第2章【7】 ネット小説【騎士と少女】 第2章【9】

 

「生まれてくることは、罪じゃない」

 

 しずかな言葉が落ちた。
 エリックの声には、痛みが滲んでいた。

 

「母親が死んだのは、おまえのせいじゃない。レオナが死んだのも、おまえのせいじゃない。だから、生きてきたことも罪じゃない」

 

 マリーはゆっくりと、目を上げる。
 信じられない思いで。

 

(エリック……?)

 

 どうして、そのような言葉をかけてくれるのだろう。声が優しい。眼差しが透明で、まるでそれは、以前のエリックと同じ人間のようで。
 だがエリックは、苦しげに顔をゆがめた。双眸に浮かぶのは、最大限の葛藤。マリーを見つめながら、告げる。

 

「けれど……おまえは魔女だと、教会が言っていた。ギルも、騎士の仲間たちも、みなが魔女にちがいないと言っていた。オレもそれを信じていた。だから、おまえを粛清しにきたのに――、なのに、オレは」

 

 苦悩を滲ませて伝えられるエリックの言葉。マリーはゆっくりと、両目を閉じた。そして、開いた。
 月明かりがさっきよりも、明るく見えた。一度目を閉じたからだ。ふたたびセカイが生まれ変わるように、明るく見えるのだ。
 だから。

 

「だいじょうぶだよ、エリック」

 

 苦しいのなら、思い出さなくてもいい。
 自分との思い出を。

 

「だいじょうぶ。わたしは魔女だから、粛清していいんだよ」

 

 さっき、自分を殺してほしいと頼んだ時の心境とはあきらかに違う。
 心が明るかった。その言葉だけでじゅうぶんだ。エリックはちゃんと、マリーの知るエリックだった。

 

「エリックが正しいよ。教会は、エリックの信じる通りまちがってなんかないよ。だいじょうぶ。ぜんぶ、だいじょうぶだから」

 

 エリックの瞳が、さらにゆがむ。綺麗な薄紫の瞳。まっすぐで、強くて、純粋な――

 

(大好き)

 

 この思いを与えてくれた、ただそれだけで。

 

「オレ、は――」

 

 エリックが震える声を、絞り出す。
 彼の背後にはレオナの墓がある。レオナがじっと、エリックを守るように見つめているように、マリーには思えた。

 

「オレには……マリーを、殺すことなんて――」

 

 ……その時だった。エリックがふいに、息をのんだ。彼の視線がマリーを通り越し、その先へ向かう。
 緊張感が走る。突然空気が変わり、マリーは彼の言葉を理解する前に、振りかえった。

 

「なにをしているんだ、ハワード?」

 

 土を踏みしめて、ゆっくりと、ギルは辿り着いていた。
 当然だ。行方を知らせるために、エリックが目印をつけながら歩いていたのだ。けれどマリーは、ギルの両眼に竦み上がる。
 初めて見たときからそうだった。猛禽のような、暗く鋭い両目。聖なる教会騎士とは思えない。荒んでいる、という表現がぴったりだ。

 

「まさかほだされたわけじゃあるまいな? 醜悪なる魔女に」
「待て、ギル」

 

 エリックは一歩前へ出て、マリーと並んだ。後ろ手に縛られているマリーの、二の腕を拘束するようにつかみ、言う。

 

「彼女が本当に魔女かどうか疑わしい箇所がある。教会に再審議を申し出たい。もう一度、悪魔交渉の証拠を洗い直す必要がある」
「これは驚いたな」

 

 ギルは嘲笑した。

 

「まさかとは思ったが、やはりその女と恋仲だったというわけか。記憶は失ったのではなかったのか? それとも好みの女だったから何度でもほだされるというわけか」
「違う、そういうことじゃない」
「黙れ、ハワード。騎士としての責務を忘れたか!」

 

 ギルの一喝が、薄闇に響き渡る。とっさにエリックは、言葉につまったようだった。

 

「マリー・シャレットの刻印と、母親殺しの過去を振り返ればどれほど邪悪かわかるだろう。貴様はそんなことも分からなくなたのか。名門ハワード家の嫡男ともあろうものが、嘆かわしい!」
「違う! 母親のことはもっと慎重に捜査すべきだと言っているんだ。別の可能性もある。彼女が魔女だと確定しているわけではない」
「やはり貴様は半端者だな、ハワード。私は知っているぞ。……レオナのことを」

 

 レオナの名が出た瞬間、腕をつかむ力が強くなり、マリーは眉をしかめた。
 エリックを仰ぎ見ると、色の失せた面の中、くちびるが震えている。そこでマリーは思い至った。
 そうだ、ギルがレオナの正体を知っているわけがない。彼女はレオンという名の剣士として任についたのだ。ギルが本名を知っていること事態が、おかしいのだ。

 

「レオナ……だと? なぜ、その名を知っている」
「最初から怪しいと思っていたのだ。レオンなどという剣士、私は聞いた事がなかった。もちろん、騎士見習いの剣士は吐いて捨てるほどいる。私とて、すべてを把握しているわけではない。だが、貴様とレオンが話し合っている姿や、レオンの背格好を見るにつけ、もしかしたらレオンは女なのではないかと疑うようになった。その後、偶然聞いたのだ。ハワード家には、騎士になりたくてもなれない女剣士がいる、と」

 

 ギルの表情は冷たい。笑みのかけら、情の影すらない。
 慈悲の象徴である十字架も、彼の胸元でゆれることで、氷でつくられているかのように冷えて見えた。

 

「許せなかった。神聖なる教会からの任務に、偽りの剣士を同行させるなど、教会への侮辱だ。ましてや女など、崇高なる騎士に就くなど言語道断。ひいては神への冒涜にもつながる。よって制裁を加えた。賊という下劣極まりない輩から粛清を下すほど、ふさわしいことはない」
「……何?」

 

 エリックの体が強張るのを感じた。マリーも息をのみ、ギルを見る。
 彼が語った言葉の意味を理解するまでに、数秒を要した。

 

(粛清)

 

 つまり、彼は、賊をけしかけて、レオナとエリックを――

 

「おまえか」

 

 ……低く。
 地の底から響く声で、エリックが告げた。

 

「おまえが、レオナを殺したのか」
「神が望んだのだ。私はそれを実行したにすぎない」
「それがおまえの神なんだな。――醜悪な」

 

 深く、重い、果てしない怒りを含んだ声だった。
 横にいるマリーが思わず肩を震わせてしまうほどの。

 

「精錬なる剣士を殺し、罪なき娘を粛清する。それがおまえの、堕落した偽神の正体だ」
「無礼な!」
「俺の神はちがう。おまえごときが逢える神ではない」

 

 ゆっくりと、マリーの腕からエリックの手が離れた。
 エリックは自身の腰からゆっくりと、剣を抜く。月光の下、銀色がなめらかに輝いた。深い怒りに彩られた薄紫の双眸が、ギルを見据える。
 ギルも腰から剣を抜いた。エリックのそれよりも太く、大きく見える。エリック、とマリーは呼んだ。だが返事の代わりに、エリックの剣が振り下ろされた。ぱらりと両手の縛めが解け、縄が地面に落ちる。

 

「逃げろ」

 

 ひとこと、それだけを残して、エリックはギルへと駆け出した。

 

 

 

 

第2章【7】 ネット小説【騎士と少女】 第2章【9】

 

 

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