第2章【9】 ネット小説【騎士と少女】 終章

 

「エリック……?」

 

 腕をつかんだまま言葉につまった彼を、マリーは見つめた。
 頬は痛かったけれど、たいした傷ではない。マリーはそれを伝えようとしたが、強い力でふいに引き寄せられ、代わりに小さな悲鳴を上げた。

 

「……いつまでも、敵に背を向けてはいけないよ」

 

 そうやって、優しく告げたエリックを、マリーは驚いて見上げる。
 声が同じだったからだ。以前のエリックと。
 エリックはギルを見据えて、語る。ギルは悔しげな表情で尻餅をついたまま、遠くに転がっている剣へ視線を走らせた。

 

「そこまでにしておくことだ、ギル。オレはこれ以上、おまえに危害を加えるつもりはない。だがおまえが戦うというのなら、その限りじゃない。わかるな?」
「……。なにを考えている。ハワード」

 

 低く、ギルが問う。
 熱く張りつめた空気は失せ、鋭利な静寂が辺りを包んでいた。

 

「マリーの前で殺戮を行う気はない。おまえはここから立ち去れ。そしてオレたちのことは忘れろ。教会には、マリーもレオナもオレも、盗賊に殺されたとでも報告してくれ」
「教会には戻らないつもりか」
「教会だけじゃない。家にも、騎士にももどらない」

 

 ギルは愕然としたようだった。マリーはエリックの背に庇われている。彼の表情を見たいと思うが、この角度では金の髪しか目に入らない。
 けれど不思議と、感じるのだ。彼の背中から、暖かい空気を。

 

「オレはここにいる。おまえは立ち去れ」
「……それがおまえの答えか、ハワード。魔女に魅入られた結果がこれか」
「凝り固まったおまえに、話す言葉はもうない。三度目だ。去れ」

 

 ギルは言葉をつまらせる。
 エリックの表情を窺いながら立ち上がり、2歩、後ろへ下がった。エリックが動かないことを見てとると、そのまま踵を返し、剣を拾い上げてから、再び振り返った。

 

「後悔しても知らんぞ。ハワード」

 

 エリックは答えなかった。ギルを完全にはねつけるような沈黙だった。
 ギルは短く息をつくと、踵を返した。

 

「見逃してくれることには礼を言おう。だが私がなんと報告しようとも、教会は騎士を派遣する。マリー・シャレットの遺体を確認するためにな」

 

 ギルはそのまま、森の奥へ消えていった。
 あとにはマリーとエリックと、そして静かな沈黙が残された。

 

 

 

 

 いったい今、何が起こっているのだろう。
 一度にいろんなことがありすぎて、頭の中で処理しきれない。
 マリーは頬を伝う熱いものに気がついた。指先で拭ってみると、血が流れついた。
 ゆっくりと、エリックが振りかえる。マリーの心臓が跳ね上がった。

 

「指が、汚れるぞ」

 

 エリックの手がそっと、マリーの指を包んだ。もう片方の手が頬をなぞり、血を拭い取る。

 

「謝ってすむことじゃないと分かっている。オレのことを、顔も見たくないと感じても仕方ないと思う。けれどマリー。オレは、すくなくとも、教会の脅威がなくなるまでは君のそばにいる。マリーがどんなに嫌がっても、そばにいる」

 

 マリーは呆然と、エリックを見上げる。
 すき透る薄紫の瞳。

 

「オレはどこまでも卑怯で……、そしてマリーは、どこまでも純粋だった。そんなマリーを、あんなふうに、傷つけて。オレは償う方法がわからない。だからどんなふうに詰ってもらっても構わないし、殴ってくれてもいい。存在を無視してもいい」

 

 エリックはゆっくりと、背中の青いマントを外した。マリーの肩に掛ける。エリックのマントは大きかったから、マリーの足首を通り越して、裾が地面に広がった。
 マリーの服は破られていたから、夜気から守られて暖かかった。

 

「ただ……そばにいさせてくれ。今度こそ、約束を守る」

 

 マリーの頬に、再び熱いなにかが伝った。
 それが血でないことはわかっていた。目の奥が痛いほどに熱く、視界が歪んだからだ。エリックの優しい瞳を見ていたいのに、歪んでうまく見えないからだ。
 エリックの指先が涙を拭う。そのまま引き寄せられて、強い腕に抱きしめられた。
 言葉にならない。ただ、胸がいっぱいで苦しくて、それが涙になってとめどなく流れた。
 震えるマリーの体を抱きしめながら、エリックは優しく髪をなでる。心地よさと安心感に、さらに涙が零れる。なにか言おうとすればすべて嗚咽に変わってしまいそうで、言えなかった。
 それでも……伝えなければ。
 エリックは、伝えてくれたのだから。
 息を吸う。心をこめて……伝える。

 

「おかえりなさい。……エリック」

 

 戻ってきてくれて、ありがとう。
 エリックの腕に力がこもる。月光が降りる中、暖かい静寂が辺りを包みこんでいる。

 

「……ただいま」

 

 耳元に、優しい囁きが届けられた。
 マリーはエリックの背中を抱きしめた。エリックはここにいる。奇跡だと思った。大切なものは、零れおちてばかりだったというのに。
 エリックの指があごにかかり、上向かせる。すき透る薄紫の瞳に、自分が映っている。
 そのままゆっくりと、キスをした。
 暖かいくちびると、力強い腕が、いつまでもマリーを包んでいた。

 

 

 

 

第2章【9】 ネット小説【騎士と少女】 終章

 

 

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