ネット小説 【リィンの空】 後日談(1)-3

後日談【1】-2 ネット小説【リィンの空】 後日談【2】-1

 

「アレン……!」

 

 リィンはジタバタしたが、アレンの力には敵わない。華奢に見えるのに、力は強いのだ。
 廃屋から出ると、白い雪がはらはらと舞い降りていた。冷たさに身震いする。瞬間、廃屋の中から銃声が鳴り響き、リィンは息を呑んだ。

 

「アレン、カトリナたちが」
「外はさすがに寒いね。あそこに入ろうか」

 

 いつもと変わらない調子で、アレンは言った。すぐ正面の廃屋に入り、薄汚れたソファへリィンを下ろす。

 

「本格的に降るかもしれないな。馬車を呼ぼう」
「アレン、カトリナたちを助けに行こうよ」

 

 リィンが訴えると、アレンはきょとんとした表情になった。

 

「リィン。僕の話、聞いてなかったの? 彼らを始末するよう言ったのは、僕だよ」
「聞いてた。でも、アレンはカトリナとディーンを傷つけないよ。アレンはそんなことしない」

 

 アレンはかすかに、眉を寄せた。ため息をつきつつ、リィンを見下ろす。

 

「確かに、計算はしてたよ。あの少年はまだ新人だ。僕が抜けて、1対1になれば、熟練のカトリナには敵わない。ディーンも銃を持っていたようだしね」
「じゃあ、カトリナたちは無事なんだね」
「カトリナが、僕の知ってる実力のままなら、無事だよ。加えて、僕の知ってる性格のままなら、新人を殺すこともしていないだろうね」

 

 リィンは安堵の息をついた。アレンが隣に腰を下ろす。

 

「でもあくまでただの計算だ。何らかの事故で、カトリナたちが撃たれる可能性もある」
「……? でも、アレンは無事だと思ったんでしょ」

 

 リィンには、アレンが何を言いたいのか分からない。
 アレンはいつも、正しい。優しくて正しいから、アレンがすることなら、疑う余地もない。

 

「そんなことよりも、リィン。僕は怒ってるんだよ。どうしてか分かる?」

 

 リィンは目を見開いた。湖面のような双眸が、静かにリィンを見つめていた。

 

「危ないことはしない、と言っていたよね。どうして外へ出たの?」
「ごめんなさい」

 

 リィンは慌てて謝った。アレンの表情は変わらない。

 

「ごめんなさい。わたしがいけないことを言って、リックが勘違いして。アレンが捕まっちゃうと思って、追いかけたの。そうしたら、こんなことになっちゃって」
「リックは非合法の商品を売る犯罪者だ。リストに名前が挙がっていたから、罠を張って商品を持ってこさせた。ディーンに警護を依頼したのは計算外だったけどね。リィン。君は昨夜、リックをいい人だと言っていたけれど、騙されていたんだよ。以前と変わらず、簡単な子だね」

 

 リィンは声を失った。アレンは淡々と続ける。

 

「リィンがどういう話をしたのかは分からないけれど、恐らくその時にリックは、ディーンが私設治安官――つまり僕とつながりがあると悟ったんだろう。それで慌てて、ここへ駆けつけたんだ」
「そうだったんだ……。ごめんなさい。これからは絶対に、追いかけたりせずに、アパートの中で仕事する」
「リィン」

 

 アレンの目がゆっくりと、冷気を孕んでゆく。

 

「僕がどうして、さっきリィンを人質に選んだか、分かる?」

 

 突然の問いに、戸惑った。リィンは首を傾げながら答える。

 

「わたしが一番、弱いから?」
「ちがうよ」

 

 アレンのてのひらが、リィンの頬に触れた。ひやりとしている。

 

「僕の腕の中に抱きこんでおきたかった。リックが銃を隠し持っていて、あの場所はとても危険だったからね。僕が君を護ってあげたんだよ、リィン」

 

 青い双眸の奥に、暗色が見える。
 アレンは薄く笑みを浮かべた。

 

「この体は、髪の毛一本から爪の先まで、すべて僕の物だ」

 

 ぎゅ、と心臓を握られた。
 アレンの双眸を怖いと感じた。心の底まで見透かすような目。リィンは言葉を持てなかった。

 

「昨夜、リィンを可哀想だと思う理由を聞いたよね。今、答えてあげようか?」
「だ、だめっ……」

 

 リィンは首を振った。
 あの時アレンは、『教えるのは離れ離れになる時』と言ったのだ。

 

「言っちゃだめ……! 聞きたいなんて、言ってない」
「教えてあげるよ」

 

 深い、湖の底。アレンの目がすぐ近くにある。てのひらが頬からすべり降りて、リィンの胸に触れた。
 心臓の、上。

 

「『リィンが僕から離れる時』、僕はリィンを殺す」

 

 雪に閉じ込められた空間が、静止した。
 アレンは酷薄に、笑み続ける。

 

「僕の腕の中にいるか、僕に殺されるか、どちらかしか生きる道はない。だからとても可哀想だと思うよ。僕は君の幸せを願っているけれど、君が泣いて嫌がっても、オリからは出さない。僕の人形になってしまった君は、もう元に戻る術を持たない」

 

 

 

 

 雪が雪に埋まる音さえ、聞こえてしまうようだった。
 それほどまで、リィンの心は静かだった。
 アレンの言葉を全て理解できたとは言えない。なぜならアレンは、言葉と心が少しだけ食い違う人だからだ。だからリィンはいつも、アレンの言葉の、その奥を聞きとる。

