ネット小説 【リィンの空】 第2章(5)

第2章【4】 ネット小説【リィンの空】 第3章【1】

 

「ねえ、アレン」

 

 夕食のスープをすくいながら、リィンは切り出した。

 

「パースのこと、少しわかったよ」
「本当に? どんなことだい?」

 

 アレンが目を丸くした。パースの話をずっとしていなかったので、もういらない情報なのかもしれないと思っていたが、まだ必要のようだ。

 

「パースは片手の指が7本あって、それを自慢してたから、コレクターに目をつけられて、攫われちゃったんだって。コレクターは珍しい人を集めるのが趣味なの」
「なるほど。……ところで、そのコレクターの話、かなり重大な犯罪だと思うんだけど、結構有名な話なの?」
「うーん。わたしは知らなかったけれど、ディーンが言うには、裏街のみんなは知ってるみたい」
「ディーン?」
「あ」

 

 リィンは思わず口元を押さえた。つい、口がすべってしまった。裏街へ行っていることは内緒だったのに。
 アレンは苦笑する。

 

「いいよ。リィンが僕に内緒で裏街に言ってたことは、知ってたから」
「そ、そーなの?」

 

 あれだけバレないようにコソコソしていたというのに。リィンは脱力した。

 

「パースの話はディーンっていう人から聞いたんだ?」
「うん、そう。ディーンはパースに会ったこともあるみたい。結構くわしかったよ」
「物知りなんだね。すごいな。どういう人なの?」
「アレンと同じくらいの歳で、顔が広いの。裏街を仕切ってるの。でね、コレクターは人狩り雇ってるらしいんだけど、その人狩りのアジトが5番街にあるんだって」
「……5番街?」

 

 ふいに、アレンの空気が一変した。切るような鋭さに、思わずスプーンが止まってしまう。
 だがアレンはすぐに、いつもどおりのやわらかさに戻る。

 

「5番街って、犯罪とは無縁の住宅街だよね。そんなところに人狩りのアジトがあるなんて、意外だな」
「うん。でもディーンは嘘つかないし、騙されない人だから、ほんとだと思うよ」
「なるほどね……」

 

 アレンはパンをちぎりながら、優しく微笑んだ。

 

「教えてくれてありがとう、リィン」

 

 

 

 

 次の日、リィンが裏街に行くと、珍しくディーンの姿はなかった。
 昨日の情報を、アレンはとても喜んでくれた。だからお礼を言おうと思ったのだ。

 

「最近は、いつも裏街にいたのにな……」

 

 裏街の子どもを食い物にする、タチの悪い犯罪が増えているため、ディーンは極力ここにいるようにしているらしい。でも今日はいない。
 リィンは右手の紙袋を見下ろす。パンが3つ入っている。お礼のつもりで持ってきたのだ。

 

「あれ、リィンじゃねーか」

 

 ディーンとはちがう、少年独特のミドルトーンに、リィンはのろのろと顔を向けた。声の主はピートだった。いつもディーンにくっついている少年だ。

 

「何してるんだよおまえ。最近顔見せねーじゃん」
「うん……。ディーンに会いに来たの」
「ディーンなら今朝早く出掛けたぜ。ちょっと身なりのいい男が、迎えに来たんだ」
「だあれ、それ?」
「オレも知らねー。裏街の奴らだれも知らなかったぜ。茶色の髪の、やわらかそーな雰囲気の奴だった」

 

 アレンだ。直感した。アレン以外に考えられないと思った。
 けれど、何のために? パースの情報を深く得るためだろうか。パースという少年は、それほどまでに、アレンにとって大切な人物なのだろうか。
 それにしても、ディーンを見つける時間が早過ぎないか。裏街の、顔の広い、アレンと同じくらいの歳の男としか知らないだろうに。
 けれどアレンならすぐに分かるかもしれない。毎日のように、人々がアレンを訪れていた。あの情報網があれば、人物の特定はた易いかもしれない。

