第2章【8】 ネット小説【騎士と少女】 第2章【10】

 

 ひとりで逃げるなんて、できるわけがない。
 そう伝えたかったのに、エリックは風のような速さですでにギルへ辿りついていた。

 

「エリックっ……!」

 

 悲鳴のような声で、呼んでしまう。
 銀色の剣がぶつかりあい、夜を揺らす。凄まじい速さで剣が繰り出され、弾かれ、受け止められ、流される。そこに込められているのはただひとつ、『殺気』だけだ。
 エリックが『殺し合い』をしているのだ。

 

「……めて、やめて、やめて」

 

 足が震える。両手で口元を覆った。けれど声は、止められなかった。

 

(死んでしまうのは、だめ)

 

 お母さんもお父さんも、死んでしまった。
 自分よりも、先に。

 

(殺してしまうのは、だめ)

 

 母親殺しの十字架を、一生背負い続けていく。
 心臓を搾られるような痛みを一生、負い続けていく。

 

「ハワードおおおッ!」
「……ッ!」

 

 上から振り下ろされた剣を、エリックは自身のそれで受けとめる。マリーは思わず目を覆った。見たくない、見ていられない。でも、この場から逃げ出せない。マリーは震える両手を下ろす。エリックは、ギルの剣を弾き、突然重心を低くした。そのまま足払いをかけると、あっけなくギルは後ろへ倒れこんだ。

 

「足をかけるとは、卑怯なぁッ!」
「実戦を知らない後方支援は、よほど偽善がお好きとみえる」

 

 エリックはギルの右手を蹴り上げ、剣を弾き飛ばす。そうして切っ先を突きつけた。尻餅をついたまま、ギルは歯軋りする。
 ゆっくりと、エリックは剣を振り上げる。透徹した眼差しが、ギルを射抜いた。

 

「レオナの痛みを、知れ」

 

 ――駄目。
 自然に体が動いていた。こんなに早く走れるとは、思ってもみなかった。
 エリックとギルの間に割って入り、ギルを背中に、彼をかばうように、手を広げて――、
 そうして見上げた、月光に彩られた剣を、美しいと思った。
 だから、驚愕に見開かれた薄紫の両眼を、一瞬しか見ることができなかった。

 

「つッ……!」

 

 頬に走った鋭い熱に、マリーは目を瞑る。
 だが予想よりもはるかに軽い衝撃に、うっすらと目を開けた。そこに映ったのは、両肩で荒く息をして、顔色を失ったエリックの姿だった。
 両手に握る剣は、マリーのすぐ右横の地面に埋まっている。とっさに避けてくれたのだ。あのスピードで降り下ろした剣を、途中で軌道修正するとは並々ならぬことではないはずだ。やっぱりエリックはすごい騎士なのだ、とマリーは思った。
 腕で頬を拭った。腕を見下ろすと、ぺとりと厚く、血が付着していた。
 その腕を、不意に強く、つかまれた。

 

「この、馬鹿……!」

 

 引き絞るようなエリックの声に、マリーは目の覚めるような思いで息を呑む。

 

「おまえはいつも、自分を犠牲にして、それが当然だと思い込んでいるんだ。それはちがう、そんなことは間違ってる、だから傷つくことはない、抵抗したっていいんだ。おまえに罪はないんだろう? だったら抵抗しろ。もしできないんだったら、その時は」

 

 そこまで一気に喋り、エリックは言葉に詰まる。

 

「その時は、オレが、」

 

 

 

 

 ―― 待て。
 思い出しては、駄目、だ 。

 

(レオナを死なせた)

 

 騎士として認められようと、誓ったのに。

 

(オレの不注意で、レオナを死なせた)

 

 それなのに、自分は

 

(……頬の、傷)
(マリーの)

 

『傷、まだ残ってるな』

 

 広がる草原で、緑の瞳が不安げに、ゆれた。
 嘘がつけないのだ。傷つけられたに決まっている。けれど、マリーは絶対に、見えすぎる嘘をつく。
 体と心を傷つけられてぼろぼろだった。けれどマリーは綺麗だった。水晶のように透明で、だからこそ、今まで見たなにものよりも純粋に見えた。

 

『今後は怪我をする前に、俺を呼ぶんだ。マリーが傷を負わないように……俺が必ず守るから』

 

 ……本当は。
 あの時よりもずっと前から、囚われていた。
 君が助けてくれたのか、と尋ねた時、うなずくよりも先に、透明な涙を流した少女を見た時から、ずっと。

 

 

 

 

第2章【8】 ネット小説【騎士と少女】 第2章【10】

 

 

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