ネット小説 【リィンの空】 第1章(2)

第1章【1】 ネット小説【リィンの空】 第1章【3】

 

 この日から、リィンの生活は一変した。
 固い路上から、ふわふわのベッドに。ちっぽけなパンから、たっぷりのシチューに。ぼろ布から、あたたかいコートに。
 そして、一人きりから、二人になった。
 アレンは何も説明しない。小奇麗な二階建ての家に連れてきて、その中の一室を開け、「今日からここがリィンの部屋だよ」と言っただけだ。部屋は柔らかい緑色で統一されていて、クローゼットの中は、リィンの体にぴったりのサイズの服が並んでいた。どれも、リィンが今まで着たことのない、上質な物ばかりだ。
 ダイニングに行けば、二人分の食事が用意されていた。リビングのソファには、薄桃色のひざ掛けが置いてあった。まるでずっとここに住んでいたかのように、リィンはこの家へ溶けこむことができた。

 

 アレンは毎日、仕事へ行く。朝早く出かけて、夜遅くに帰ってくる。時には一晩家を空けることもあった。そういう時も、「戸締りをよろしくね」と当然のように留守を任された。
 リィンは不思議だった。でも、この家の暮らしがあまりにも快適だったから、ゆったりとした時間を満喫した。そうしている内に、気づけば2週間が過ぎ去っていた。

 

 

 

 

 今日もアレンは仕事だった。
 いつもと同じ一日かと思いきや、出掛ける前に頼みごとをされた。

 

「買い物をしてきてほしいんだ」

 

 リィンは戸惑った。いまだに一人で買い物に出かけたことはなかったからだ。
 アレンはいつも、お金持ちしか入れないような美しい店へ行く。そのような場所には、気後れして一人きりで入れない。

 

「野菜が足りなくなったから買ってきてくれないかな。適当に、何でもいいから」
「市場でもいい?」
「うん、いいよ」

 

 アレンが微笑んだので、リィンは安堵した。路上で開かれている市場は馴染みの場所だ。数枚の紙幣を受け取る。野菜だけを買うには、少し多い。

 

「全部使ってもいいから。欲しかったらおやつも買っていいよ」
「チョコレート、買ってもいい?」
「うん、いいよ。じゃあ僕は先に仕事へ行くね」
「いってらっしゃい」

 

 リィンは手を振った。チョコレートなんて、ゴミ箱に捨てられていたひとカケラしか、食べたことがない。

 

 

 

 

 市場は混んでいた。露店商と客でごった返している。
 服は、裏街にいた頃と同じ、くボロボロのものを着た。綺麗な服でうろついて、もし裏街の知り合いに出会ったら、どう説明していいかわからない。
 自分だけ、毎晩あたたかいごはんを食べているなんて、言えない。

 

「野菜、は……。この色がキレイ」

 

 八百屋でいちばん気にいったのは林檎だった。赤くつやつやしていて、おいしい。でも2、3回しか食べたことがない。
 そういえば、林檎は野菜じゃない。果物だ。

 

「嬢ちゃん、それにするのかい?」

 

 迷っていると店主に睨まれた。裏街の子供達は嫌われている。盗みを働くし、汚いからだ。
 リィンは慌てて林檎を戻す。適当な野菜をつかみ、お金と一緒に差し出した。
 それからお菓子の露店へ、足を向けた。ひさしの下に、飴やクッキーなどが所狭しと並んでいる。

 

(あった)

 

 チョコレートバーをつかみ、店主へ差し出した。すぐに決めたせいか、ここの店主は嫌な顔をしていなかった。機嫌が悪くならない内にと、急いで銅貨を取り出す。

 

「リィン?」

 

 聞きなれた声で呼ばれ、思わず銅貨を取り落とした。
 リィンは恐る恐る顔を上げる。二人の少年がいた。予想通りの見なれた顔、裏街の仲間だ。

 

「ほら、今度は落とすなよ」

 

 スラリとした背の高い少年――ディーンが銅貨を拾ってくれた。
 リィンはお礼を言いつつ受け取り、隠すようにポケットへしまった。ディーンは怪訝そうに、尋ねる。

 

「おまえいつも物乞いばかりしてたけど、意外に儲かるんだな」
「……うん」
「あっ、なんだよリィン! それ林檎じゃねえか。野菜も!」

 

 もう一人の少年、ピートが、リィンの手から紙袋をひったくった。

 

「こんなの買ってどうすんだよ。バカじゃねーの」
「食べたかったの」

 

 苦し紛れにリィンは答える。ピートの言葉は間違っていないだ。お金があるのなら、生野菜なんて買わずにパンを買う。腹もちがいいからだ。

 

「おまえさー、そんなガリガリなのに、なんでこんなの買うんだよ」

 

 ピートは呆れている。居心地が悪くて、リィンは視線をそらしてしまう。

 

「返してやれ」

 

 ディーンが言うと、ピートはしぶしぶリィンへ紙袋を渡した。リィンは無言で受け取ると、その場から小走りに逃げ出した。

 

 

 

 

 自分だけ、あたたかいごはんを食べている。
 キレイな洋服に包まれて、大きな家でただ、アレンの帰りを待っている。
 どうして、なんだろう。
 アレンの家の、扉を閉めてから、リィンはそのままずるずると座り込んだ。

 

「どうして、わたしなんだろう」

 

 理由がない。特別いいことをしてきたわけでもないし、死ぬほど努力をしてきたわけでもない。なのになぜ、自分だけがチョコレートを買うことができるのだろう。
 でも結局、買わなかった。努力していない自分が、ディーンの前で買えるわけがなかった。ディーンは裏町のリーダー的存在として、幼い孤児達の面倒を見ているのだ。
 胸の裏を、チクチクと針が刺す。リィンはずっと、そこに座り込んでいた。

 

 

 

 

「驚いた」

 

 扉を押したらリィンがころりと転がったものだから、アレンは目を丸くした。

 

「なにかがつかえてると思ったら。こんなところで何をしてるんだい、リィン?」
「何も、してない」

 

 リィンはおでこをさすりながら立ち上がる。アレンはコートを脱ぎながら、言った。

 

「ああ、今日はその服なんだね。裏町にいた頃の」
「……うん。買い物、行ってきたから、動きやすい服がよかったの」

 

 リィンはしどろもどろに答えた。アレンには、裏町に対する複雑な感情を、知られたくなかった。裏町に未練があると勘違いされたくないからだ。

 

「買い物ありがとう。どこに置いてある?」
「ここ」

 

 帰ってきてから玄関にずっと座り込んでいたから、当然足元にある。

 

「チョコレートはおいしかった?」
「うん」

 

 嘘を、ついた。チョコレートを買わなかった言い訳が、思いつかなかった。

 

 

 

 

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