ネット小説 【魔女のイケニエ。】 (4)

【3】 ネット小説【魔女のイケニエ。】 

 

 果てしなく冷たい、暗闇の世界で、カナンは一人、漂っている。
 手も足も、指先も動かない。瞼も動かせない。
 ――体が、ない。

 

(死?)

 

 これが、死なのか。
 だが感情だけがある。
 静かな感情だけが、暗闇を漂う。
 寂しくはない。怖くもない。ただ、寒い。

 

 

『……寂しくない』

 

 

 無の中に、ふわりと、少女の声が浮かんだ。
 うたかたのように儚く。

 

 

『寂しくない。怖くない。ただ、寒い』

 

 

 木々がざわめく音。
 茫漠とした、空白。

 

 

『……さむいよ』

 

 

 胸をしぼるような切なさが、カナンを締めつけた。
 少女の声は、なおも続く。

 

 

『さむいよ。……おかあさん』

 

 

 目の奥が熱い。
 嘘だろ、とカナンは思った。
 寂しくないなんて、嘘だろう?
 締めつける切なさの中、カナンはゆっくりと目を開けた。
 瞼が動く。ひどく重いので、緩慢に。

 

「……ロゼ……?」

 

 呼びかけながら、カナンは意識を取り戻した。1階の寝室であることに気づく。外は暗く、ろうそくの明かりが儚げに灯っていた。
 自分の頬を手でなぞる。濡れていた。
 驚いた。……涙を流すなんて、何年振りだろう。
 セトがいなくなった時でさえ、母親を悲しませなようにするため、涙は見せなかったのに。
 それからカナンは、足の辺りが重たいことに気づいた。目を落として、愕然とする。

 

「ロゼ……!」

 

 ロゼッタが、椅子に腰かけたまま、うつ伏せに覆いかぶさっていた。顔色は蒼白で、唇は青い。眉はきつくひそめられ、吐息は荒く、一目で酷い状態だと分かる。

 

「なんで……おい、ロゼ!」

 

 カナンは慌ててベッドから降り、ロゼッタを横たえた。ロゼッタは小さくうめき声をもらしたが、目を開ける気配はない。
 わけがわからない。倒れたのは自分のはずだ。あの、変な男が妙なワザで攻撃してきて、それで――。
 そういえば、あの男はどこだ?

 

「馬鹿な女だ」

 

 あきれ果てた声が背後から聞えて、カナンは素早く振り返った。背中にロゼッタを守るように、睨みつける。

 

「今、何つった?」
「馬鹿だと言ったんだ」
「ふざけんなよ」

 

 ふつふつと、怒りがこみあげてくる。
 ――生贄の件は、何もかも、こいつの仕業だったのだ。

 

「ロゼを馬鹿にすんじゃねえ。こいつの弱みにつけこんで、いいように使いやがって。最低なのはてめえじゃねーか」
「弱みだと? ふふ」

 

 男――『悪魔(ロレンス)』は喉の奥で笑った。

 

「なるほど。ロゼッタがおまえを癒した時、ロゼッタの心の一部も入り込んだか。読んだのだな。ロゼッタの、『救いようのない孤独』を」
「何言ってんのかわかんねーけど、てめえがロゼの寂しさをバカにしてんのだけは分かった」

 

 果てのない寂しさは、確かに救いようがないのだ。セトをなくした時の、心の空白は今でも埋まっていない。

 

「救いようがない孤独なんて存在しねえんだよ! てめえは今まで孤独につけこんでたかもしれねえが、これからは違う! オレがこいつの友達になって、もう寂しさを感じさせないようにしてやるんだ」
「はは。同病相哀れんでいるだけでは、孤独は癒せんぞ。おまえは兄をなくした。ロゼッタは母をなくした。同じ境遇では傷を舐め合うだけだ」
「屁理屈言ってンじゃねえ!」

 

 その時、「カナン」と、よわよわしい呼び声が届いた。ロゼッタだ。カナンは慌てて駆け寄る。

 

「おい、ロゼ。大丈夫か?」
「……カナン」

 

 もう一度、震える唇で呼ぶ。潤んだ瞳が、細く、開かれた。

 

「すまない、カナン。お兄さんの件、わたしのせいだ……。他の村人にも、なんて謝ったらいいか」
「おまえのせいじゃないだろ。あいつがやったんだろ。だから何も気にすんな」

 

 カナンは、ロゼッタの額を撫でる。

 

「オレの方こそ、おまえを疑って、ごめん」
「――……」

 

