ネット小説 【リィンの空】 第3章(2)

第3章【1】 ネット小説【リィンの空】 終章

 

 ……道具。
 『置き物』。
 ディーンの言葉が、リィンのかさぶたを引き剥がす。
 リィンはぎゅっと目を閉じる。そして、開いた。

 

「……おろして」
「え?」

 

 ディーンは眉を寄せる。リィンは見上げて、必死に伝えた。

 

「おろして、ディーン。わたし、アレンのところに行く。アレンを、助けるの……!」
「――何言ってる」

 

 ディーンは一瞬唖然としたが、怒りの表情へと変わった。

 

「馬鹿かおまえは! おまえ、こんな、オトリみたいなことさせられて、何まだ寝ぼけてる!」
「オトリじゃない、ちがうっ」
「じゃあただのエサだ! 撒き餌だ! 騙されたんだよおまえは!」
「ちがう……!」

 

 リィンは首を振る。ちがうのに、うまく言葉にできない。思いを正しく、伝えられない。

 

「アレンの思惑なんてどうでもいいの! そんな、小さなことじゃなくて、もっと、大きなモノを知ってるの!」
「何言って――、おまえ、いい加減目を覚ませ!」
「アレンの思惑っていう表面のことじゃなくて、もっと奥を、知ってるの……!」

 

 そう、知ってる。
 アレンがリィンを拾ったことは確かに、アレンの都合だったかもしれない。
 けれどアレンは、けしてリィンを、『ただのオトリ』として見ていなかった。
 そんなこと、アレンの微笑みを見ていればなによりも簡単に、知ることができる。

 

「だからわたし、アレンのところに行――」

 

 その瞬間。
 鋭い銃声が1度、屋敷内に響き渡った。

 

 

 

 

「撃ったか……?!」

 

 ディーンが愕然と、顔を上げる。抑え込む腕の力がゆるんで、リィンは一息に駆け出した。

 

「おい! リィンっ」

 

 舌打ちしつつ、ディーンが後を追ってくる。銃声は奥の部屋から聞こえた。長い廊下を抜け、突き当たりの大きな扉を必死で回す。――開かない。

 

「アレンっ!」

 

 ガン、とリィンは拳を何度も打ちつけた。内側から鍵を掛けたのだ。それは、少年の後を追っていたアレンしか考えられない。
 なぜ、わざわざ鍵を掛けたのか。

 

「ねえ、アレン開けて……! だいじょうぶなの、怪我はないの? ここ開けて、アレン……!」
「リィン、いい加減にしろ!」

 

 後ろからディーンが、手首を抑えた。

 

「手、赤くなってるじゃねえか。なにやってんだよおまえは……!」
「アレン……!」

 

 それでもリィンは呼び続けた。
 扉の向こうに、気配がある。優しい人の、気配がある。
 置き物って言われてもいい。
 そうやって突き離されても、優しさが、見えるから。

 

「ねえ、……アレン。わたし、アレンが好きだよ」

 

 アレンが望むなら、いつも、笑顔でいる。

 

「アレンのこと、大好きだよ――」

 

 涙が零れるとともに、体から力が抜けてゆく。ディーンの手がゆっくりと離れたから、扉に両手をそえたまま、ゆるゆると座りこんだ。
 膝に触れる絨毯が、固くて痛い。扉はひんやりとしていて……けれど、この向こうにアレンがいると思うと、暖かかった。
 その時ふいに、扉の向こうから、小さく声が届いた。

 

「……リィン」

 

 感情の含まれない、静かな声。
 けれど、アレンの声だった。すぐに分かる。独特の、包みこむような、やわらかさがある。

 

「この扉は、開けられない。……見せられない。リィンがこの屋敷から出たあとに、開ける。僕は大丈夫だから……リィンは早くここから出るんだ」
「うん……、うん、わかった。ここから出る」

 

 リィンは頷いた。涙が止まらない。

 

「ちゃんと出る。それから、外で、アレンを待ってる」
「僕のことを、待たなくていい。ディーンと一緒に、元いたところへ帰るんだ」
「じゃあ、アレンの家に帰ってる」
「……リィン」

 

 アレンは長く、息を吐いたようだった。

 

