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 部下の騎士団員たちに明日の流れを確認したあと、会議室の扉を閉める。机にはグラスが置きっぱなしになっているが、片づけはメイドがやってくれるはずだ。
 主であるマルセル・イリヤ・サウスヴァールはこの国の第一王子であり、国中で最も忙しい男と言われている。今期から彼の近衛騎士団長を務めているが、その噂に偽りはないと身にしみて実感している。

 

 ひとけのない大理石の廊下を歩きながら、ため息をつく。手燭(てしょく)の炎がかすかに揺れた。
 ここ1カ月、1日も休みがない。王城内で行われる会議だけならまだいいが、各地の視察や外交会議、式典や神祭への出席など、王子のスケジュールは多忙を極める。氷のように美しい貌で淡々と政務をこなしてい姿には、感嘆せざるをえない。そして、ハードスケジュールにも関わらず、つねにそばを離れず付き従っているあの少女にも。

 

 広すぎる階段を降りて玄関ホールに辿りつく。近衛騎士団専用宿舎は王城の敷地内にあるが、城とは当然別棟なので広い庭をつっきらなければならない。
 誉れ高き『第一騎士』だけは城の中、主のすぐ近くに部屋を与えられている。今日は別行動を取っていたリネット・エオウィンは、今頃眠っているだろうか。

 

「ラウ?」

 

 ふいに頭上から愛らしい声が降ってきた。階段の踊り場で、件の少女が目を丸くしてこちらを見ている。その体が、あきらかにサイズの大きいナイトガウンに包まれているのを見て、かすかに眉を寄せた。
 2階には、王子殿下の居室がある。

 

「よかった。わたし燭台を忘れてきちゃって。真っ暗で階段を降りるのは大変だったの」

 

 オレは階段を昇り、彼女の足もとを見やすいように照らしてやった。安堵したように息をついて、リネット・エオウィンは無防備に笑う。

 

「遅くまでお疲れさま。もうすぐ王国祭があるから、毎日大変だね」
「リネット様もお疲れでしょう。今日はエオウィン家で集まりがあったとか。兄君殿もご出席されたのですか」
「それが、兄上は1人だけ欠席したの。『第一騎士』の仕事で忙しいんだって。みんなそうなのにね。わたしも休んでそっちにいけばよかったな」
「そうですか」

 

 騎士に似つかわしくない、薄い肩を見おろす。このガウンは王子の物なのだろう。彼女は今まで王子の部屋にいたということだ。
 腹の奥で熱源が暴れそうになる。拳を握ることで抑えこんだ。

 

 あの王子は確かに優秀なのだろう。だがその有能さゆえに、敵が多いのも事実だ。そのような隣に、リネット・エオウィンを置くことがオレには信じられない。『儀式』をしていない彼女は、町娘より無防備だ。

 

 リネットが努力をしていないとは言わない。むしろどの兵よりも汗まみれになりながら訓練を積んでいる。けれど人には生まれ持った能力というものがある。筋肉のつきにくい華奢な体では、どれだけ剣を振ってもたかが知れている。

 

「ラウは明日、仕合い前に宣誓するんだっけ」

 

 1階にある自室の前で立ち止まり、彼女は言う。

 

「きっと見物人から町娘たちの声援が上がるよ。ラウは人気者だから」
「王子殿下の近団長だからでしょう。人前に出ることが多いですから」
「ラウは自分のことをあんまり分かってないね。わたしはラウが羨ましいよ。あなたが戦っている姿はとても綺麗」

 

 桃色の唇に笑みを乗せて、リネットは甘い毒をふりまく。
 オレは肩から落ちそうになっているガウンに手を伸ばして、首元に引き上げた。

 

「あ、ごめんね、ありがとう」
「あまり夜に出歩かないでください」

 

 前合わせを引きよせて、言う。今はこれが精いっぱいだった。リネットは首を傾げる。

 

「マルセルさまにも同じようなことを言われたよ。でもそれって難しいよね。そもそもマルセルさまがこんなに遅くまで働くから悪いと思うんだけど」
「王子殿下、と」

 

 苦々しい思いを飲み下す。

 

「王子殿下とお呼びください。高貴な方の御名を、何度も呼ぶものではない」
「ごめんなさい」

 

 リネットはうなだれた。

 

「いつまでも幼いころのお気持ちではいけません。すべての兵の規範となるべき『第一騎士』なのですから、ご自覚を」

 

