ネット小説 【LAM】 ≪9≫ | ACT3-C

表紙
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『ヤマト』

 

 まどろみの中で、声が反響する。

 

『僕の病気が、君やユイにうつったらどうしよう。そのことを考えると怖くて眠れないんだ』

 

 水中のようにゆらいだ景色がやがて、はっきりとした輪郭になってゆく。

 

『だから時々、僕は思うよ』
『君達をAR(アール)にするくらいなら、捕まった方がいいって』

 

 薄暗い屋根裏部屋だった。
 入り口は巧妙に隠していた。用を足す時以外、ミナトがそこから出ることはなかった。
 真夜中だ。ミナトは小さい明かりの横で、うつむいている。

 

『馬鹿なことは考えるな。おまえは大人しくここにいればいいんだ』
『ヤマトは怖くないの? アルカディアは本当に怖い病気だよ』
『オレに怖いものなんてねえよ。夜中に呼び出したかと思えばそんな話か。もう寝るぜ』
『待って、ヤマト!』

 

 立ち上がったヤマトの袖を、ミナトが掴んだ。必死の形相だった。

 

『僕は、もう長くないんだ。それを考えれば、いっそのこと』

 

 ――いっそのこと、何だ?
 雫が落ちたように、波紋が広がった。屋根裏部屋はゆれて、輪郭がゆがむ。ミナトの声が消えた。姿も消えた。

 

「ミナト?」

 

 ヤマトは呼ぶ。
 ざ、と風が横から吹いた。
 桜の花びらが無数に吹きすさぶ。目をすがめた。風が冷たい。
 桜が咲いているのに?

 

『雨、だね』

 

 ユイが窓の外を見ながら、寂しげに言った。

 

『桜散っちゃうなぁ。ミナト、楽しみにしてたのに』

 

 1時間だけ窓を開けて、桜を見るという約束をしていた。それくらいなら見つかることもないだろうと思った。
 でも散ってしまった。もう、見ることができない。

 

『可哀相だなぁ……』

 

 ぽつりとユイは言った。言葉ともに、涙が一筋流れていた。言葉以上の思いが零れていた。

 

『――、聞いた、ヤマト――、』

 

 ノイズ。
 ガリガリと、耳を引っ掻く。不快な雑音と、時々混じる砂嵐の画面。

 

『ARの、――クーデター』
『みんな片っ端から、検査されてる』
『――NARだと分かったら、捕まるって――』

 

 ―― 隠れろ!
 まずはユイを屋根裏に隠して、それからミナトが検査を受けた。もちろん結果は陽性だ。一週間後、ヤマトの振りをしてミナトが検査を受ける予定だった。

 

『ユイはどうするの、ヤマト』
『遠くへ逃げたと思わせるように、ユイの家を細工しておいた。たぶん凌げる。大丈夫だ、この屋根裏部屋さえ見つからなければ』
『そ、そんなにうまくいくかな』
『いかなきゃどうしようもねえだろ!』

 

 ユイは気丈だった。こんな時でも、泣いたり途方に暮れたりしなかった。混乱の中で、自分たちは彼女に救われていた。
 けれど。

 

『……ヤマト。僕は、もう長くないんだ。それを考えれば、いっそのこと』

 

 また同じせりふを、ミナトがつぶやいた。
 けれどあの時と違ったのは、ミナトの声と目が、まっすぐにヤマトを見つめていたことだ。確かな意思がこめられていたことだ。

 

『いっそのこと、隔離されればいいんだと思ってた。でも、今は状況が違う』

 

 だから、何だ?

 

『僕はただ、君達を護りたい。本当の意味で、護りたい』

 

 桜の花びらが流れる。
 横からの風に乗って、無数の薄紅が流れてゆく。

 

『死なせたくない――、ずっと、たとえ君たちが嫌がっても、生きていてほしい』

 

 たとええ嘆きの日々でも。
 そしてミナト自身が、一人ぼっちになっても?

