女のレッテルを貼られた、無実かもしれない女性を利用して――」
「無実かもしれない? ……教会が間違えるとでも言うのか」
「司祭さまだって人間だよ。完全じゃない。もし、間違いだったらどうする、エリック?」
「ありえない」
「そういうまっすぐなところは、エリックのいいところだね。でも、知らないよ?」

 

 レオナは唇の端を吊り上げる。

 

「その娘が無実だったら、エリックは悪魔に成り下がるだけだ。一生を追われ続けることになるよ。教会じゃなくて、ホンモノの神様に」

 

 

 

 

「それでも結局、レオナはついてきた。理解してくれたかと思ったけれど、すぐに違うとわかった」
「どうしてわかったんだ?」

 

 マリーの問いに、エリックは苦笑してしまう。

 

「レオナは心が目に出る。もしマリー・シャレットが魔女じゃないと判断した場合、体を張ってでもオレを止めるつもりだったんだろう。いや、例え魔女だとわかっても、止めるつもりだったかもしれない」
「強い人、だったんだな」
「ああ。強くて、お人好しだった。けれど強さは本物だった。レオナと一緒なら、なんでもできると思っていた。……けれど、死んだ。ここに埋めた。男と偽ったと露見すれば、レオナの名に傷がつくと思ったんだ」

 

 月光が冷えてゆく。
 言葉を紡ぐにつれて、……ゆっくりと。

 

「この森で、ならず者に襲われた。20人なら問題なかった。でも30人いた。オレたちは勝った。けれどレオナは死に、オレだけが生き残った」

 

 エリックは地面についた片手で、きつく土を噛む。
 生々しく蘇る記憶。なぜ今まで忘れていた? 決まっている、逃げたのだ。自分のせいで失われた手から、永遠に逃れたいと望んだからだ!

 

(卑怯者)

 

 なにが騎士だ。大切な従姉妹すら守れず、逆に救われ、その重さに耐えきれず、記憶を手放した。粛清するはずの魔女に助けられ、のうのうと生きていた!

 

『待ってエリック』
『そいつは罠だよ』

 

 ……手負いの一人を追いつめていた。
 最後の一人だった。行く手をふさいだのは山賊10人で、簡単に殲滅できるはずだった。
 レオナの忠告を聞かなかった。死角に矢がひそんでいることを、気付けなかった。
 エリックが肩に矢を受けた途端、隠れていた20人が飛び出してきた。レオナはエリックを庇いながら戦い、傷だらけになり、血を大量に流していた。
 エリックも、傷を負いながら戦ったが、相手できたのは5人程度だった。残りの15人を、レオナは残らず斬った。
 すべての賊が倒れ、辺りが静寂に包まれた。エリックは剣を杖代わりに、よろめきながらレオナを見た。
 レオナは大きな血だまりの中心にいた。エリックの呼び声に振り向き、少しだけ笑った。
 そうしてゆっくりと、レオナは地面へ両膝をついた。肩を抑え、足を引きずりながらエリックは駆け寄った。しかし、手が届く前にレオナの頬は血だまりへ落ちた。小さく飛沫が飛び、彼女の睫毛をはねた。
 それきりだった。
 それきり、レオナは動かなかった。

 

「レオナ……」

 

 あの時そうしたように、エリックは震える手で、墓に触れる。

 

「すまない、レオナ……!」

 

 彼女は何を思い、最後に笑ったのだろう。
 思いをはせることすら傲慢だ。レオナは恨んでいるだろうか。それとも従兄弟を救えてよかったと、誇り高く微笑むのだろうか。

 

 

 

 

第2章【5】 ネット小説【騎士と少女】 第2章【7】

 

 

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