「もう、僕の仕事は『終わった』んだよ」
「アレンのとこにいたい」
「リィンといる理由は、もうないんだ」
「アレンのそばがいい」

 

 こどものように繰り返す。
 繰り返すことができる。なぜなら、アレンの言葉には、棘がない。
 切なさが、ある。

 

「……リィン。僕は、きみを利用したんだ」
「うん。アレンが、拾ってくれた」
「知っていて、リィンを危険な目に遭わせた」
「でも、助けてくれた」

 

 アレンは短く、沈黙した。トン、と扉へ、アレンが体を預ける音がした。

 

「……リィン」
「うん」

 

 扉越しに、耳をくすぐる。アレンの声はやっぱり、優しくて、心地いい。

 

「リィンの名前を呼ぶと……、安心するんだ」
「……うん」

 

 扉にそえたてのひらを、きゅっと握った。

 

「それなら、何度も、呼んで」
「……リィン」

 

 心臓を静かに、握られたようだった。
 切なく、あたたかい手で。

 

「リィン。……リィン」
「うん」
「……リィン」

 

 かみしめるように呼ぶ、声。
 アレンはどうしようもなく、身も心も、疲れきっているのだと気付いた。

 

「……リィン。目を閉じて、後ろを向いてくれないか」
「うん」

 

 座り込んだまま、言われたとおりに扉に背を向け、目を閉じる。すると、静かに扉が開く音がした。
 心臓が高鳴る。すぐ後ろに、アレンが、いる。
 ディーンが息をのむ気配がした。ディーンは背中を向けていないので、アレンの姿が見えているようだ。振り向きたい衝動にかられるが……それを抑え込んだとき、ふいに、アレンの腕に包まれた。
 ふわりと、優しい羽根が触れるように。

 

「僕が離れたあと、リィンが自分の姿を、見て――」

 

 耳元に、アレンの声。
 なぜか懐かしくて、涙がひと粒だけ、頬を伝った。

 

「それでもまだ、僕といたいと思うなら、僕の家で待っていてほしい。僕は必ず、あの家に戻るから」
「……うん」

 

 最後に一度だけ、アレンの腕に力がこもった。強く抱きしめた一瞬、ふっと、ぬくもりが消えた。
 扉が閉まる音が、固く響く。

 

「……リィン、おまえ」

 

 ディーンが片膝をつき、リィンの両肩をつかんだ。ディーンの視線が、リィンの体へ釘付けになっている。リィンはふと、両手を持ち上げて見下ろした。
 そして、息を呑んだ。

 

(―― 赤い)

 

 べったりと。
 禍々しい赤黒さが、肩から胸にかけて、張り付いていた。次いで、生臭さが鼻をつき、リィンは喉の奥で悲鳴を上げた。
 血だ。

 

「怪我……は、ないよな。これ……、あいつの」
「アレン、の……?」

 

 リィンは呆然としたのち、ハッと気付いて外套を脱いだ。背中の部分を広げると、愕然と、息を呑んだ。
 ベージュ色の生地が、まんべんなく、変色していた。赤黒い血がぬらぬらと、まるで生きているように、したたっている。

 

「あ……あ……!」

 

 リィンはとっさに、その外套を手放した。血液をふくんで重くなった布は、べちゃりと絨毯に落下した。

 

「あいつ……血まみれだったんだ」

 

 ぽつりと、ディーンが言った。

 

「でもあいつは、平然とした顔で、立っていた。だから恐らくこれは……他人の、返り血だ」
「……!」

 

 リィンは言葉を失った。まわりのすべてが遠ざかる。耳鳴りが、する。

 

「こんな大量の血……。あいつ、一体何してやがる。この扉の向こうで、一体、何人殺ったんだ……?!」

 

 震える両手で、ゆっくりと、自分の肩をリィンは抱いた。

 

「いくら犯罪者を裁くといえ……。治安官にも知らせず、オトリを使ったり、平然と殺したり……こんなの、殺人鬼とかわらねえだろが……!」

 

 ――それでもまだ、僕と一緒にいたいと思うのなら。

 

 アレンの言葉が、心の中へカタリと落ちた。

 