 

「アレン」

 

 胸に置かれたてのひらに、自身の両手をそえて、リィンは言った。

 

「わたしはね。アレンと一緒にいられれば、もうそれで、何もいらないよ」

 

 とくん、とくんと鳴っている鼓動を、アレンは感じているだろうか。
 アレンが言うまでもなく、リィンの心臓は――心と体は、アレンのものなのだ。

 

「アレンが大好き。アレンがいないともう、生きていけないよ。だからずっと、一緒にいたい」

 

 この言葉を、もう何回、伝えただろうか。
 アレンはちゃんと聞いてくれている。けれど時間が経つにつれて、アレンはいつも忘れてしまうようだった。
 だから何度も、伝えなくてはならない。アレンがずっと、覚えてくれるまで。

 

「アレンから離れないよ。ほんとだよ。アレンが離れろって言ったら、どうすればいいか分からなくなるよ。だから一緒にいたい」
「……リィン」

 

 かすれた声で、アレンが呼んだ。
 青い瞳がかすかに揺れた。アレンの両手が伸ばされて、引き寄せられた。
 アレンの腕の中はいつも安心する。リィンは嬉しくて、笑みを浮かべた。

 

「あったかい。いい匂い。アレン、大好き」
「……僕もだよ、リィン」

 

 アレンの腕に、力がこもる。耳元でそっと、囁きが落ちた。なぜか分からないけれど、苦しげな、かすれた声だった。

 

「リィンの幸せだけを、祈っているよ。……ずっと」

 

 

 

 

「仕事を辞める?」

 

 ディーンの言葉に、リィンは頷いた。
 場所はアパートの事務所、お昼の少し前の時間だ。
 ディーンの隣で、カトリナは苦笑した。

 

「危ない目に遭わせちゃったからね。でもほとんどの原因はキミでしょ、アレン? 始末しろって言われた時はヒヤりとしたわ」
「ごめん、カトリナ。立場上、ああ言うしかなくて。でも簡単に勝てただろう?」

 

 アレンはお見舞いの果物籠を渡した。といっても、怪我をしたのはディーンの方だ。新人が暴れた時、銃弾がかすったらしい。

 

「あの時、アレンの目配せがなかったらヤバかったよ。一秒早く動けたからよかったけど、あの新人君けっこう強かったし」
「ああ、そうだ。彼を無事返してくれてありがとう。人手不足だからいなくなると困るんだ」
「抜けちゃってごめんね」
「――で、あの箱は結局どうなったんだ?」

 

 ディーンの問いに、アレンは変わらない口調で答える。

 

「新人の子から受け取ったよ。ありがとう」
「どうやって処分するんだ、あんなの。特殊な箱だったが開けたら最後、3日ももたずにこの街は終わりだろう?」
「それは独自のルートがあるからね」

 

 アレンは笑みを浮かべた。リィンが首を傾げる。

 

「箱、何が入ってたの?」
「病原菌だよ。ちゃんと処理したから大丈夫」
「貿易商ならぬ死の商人だったってことだ。めったにないらしいが、ああいう細菌兵器が平然と出回るようになったら世界は終わりだな」
「ふうん」

 

 正直、リィンには重大さがよく分からない。
 カトリナは肩をすくめた。

 

「ともかくリィン。短い間だったけど、お疲れ様。はいこれ、お給料」

 

 差し出された紙袋に、リィンは目を輝かせた。

 

「嬉しい。お金がもらえたよ、アレン」
「よかったね」

 

 アレンは笑みを浮かべた。

 

「アレン、何がほしい? 好きなものあげるよ」
「僕に?」

 

 アレンは目を丸くした。
 アレンが驚くのは珍しい。そんなに変なことを言っただろうか。リィンは気弱になった。

 

「うん……。プレゼント、ほしくない?」
「いや、そういうわけじゃないけど、びっくりした」
「どうして?」

 

 首を傾げる。アレンは少し考えたあと、答えた。

 

「僕はてっきり、リィンの好きなチョコレートを大量に買うつもりなんだと思ってたんだよ」
「なんだかわたし、食いしんぼうみたい」

 

 思わずむっとすると、アレンは笑った。

 

「嘘だよ、ごめん。ありがとう」
「なにがほしい?」
「そうだなぁ」

 

 アレンはリィンの髪を、くしゃっと撫でた。

 

「新しい紅茶の葉と、チョコレートケーキを買って帰ろう。家に着いたら、リィンがお茶を入れてくれるかい?」
「うんっ」

 

 チョコレートケーキは一番大好きなケーキだけど、高価だからめったに食べられない。リィンは嬉しくて、アレンの手を引っ張った。

 

「早く帰ろうよ、アレン」
「うん。じゃあカトリナ、ディーン、またね」

 

 手を振りつつ、アレンとリィンは仲良く部屋から出て行った。
 閉まる扉を見送ってから、ディーンは苦笑しつつため息を零す。

 

「あれだけ正反対なカップルも、珍しいな」
「アレンは他人を疑ってばかりで、いろいろ考えすぎだから、きっとリィンみたいな子が一番落ち着けるんだよ」
「そうみたいだな」

 

 カトリナは果物籠を見ながら、微笑んだ。

 

「きっとアレンのほしいものって、リィンの笑顔なんだろうね」
「それでチョコレートケーキか。あいつも甘々だな」

 

 ディーンは笑みを浮かべて林檎をかじった。
 穏やかな昼下がりが、訪れようとしていた。

 

 

 

 

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