第2章【6】 ネット小説【騎士と少女】 第2章【8】

 

 エリックの背中は震えて、声なき慟哭を上げている。
 けれど、マリーは言葉をかけられない。
 どんな言葉も、彼の皮膚を剥ぐナイフになりそうで。

 

(エリックが、苦しんでる)

 

 どんなに彼が大切だと思っても、マリーは手を差しのべられない。

 

(また自分はなにもできない)

 

 体中の血が、すうっと冷えてゆく。
 いっそのこと、自分を殺してくれればよかった。密命が成功すればよかった。レオナとともに森へきて、山賊に襲われず、魔女を粛清して教会へ戻る。そうすればレオナは騎士として認められた。命を奪われることはなかった。エリックが傷つくこともなかった。ふたりの願いは、曇りなく叶ったのに。
 やはり自分は魔女なのだ。だれもが悲しみに落ちてゆく。マリーに関わった、ただそれだけで。
 ……ああ、でも。
 マリーはふっと、体の力を抜く。

 

(まだ、遅くないかもしれない)

 

 ここで自分がエリックに殺されれば、少なくとも教会に認められる。騎士として、階級が上がるかもしれない。
 レオナは戻らないけれど、名誉を手に入れることができる。それはきっと、騎士として幸せなことなのだろう。
 思考が闇の方向へくだってゆく。止めなければと思うが、止められない。
 なぜならエリックは、『本当に』マリーを殺しにきた。
 自分の意思で。
 従姉妹とともに、名誉を得るために、マリーを殺しにきた。
 どんどん体が冷えてゆく。熱い血も肉も、すべて色を失ってがらんどうになってゆく。

 

「エリック」

 

 自身の声が、意外なほど明瞭に響く。
 ゆっくりと、薄紫の双眸が振り返った。
 ああ。今の自分の目は、何色なのだろう。
 暗く、静かな、光のない色に沈んでいるのだろうか。

 

「今すぐ魔女を消してくれ。……エリックの手で」

 

 大切な人を救いたいと思うすぐ後ろに、逃げ出したいと思う自分がいる。背中合わせで、うつむいる。
 エリックが、ゆっくりと振り返る。その瞳はなぜか、酷く傷ついていた。唇がひらき、静かに言葉が落ちる。

 

「……最低だな。おまえは」

 

 どん、と鈍く刺された。
 卑怯な心を、気付かれている。見透かされて、弾劾されたのだ。
 マリーのくちびるは震え、言葉を紡げなかった。けれどエリックは、ふと自嘲気味に笑んだ。

 

「いや。オレに言える権利はないな。……自明だ。一番最低なのは、オレなのだから」

 

 エリックは立ち上がる。
 傷ついた双眸が、マリーを見つめた。

 

「まだ、聞いていなかったな。おまえに」

 

 ……マリーは気付いていた。
 そう、気付いていたのだ。どんなに冷たくても、エリックの瞳は以前と同じく、すき透っていることを。 瞳の底は、以前となにも変わらないということを。

 

「教えてくれ。オレはなぜ何ヵ月もの間、どこへも行かずおまえの隣にいたんだ?」
「……そんなこと、わたしが知りたい」

 

 マリーは首を振る。まっすぐにエリックを見つめて、告げる。
 その答えは、たったひとりしか知らない。

 

「エリックしか、知らない」

 

 

 

 

 最初から、不自然だったのだ。
 騎士としての記憶を取り戻した時、エリックは何度も、途切れた記憶――マリーのことを辿ってみたのだが、やはり糸の先は真っ白だった。ギルも、それは思い出す価値のない記憶だと言った。
 だからあっさり辿るのをやめた。そんなことよりも魔女を粛清する仕事の方が重要だった。
 ――マリー・シャレットと過ごした数ヵ月間。

 

(そういうまっすぐなところは、エリックのいいところだね)

 

 教会を盲信するエリックを、レオナはそう評した。
 良い意味でも、悪い意味でも。

 

(一度信じたら、最後まで信じぬくんだね)

 

 ……そうだというのなら。
 自分はマリー・シャレットを信じたのだろうか。
 何ヵ月も、この娘と過ごした。出ていく機会はいつでもあっただろうに。

 

「オレはどんなふうに、過ごしていた?」

 

 仔猫のような緑の瞳が、ゆれる。
 迷うように唇を小さく開き、告げた。

 