 

「ところでおまえ、今どこにいるんだよ? 物乞いも最近やってないみてーだし、ディーンも気にしてたぞ」
「うん。それはもう昨日、ディーンに言った」
「っそ。じゃあ、おまえの噂も聞いたんだろ。どーなんだよ、実際。教えろよ、だれにも言わないからさ」
「……うわさ?」

 

 リィンがきょとんとすると、ピートの顔色が変わった。

 

「しまった、ディーン、おまえに言ってなかったのか。やべ、忘れてくれ。オレが漏らしたってことバレると、ディーンに怒られちまう」
「うわさって、何? わたしのことでしょ。気になる」

 

 リィンは真剣に尋ねるが、ピートは首を振る。

 

「だめだめ。絶対言わねー」
「これあげるから。パン」
「え、まじで?」

 

 ピートはころりと笑顔になった。

 

「しかたねえな、教えてやるよ。最近さ、裏街って治安悪いだろ? いや元々治安が悪いから裏街なんだけど、裏街全体をカモにしてるような、ホンモノの悪人が増えてきたじゃねーか」
「うん。人狩りとか、麻薬売人とかでしょ?」
「ああ。で、ディーンが結構たいへんそうなんだけどさ。ガキどもはパンでもちらつかせられたらあっさり引っ掛かるし。ディーンはガキどもを放っておけないから、いろいろ目を光らせてるみたいだぜ。ディーンも人がいいよな。オレなら見棄てるね、絶対」

 

 ピートはディーンに心酔しているので、どうしてもディーンの話になってしまう。悪態をつきながらも、目が輝いているのがその証拠だ。
 パンを見せられたらあっさり、というくだりはピートも一緒ではないかと思いつつ、リィンは辛抱強く、噂話の真相を待った。

 

「でさ、悪人を取り締まる奴らも増えてきたみたいなんだ。治安官は当然だけどさ、平民のボランティアとか。ただ、裏街の実情を知らない集団が多いから、逆に迷惑だってディーンは言ってた」
「もう、ディーンの話はいいからわたしの噂をおしえて」

 

 やっぱり辛抱できなかった。
 ピートはこれから話すだろー? と不満げに、話を進めた。

 

「でさ。治安官が最近頑張ってるのが、『囮捜査』らしいんだ」
「オトリ……?」
「釣りのエサみたいなやつ。治安官を裏街の住人みたいに仕立てて、悪人が引っ掛けにくるのを待って、現行犯逮捕」
「ふーん……」
「で、おまえが囮にされてるんじゃないかっていう噂」
「へ?」

 

 リィンは首を傾げた。

 

「わたし、治安官じゃない」
「ばーか、知ってるよ。おまえみたいなぼけぼけが治安官だったらこの街は終わりだろ」
「だから、囮じゃないもん」
「だーから、治安官の囮がうまくいかないから、ほんとの裏街住人を使って、悪人を捕まえようっていう話だよ」
「えー。だってわたし、治安官の知り合い、いないよ」
「だから騙されてんだよ。おまえさ、最近金まわりがいいらしいじゃねーか。それ、誰から貰ってんだよ」

 

 リィンは言葉に詰まった。ピートが「ほらみろ」という表情になる。

 

「ま、オレはさ、おまえがどーなろうと知ったこっちゃないけど、ディーンが気にしてるからさ。気をつけろよ。治安官っつったって、オレら孤児には容赦ないからな。オレら窃盗の常習犯だし」
「……うん。ねえ、ピート。治安官って、何歳くらいからなれるの?」
「えー? 知らねーよそんなの。でもハタチくらいからじゃねーの? ディーンくらいの歳の治安官、見たことねーし」
「んー……。そうだよね」
「おまえぼけーっとしてるから騙されやすいんだよ。馬鹿だし」
「ピートの口が悪いって、ディーンに言う」
「えっ? それはおまえ、それはだなー」