 

「ふざけるなよ、ミナト」

 

 花びらの向こうへと消えたミナトへ、ヤマトは言う。

 

「ふざけんなよ……!」

 

 結局は。
 ミナトがアルカディアに罹(かか)った時点で、分かりきっていた結末だったのだ。
 ARのクーデターが成功しようとしなかろうと、ミナトは死んでゆく。
 それは変えられようのない事実だ。それならば。
 短い時間を苦しんで生き、孤独に死んでゆくのが逃れられない運命だというのならば。
 泣き叫んでも良かった、なぜならミナトはヤマトとユイの近くにいたかったはずなのだから!
 それなのに、自分から差し出したのだ。それが二人のためだと信じて。
 ヤマトは噛みしめた唇から血が滲んでいたことに気付き、舌打ちをする。
 顔を上げた。薄闇の中、二つの影が見えた。

 

『ミ、ナ、ト……』

 

 弱々しい声。だらりと垂れた、細い腕。
 胸に深々と突き刺さった、ナイフ。
 少年の右手には、刃の長いナイフが握られていた。ユイを貫き、背中から先が飛び出していた。

 

(……、ヤマト)

 

 ミナトの唇が動く。
 悲しく歪んだ、笑みの形。

 

(僕、は、……君達が、)

 

   誰よりも、
   大好きだった。

 

「うあああああああああっ!」

 

 ヤマトは頭を抱えて叫ぶ。ミナトの虚ろな目が自分を映している。風が吹いた、左側から。見慣れすぎた、自分と瓜二つの少年、その腕に抱かれた少女。駄目だ、駄目だ、駄目だ! ここで逃げては駄目だ、目を覚ましては駄目だ!
 この先に、答えがあるかもしれない。ヒントがあるかもしれない。この後
に何が起こるのかが分かれば。
 二人を救う、きっかけがつかめるかもしれない。
 ヤマトは荒い息を繋ぎながらゆっくりと顔を上げる。体中が震えていた。これは夢じゃない。夢じゃない。必ず起こる、確定した未来だ。けれどそんなこと認めない。

 

『……ヤマト』

 

 いつしかユイは消え、あとにはミナトとヤマトだけが残されていた。
 ミナトは悲しく微笑んでいる。手を伸ばせば届く場所にいる。ああ、防護服を着ていないミナトを見るのはいつぶりだろうか。
 ゆっくりと、ミナトが右手を持ち上げる。ヤマトはギクリとした。ミナトの指先は濃い紫に染まっていた。爪の中までも、侵食されていた。
 ミナト、と呼んだ。けれど喉がヒュウと鳴っただけだった。ミナトは微笑んだまま、唇を開く。ゆっくりと。

 

『 ありがとう……、僕を、君が殺して、くれるんだね 』

 

 ……瞬間。
 薄紅がざあっと無数に舞った。暗闇の中、ヤマトはただ、佇んでいた。佇んでいたはずだった。指一本動かしていないはずだった。それなのに。
 それなのに?

 

 ヤマトの手には確かにナイフが握られていて、そのナイフはなぜか深く、ミナトの胸の中枢に押し込まれていたのだ。

 

「あ、……?」

 

 ――血が。
 流れた。真水のようにさらさらと。熱かった、震えていた、大きく波打った、ミナトの体が。
 ミナトの、体が。
 自分の、持った、ナイフに。
 貫かれて。

 

「――。」

 

 何も言わず、呻き声すら上げず、ミナトはヤマトの腕の中へ崩れ落ちた。ヤマトは何かを叫んだ。声を限りに叫んだ。
 そして肩に。
 不意に、肩へ手が置かれた。冷たい手の平だった。ミナトでも、ユイでもなかった。二人の手の平はもっと暖かくて。
 暖かくて。
 そして、暖かさとは無縁の、冷たい吐息とともに、愉悦の滲む歪んだ声がポタリと、ヤマトの耳朶(じだ)に落ちた。

 

『よくやった。上出来だ、……倉地ヤマト』

 

 ヤマトは目を見開く。
 けれど風が吹くばかりで、桜の花びらが舞うばかりで、あとは何もかもが闇に消えた。横殴りに流れた薄紅も、最後は闇に呑まれて消えていった。

 

 

 

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