 ロゼッタは絶句したように、息をつめた。緑玉の瞳から、涙がこぼれおちた。
 泣かせてしまった。カナンは焦って、

 

「いや、その、ほんとにごめん。キツいこと言って。女の子に――」
「いいんだ」

 

 ロゼッタは涙をぬぐいながら、泣き笑いのようにほころんだ。

 

「いいんだ、カナン。本当に。わたしは、本当は、嬉しかったんだ。人が、この家を訪ねてきて、わたしと言葉を交わしてくれて、それだけで、嬉しかった。どんな理由でもいい。ここに来てくれて……本当に、ありがとう」

 

 ロゼッタが細い指先を伸ばし、きゅ、とカナンの手をつかんだ。その、温かく濡れた肌に、カナンの胸は高鳴った。
 ――ロゼッタのやわらかな手を、このままずっと離したくない。
 ふいに胸を支配した思いに、カナンは混乱した。

 

「ふん。なるほどな」

 

 ロレンスはわずかに、口を歪めて笑った。

 

「果てのない孤独を埋め合うか。おまえたちに、それができるのか。……最後を見届けるのも悪くはない。恐らくは、待つのは『破滅』だけだ」
「おまえとはもう、言葉が通じねえよ」

 

 カナンは睨みつけ、吐き捨てた。本当に、ロレンスが何を言っているのか分からないのだ。
 一生、分かりあえる時は来ないだろうと確信できる。

 

「いいだろう。見届けてやる」

 

 薄い唇を引き上げて、艶然と、ロレンスは笑む。
 音もなく浮かび上がり、優雅な指先で、カナンのあご先を掴み取った。

 

「しかし、覚えておけ。ロゼッタの躯(からだ)と心は、永遠に、私の物だ」
「なっ……」

 

 頭に血が昇りかけたカナンから素早く離れ、ロレンスは宙に浮く。

 

「全ての終わりに、私はロゼッタを連れてゆく。それまではカナン。おまえの好きにしろ。ただしロゼッタに醜い傷を付けるな」

 

 ロレンスの体が、うっすらと消えてゆく。

 

「もしロゼッタが醜くうずくまったら――おまえたち二人を、一瞬で、消し去ってやろう」

 

 ロレンスは音もなくかき消えた。あとにはカナンとロゼッタの、二人だけが残された。
 二人きり、だ。
 カナンはロゼッタに目線を戻した。ロゼッタはカナンの手を握りしめたまま、うつむいていた。
 薄い肩が小刻みに震えている。……泣いている。
 カナンは突き上げる衝動のままに、ロゼッタを両腕に抱きしめた。
 ロゼッタは息を呑む。

 

「カナン……っ?」
「もう、泣かないでくれ。ロゼが泣いてると、何だかもう、堪(たま)らなくなる」

 

 強く抱きしめて、黒髪に顔を埋めた。鼻腔をくすぐる、ほのかな香り。

 

「ものすごく、辛くなる……」
「カナン……」

 

 おずおずと、ロゼッタの細い両腕が、カナンの背中に回される。

 

「すまない。わたしは、大丈夫。もう泣かない。泣かないから……」
「ロゼ。オレ、ここに住む」
「へっ?」

 

 素っ頓狂な声を、ロゼッタが上げた。
 カナンは腕をゆるめて、ロゼッタの緑玉を見つめ直す。

 

「村を出て、ここに住む。力仕事なら任せろ。役に立つぞ」
「で、でも、カナン。わたしは森の魔女だ。魔女の家に住むなんて、村の皆が――お母さまが、心配なさる」
「母さんにはきちんと話す。兄貴も分かってくれる。いや、兄貴ならむしろ、そうしろって言ってくれる。誰にもオレの邪魔はさせない。もう決めたんだ」

 

 ロゼッタは言葉に詰まったようだった。カナンは強い眼差しで、言い切った。

 

「ロゼが寂しくて泣くのは、絶対に嫌だ。だから、1ミリも寂しさを感じさせないくらい、一番近くにいる。悪魔なんか、近づけさせない」

 

 ロゼッタの白い頬が、みるみる桃色に染まった。カナンは自分のセリフがいかに恥ずかしい愛の告白か、ちっとも気づいていない。

 

「オレは、イケニエだから」
「え?」

 

 ロゼッタが訝しげに聞き返した。
 カナンは再び、ロゼッタの体を抱きしめる。やわらかくて、儚い。泣かせたくない。悲しんでほしくない。

 

「イケニエは、魔女に捕まったらもう、『帰らない』んだ」

 

fin.

 

 

 

 

【3】 ネット小説【魔女のイケニエ。】 

 

 

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