「もういいだろうリィン。こんなところから早く出て、裏街へ帰って来い。あいつの近くにいたらダメだ。世界が違う。貴族と平民っていう簡単な絵じゃない。人間と、そうじゃない者の世界だ。人を殺した者は、二度と戻って来れないんだよ。そういう奴を、オレはたくさん見てきている。リィンはそっち側の人間になるな。オレたちの世界に、これからもずっといるんだ」
「……ありがとう。ディーン」

 

 ゆっくりと顔を上げて、リィンは伝えた。
 血まみれの姿で、蒼白の唇で、そっと、微笑んだ。

 

 

 

 

 背後で扉が開かれた。
 開く前から誰の気配か分かっていた。足音で分かる。音をたてるなと何度言っても、エメルトは騒々しい。

 

「うわ、派手にやったなぁ」

 

 無警戒に隣へ立たれたので、アレンは右手でダガーを1回転させ、鋭い速度でエメルトの首元へ突きつけた。
 エメルトの顔色が変わる。

 

「ちょ、ちょっとタンマ」
「遅い」

 

 一言短く告げて、注目すべき場所を、目で示す。こわごわとエメルトは目線だけを動かした。
 部屋の隅だ。少年がぐったりと倒れている。胸が上下しているので、かろうじてまだ息があるようだ。

 

「……こ、こいつが首謀者なわけ? このガキが?」
「リィンを拉致したのは彼だ。首謀者ではないかもしれないけど、首謀者級ってことは確かだと思うよ。それ以外の奴らは雑魚だったから殺した。この部屋に潜んでたんだ」
「……で、この惨状なわけね」

 

 部屋中血だらけだ。天井まで飛び散っている。カーテンが閉められた室内は薄暗く、だが床で絶命している人間は軽く10を超える。

 

「とゆーか……。なんで、ダガー?」
「まだ弾はあるよ。でも接近戦だったし、1対多数だったから、こっちの方が小回りがきくんだ」
「そ、そう。で、いつになったらオレの喉を解放してくれるのかなー、なんて……」
「メル。これで遅刻したのは何度目?」

 

 アレンが微笑む。エメルトが見慣れている、冷笑だ。

 

「え、えーと……。この事件に関して言えば、2回目デス」
「まあ、今回はメルがいてもいなくても全然関係なかったからよかったけど。1回目みたいなことがまたあったら、殴るだけじゃすまないよ」
「ハ、ハイ」

 

 1回目。それは、リィンが家で襲われた時だ。アレンが留守にするという情報をわざと流し、リィンを餌に犯人を誘い出した。本当ならば、扉を開ける前にエメルトが犯人を確保するはずだったのだ。だが、遅刻した。
 アレンはダガーを下ろし、上着の内ポケットに隠した。エメルトが深く息をつく。

 

「じゃあメル。この少年の送致を頼んだよ」
「へーい。あ、そうだ。カトリナが裏口で待ってる。オレが乗ってきた馬があるから、それ使っていいぞ」
「……この格好じゃ、目立つなぁ」

 

 アレンは自分を見下ろした。全身血だらけだ。ほとんどが返り血だが。
 エメルトが軽く口笛を吹く。

 

「相変わらず強いねぇ。アレンさ、私設護衛団なんてやらずに暗殺稼業でもしたら? そっちのほうが儲かるだろ。結局やることは一緒なんだし」
「考えておくよ」

 

 軽く笑みつつ、アレンはエメルトの外套をするりと攫った。

 

「これ、借りるね」
「あっ、オレ寒いでしょ」
「血だらけのまま街を歩いて、治安官に捕まったら言い訳できないよ」

 

 外套を羽織る。エメルトは長身だから、すっぽりと体がおさまる。血は見えない。

 

「残念だなーアレン。顔も血がついてるから無駄だよ」
「困ったな。ハンカチは持ってるから、それで拭うよ」
「まあでも、大丈夫だと思うぞ。人通りは少ない。なんせ外は」

 

 エメルトは分厚いカーテンを広げた。白いまぶしさに、アレンは目を細める。

 

「雪だ」

 

 

 

 

第3章【1】 ネット小説【リィンの空】 終章

 

 

 このページにしおりを挟む
 トップページへ戻る