ネット小説 【リィンの空】 第3章(1)

第2章【5】 ネット小説【リィンの空】 第3章【2】

 

 目が覚めるとそこは、薄暗い部屋の中だった。
 とても綺麗な部屋だった。足の裏は、毛足の長い赤いカーペットに埋もれていた。
 ギシ、と背中で両手が鳴る。
 部屋の真ん中で、不自然に建て付けられた柱に、くくりつけられていた。足に力が入らないけれど、手を固定されているせいで座ることができない。

 

「……痛……」

 

 うつむくと、腹部がきしんだ。
 容赦なく暴力を受けたせいだと、思い出した。

 

「おはよう」

 

 扉が開き、少年が現れた。緑色の目をしている。天使の肖像画から抜け出たような少年だが、どこか異様な雰囲気を纏っている。
 緑の目が、異常に濡れた光を帯びているからだと、気付く。
 この少年は、クスリをやっているのだろうか。

 

「オレの名前はエル。この前の晩、キミを『迎えに来た』男の弟だよ。兄さんはオレをすぐにぶつから、世界で一番キライだったんだ。だから、死んでくれて本当に嬉しいよ」
「……死んだ……?」

 

 少年は一度に喋ったが、リィンには何の事だかついていけない。

 

(迎えに来た、男――)

 

 あの、泥棒のことを言っているのだろうか。
 ……弟?

 

「兄弟が、いたの? ……あなた、エル……。キライって、死んだって、なに……?」
「あ、ごめんね。そうか、キミは何も知らされていないんだ」

 

 クスクスと、エルは笑った。
 リィンはうまく呂律が回らず、さらに頭も回らない。ぼうっとして、現実感がない……。

 

「兄さんはアレン・クーリーに殺されたんだ。それは有難かったけれど、酷い男だね、アレンって。キミを騙して、囮に使うなんて。キミはなにも悪いことなんてしてないのに」
「――アレン……?」

 

 囮。
 それはついさっき、ピートから聞いたばかりの単語だ。

 

「アレン・クーリーはね、オレたちの世界じゃ有名だよ。どこかの貴族お抱えの私設警護隊リーダーで、国が使えないような方法で、犯罪を取り締まるんだ。私設集団だから法の下にいない。ボスの貴族がよほど権限の強い男なのかしらないけれど、どんな外法で捕まえてもお咎めなし。まあ、治安官ともグルなんだろうけれど、ズルいよね。キミが可哀相だよ」
「……わたし、可哀相……?」
「うん。だからね。オレが助けてあげる」

 

 エルは笑んだ。緑色の瞳で。

 

「キミの目を貰うのは、仕事だから仕方ないけれど。兄さんみたいに、命まで取らないよ。ただ、目をもらうだけ。目をくりぬいたら、きちんと手当てするから、一緒に暮そう。もう見えなくなっちゃうけれど、ずっとこの部屋にいれば問題ないよ。食事もオレがちゃんと食べさせてあげるよ。服も毎日着せ替えてあげるし、お風呂にも入れてあげる。だから、何も心配いらないよ」

 

 エルは嬉しそうに語っている。この少年は、異常だ。相当量のクスリをやっているに違いない。
 だから。

 

(デタラメだ)

 

 彼の言っていることは、ぜんぶ。
 事実じゃない。

 

「アレンとはもう、二度と会わなくていいんだよ。だから安心して」
「……アレン、は」

 

 リィンはかすれる声を振り絞る。
 服を買ってくれた。食べ物をくれた。あたたかい部屋をくれた。
 でもそれはぜんぶ、モノだ。嬉しかったのは、モノじゃない。
 一緒にいてくれた。ただいま、と帰ってきてくれた。微笑んでくれて、いつも優しかった。怪我を心配してくれて、手当てをしてくれた。

 

(置き物は、笑っていないと価値がないよ)

 

 アレンは、リィンが笑っているようにと、望んだ。
 ヒトは置き物に、語りかけない。望まない。だからアレンは嘘をついていた。

 

「アレンは、わたしを囮だなんて、思ってない。エルはなんにも、わかってない」
「ええっ。びっくりしちゃうな。リィン、だめだよ。だめだめ。ちゃんと事実を認めなきゃ」

 

 エルは笑う。それでもリィンは、告げた。

 

「事実とココロは違う。エルは、なにもわかってないよ」
「えー。困るなぁ。リィンはアレンを見限って、オレと楽しく暮すんだよ。それ以外は、だめだよ。つまらないよ」
「わたしの目を取ってくヒトと、楽しくなんて暮せないよ」
「大丈夫。きっと、すぐにできるようになるよ。だってリィンはこの家から一歩も出られないんだから」

 

 エルはゆっくりと、腰からダガーを抜く。緑の目が、三日月形に笑んでいた。

 

「リィンはオレの恩人だよ。でも、兄さんが死んでしまって、オレは一人になっちゃったんだ。寂しいよ。だから一緒にいてよ、リィン」
「嫌。アレンといる」
「アレンは人殺しだよ。サイテーだよ。オレの方が、優しいよ?」

 

 ダガーが頬を滑る。ひやりとした感触に、背筋が凍る。

 

「しばらく痛いかもしれないけれど……、ごめんね。リィン」
「嫌……!」

 

 ギ、と手首が鳴る。もがいても、縛めは解けない。
 銀色の刃先がゆっくりと、迫る。
 痛いのは嫌だ。怖い。目が見えなくなるのは嫌だ。真っ暗は怖い。曇った空も、時計台も、何も見えなくなってしまう。アレンのことが、見えなくなってしまう。

 

(アレンの、微笑みが)

 

 見えなくなるのは、嫌だ……!

 

「――!」

 

 瞬間、エルが息を呑み、背後を振りかえった。
 同時に凄まじい勢いで扉が蹴り倒され、さらに一発の銃声が、リィンの耳をつんざいた。

 

「待て!」

 

 鋭い声が響く。
 血を流す右手を押さえ、エルが駆け出した。カラリ、と血に染まったダガーが床に落ちる。エルの血だ。

 

(今の、声)

 

 状況を判断するのに、時間がかかった。
 アレンとは一度も、目が合わなかった。
 アレンはエルを追って、すぐ隣を走りぬけたのに、目を合わせてくれなかった。

 

「リィン、大丈夫か!」

 

 アレンじゃない声に呼びかけられて、リィンはのろのろと視線を動かす。
 黒い髪に、凛とした双眸。……ディーンだ。
 どうして、ここに。

 

「目は無事だな? 歩けるか? すぐに逃げるぞ」
「……ディーン」
「ああ、オレだ。ちっ、固いな」

 

 ディーンがポケットからナイフを取り出して、縄を切る。縛めが解けて、リィンは思わず前のめりに倒れそうになった。ディーンが受けとめる。

 

「っと。歩けるか、リィン」
「ごめん、なさい……」
「足にも怪我をしてるのか。謝らなくていい。おまえのせいじゃない」

 

 ディーンはきつく眉をよせながら、リィンを抱き上げる。

 

「畜生、こんな扱い方しやがって……! 裏街の人間は道具でしかないってことかよ!」

 

 

 

 

第2章【5】 ネット小説【リィンの空】 第3章【2】

 

 

 このページにしおりを挟む
 トップページへ戻る