「普通に過ごした。起きて、ごはんを食べて、狩りしたり果物を取ったり、市場へ行ったり……。そうしていると夜がきて、眠った」
「オレは、出ていかなかったのか」
「レオナさんを探しにいくと、言った。……でも」

 

 マリー・シャレットは言葉に詰まったようだった。 でも? とエリックが促すと、彼女はうつむきながら、小さく告げた。

 

「100日後には必ず、戻ってくると言って……」
「言って?」
「き、……キス……」
「え? 小さくて聞こえないぞ」
「だっ、だから」

 

 マリーは顔を上げた。夜目にもわかるほど、真っ赤だった。

 

「キスしたと言ったんだ、わたしにっ」
「へっ?」

 

 思わず声が裏返った。
 心臓が引っくり返るほど動揺したが、騎士道で鍛えた鉄の平常心を総動員して平静を保つ。もとい、装う。
 だからつまりこれは。

 

「オレとおまえはデキていたということか?」
「そういう下世話な言い方をするなっ」

 

 ズバリ確信をついたようで、マリーが面白いくらい真っ赤になっている。
 片方がパニックに陥ると、もう片方は平静を取り戻すものだ。エリックは頭を整理し、咳払いをひとつ。
 マリーに怒られない表現を選ぶとすると、

 

「恋人同士になったというわけだ」
「そ……そういうことになるのか……?」

 

 なぜかマリーは、途方に暮れた風情だ。
 いくら記憶喪失だったとはいえ、恋人でもないのに女性に手を出すような自分であるはずがない。……多分。
 エリックは、マリーの瞳を見つめた。綺麗な緑玉。魔女は醜悪な内面を隠すために、美しいベールをかぶるのだろうか。騎士としての自覚を失った自分は、それに惑わされたのだろうか。

 

「おまえは、悪魔と話をしたことはあるか?」
「……ない」

 

 マリーは首を振った。真っ直ぐの黒髪が揺れた。

 

「では、悪魔と契った記憶はあるか」
「それも、ない」

 

 マリーは目を伏せ、くちびるを噛んだ。エリックは小さく、息をつく。

 

「……ではなぜ、母親を殺した」
「お母さんは……わたしを救おうとしてくれた。けれど、わたしはそれが怖くて」

 

 マリーの声が細く、震える。
 エリックは黙って先を促した。

 

「アザを火で、焼こうとしたんだ。わたしは怖くて、暴れてしまって……。そうしたら、火がお母さんについた。それで焼けてしまった」
「……。なんだ、それは」

 

 エリックはゆっくりと、目を見開いた。マリーの言葉の意味を、噛み砕く。その事実は、言葉を失うに足るものだった。
 ――火で焼こうとした?
 『実の娘』を。

 

「待て。ちょっと待て。では、最初に殺意を持っていたのは、おまえではなく母親の方だったと?」
「そんなことは……!」

 

 マリーは顔を上げる。けれどそのあと言葉に詰まり、視線を下へ逃がした。

 

「そんなことは、ない。お母さんはわたしを救おうとしてくれたんだ。アザを焼いて、消そうとしてくれたんだ。優しいお母さんを、わたしが殺してしまった。家も焼けて、ぜんぶがなくなった。ぜんぶわたしが魔女だったから悪いんだ。お母さんにも、お父さんにも、エリックにも、レオナさんにも。わたしが魔女のせいで、災いが降りかかるんだ……!」

 

 エリックは今度こそ、言葉を失ってしまった。
 くちびるを噛みしめて、うつむく少女。自分を魔女だと告げた瞳から、綺麗な涙が零れている。
 そうしてゆっくりと、震えるくちびるを開く。緑玉の目を上げ、エリックを見つめた。

 

「ごめんなさい」

 

 エリックは呆然と、その言葉を聞く。
 少女の、身を裂くような、懺悔を。

 

「生まれてきて、ごめんなさい……!」

 

 

 

 

 役に立てたことが、ただ嬉しかった。
 助けてくれてありがとう、と言われたことが、ただ、嬉しかった。

 

(それでもやっぱり、不幸にしてしまう)

 

 マリーのせいで、誰もが泣く。不幸の連鎖は続き、黒い鎖がマリーの世界を埋め尽くす。
 きっと100回ごめんなさいと伝えても、だれも許してはくれないし、幸せにならない。
 悪魔はいつ、解放してくれるのだろう? たとえマリーが死んだとしても、魂すら抱きこんで、永遠に放してはくれないのだろうか。

 

 

 

 

第2章【6】 ネット小説【騎士と少女】 第2章【8】

 

 

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