 

 ピートがとたんに焦りだした。
 リィンはピートを置いて、裏街をあとにする。このまま帰る気にはなれなかった。雪が降りそうなほどに寒いし、穴の開いた服に風が吹き込むけれど、リィンはひたすら、街道を歩いた。

 

(だまされてない)

 

 今日も空は、重い。

 

(アレンは騙したりしない)

 

 だって、あの男から、助けてくれたんだから。
 本気で、助けてくれたのだから。

 

 

 

 

 ピートと別れ、ふらふら歩いていると、いつのまにか市場に辿り着いていた。
 さまざまな店舗が並び、威勢のいい呼び声がこだまする。活気にあふれている。自分には無縁の世界だ。
 いつだって、どんなことに対しても無関心だった。道ばたに座り込んでただうつむき、時折空を見上げても、またすぐにうつむいていた。

 

(だってそうしないと死んじゃう)

 

 母親に手を引かれるこども。毛皮のコートを来た夫人。クレープを頬張りながら通り過ぎる少女たち。
 そんなものに関心を持ってしまったら、本当の自分とのギャップに、絶望してしまう。上がってこれなくなってしまう。

 

「買わないんならあっち行け、邪魔だ」

 

 鬱陶しげな声。目の前の店の主だった。リィンはふらふらと、その場から離れる。どこへ行っても同じだ。リィンのようなみすぼらしい身なりでは、すぐに裏街の子どもだと分かってしまう。
 リィンは気付けば、お菓子店の前に来ていた。あの時買い損なったチョコレートバーが売っていた。

 

「……――」

 

 のろのろと、ポケットの中から紙幣を取り出す。
 アレンから毎日、もらっているお金。食料の管理はすべてリィンに任されるようになっていた。材料が足りなくなったら買い足すための、お金だ。それだけでなく、アレンは「他にほしいものがあったら買ってもいいよ」と微笑む。
 なぜ、リィンにお金をくれるのだろう。
 食べ物を、寝る場所を、服を、与えてくれるのだろう。

 

(それだけじゃない)

 

 ……優しさを。
 ただ、甘やかすだけじゃない、ほんとうの優しさを。

 

「嬢ちゃん、買わないんだったら――」
「これ」

 

 菓子店主が渋い声を出した時、リィンは指さしていた。
 あの時買い損なった、チョコレートバー。

 

「これ、ほしい」
「……金はあるのかい?」

 

 疑わしげな店主へ、リィンは紙幣を手渡した。途端に機嫌が良くなり、店主は笑顔でチョコレートバーとおつりをくれた。
 世界はお金で回ってる。けれど、それを認めてしまったら、リィンたち……裏街の子どもは、永遠に救われない気がした。

 

「おじさん。もうひとつ、ちょうだい」
「あいよ。待ってくれ、今包むからな」

 

 アレンはチョコレートが好きだろうか。一緒に、食べてくれるだろうか。穏やかな時間を過ごせるだろうか。
 店主が差し出すのを、リィンは胸が痛くなるような思いで受け取った。

 

 

 だがその願いは、打ち砕かれることになる。

 

 

 

 

「――こんにちは。リィン」

 

 穏やかな声がした。聞き覚えのない、少年の声だった。
 反射的に振り向いた。市場を出た、人通りの少ない路地だった。

 

「そう。キミがリィンなんだね」

 

 少年は三日月のような目で、笑った。――だれ、と尋ねる隙もなかった。
 華奢で、少女のような顔をした少年は、恐ろしく素早い動きで、己の拳をリィンの腹へめりこませたのだ。

 

「……ッ」
「お礼がしたいんだ」

 

 少年は笑みを含んだ声で、言う。
 意識が薄れる中で、リィンはそれを聞いた。

 

「オレの兄を殺してくれて、ありがとう」

 

 

 

 

第2章【4】 ネット小説【リィンの空】 第3章【1】

 

 

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