 これ以上は、やめておけ。彼女はここを突かれるのが一番弱いのだ。
 そう思っても、止まらない。
 リネットは唇を噛んでいる。傷ついてしまうと思って、ほとんど無意識に彼女の唇に指先で触れた。
 驚いたようにこちらを見る。

 

「ラウ?」
「貴女は『第一騎士』でいるべきではない」

 

 紺青の瞳が歪む。濃密な闇の中で、燭台の炎だけが揺れている。
 唇から薔薇色の頬に指をすべらせると、柔らかさに眩暈がした。
 ――逃げろ。
 このオレから。今すぐに。

 

「わたしは、王子殿下が命じない限り、『第一騎士』から降りるつもりはないよ」

 

 眉を歪めながらも、リネットは気丈に宣言する。
 あの男がリネットを手放すはずがない。知らないのは彼女くらいだ。
 頬を撫でていた指で黒髪を梳く。いつもひとつに結われているそれは、細く柔らかい。

 

「なに、ラウ。くすぐったい」
「忠告はしました」

 

 首の後ろを軽くつかんで、彼女の顔を上向ける。先ほど触れた、桃色の唇に自身のそれを寄せながら、囁いた。

 

「夜は出歩かれぬように、と」

 

 リネットは呆れるほど動かない。びっくりしたように、紺青の瞳がこちらを見ている。やわらかな唇を堪能する直前で、涼やかな声が割りこんだ。

 

「ラウ・クラフト近衛騎士団長」

 

 いつから見ていた?
 彼女から手を離し、跪いて恭順の礼をとる。手燭を床に置いた。リネットはまだその場でつっ立っている。王族を前にしてこれですまされるのは、エオウィン家の特権だ。
 誰もが耳を傾けずにはいられない美声が、静かに響く。

 

「花に酔うには、夜が深い。自制しろ」
「――申し訳ございません」

 

 衣擦れの音とともに、王子が階段を降りる気配がした。階段には絨毯が敷かれているとはいえ、足音をまったく立てないのはさすがだ。憎らしいほど有能な王弟は、執務だけでなく武芸にも秀でている。宮廷剣術を極めた彼は、現女王の『第一騎士』にひけをとらないとの噂だ。それが事実ならオレに勝ち目はないかもしれない。
 そこまで考えて、自嘲した。
 王子殿下に勝つつもりなのか、オレは。

 

「部屋に戻れ、リネット。『儀式』で昂ぶって眠れないのなら、本でも読んでおけ。悪い頭も少しはマシになるだろう」
「……。分かりました」

 

 憮然とした声で、リネットが言った。やがて扉が閉まる音がして、彼女の気配が奥へ消える。

 

「顔を上げろ」

 

 従うと、お伽噺から抜け出たような貌が見おろしている。鎖骨の辺りまで伸びた美しい金髪は、ゆるくひとまとめにされていた。

 

「おまえには謝罪せねばならないな。先ほどあれに血を与えた。明日の仕合いは圧勝だろう。ああいう催しには出ないよう言っても、強情ゆえにきかない。どうやら軍内で己の力を示す必要性を感じているらしいのだが、ラウ。おまえに心あたりはあるか?」

 

 心あたりどころか、オレが原因そのものだろう。創り物めいた翠玉の双眸を見据えながら、答える。

 

「畏れながら殿下。リネット・エオウィン殿は『第一騎士』に相応しくありません」

 

 王子は片眉をあげて、先を促す。

 

「リネット殿がそのように思われるのは、私が彼女に直接伝えているからでしょう。近衛は殿下のお命に関わる任務です。リネット殿は『儀式』をしなければただの娘。殿下をお護りするには足りません」
「おまえの、畏れのないところは気に入っているが」

 

 ゆるりと、薄い唇が弧を描く。

 

「私は嘘を聞きたいのではない」
「では、申し上げますが」

 

 ほとんど睨むように、目の前の美しい王子に進言する。

 

「殿下は我欲で彼女を『第一騎士』の座に引き摺り上げていらっしゃる。私にはそれが、許しがたいことと思えてなりません」

 

 沈黙が落ちた。
 いつ首を刎ねられてもおかしくない。自分自身に呆れると同時に、奇妙な高揚感を覚えていた。

 

「許さなくてもいい」

 

 マルセル王子は笑みを浮かべたまま、告げた。

 

「だが私は、リネットを手放すつもりはない」

 

 

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